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1月の振り返り

ちょっと遅くなりましたが、1月を振り返ってみました。

【正月気分の時期】

・1日はお隣の母方の叔父夫妻宅にいとこたちも集まっていたので、遠方に住んでいるいとこの娘にお年玉をあげた。
・2日は来ると思っていなかった長兄の娘(中3、中高一貫校)&息子(小5)が来たので、慌ててお年玉を準備した。
→なるほど、年金受給しか収入がない高齢者がお正月用に貯蓄しなければならないのはこのためか……としみじみと感じた
・3日から1泊で上記の姪&甥が実家に泊まりに来たので、話し相手兼遊び相手を頑張った。泊まりに来る度にふたりとも話し足りない様子で話しかけてくるので、母とふたりで相手するのが大変。
※父はいつも通り我関せずで押し通すので戦力外。
→とりあえずふたりとも楽しかったようなので安心した。

【入院準備】

・姪甥が帰った瞬間から入院準備モードに突入。
6日の午前中に入院先の病院に向けて発送しなければ、入院日に間に合わないので必死。段ボール中・小2つに分けて何とか発送できた。
・足りない下着を買いにショッピングモールへ。入院中はルート確保のために長袖下着を着られないので半袖を探し出して購入。

【入院】

・今回の入院は指定難病である『低フォスファターゼ症』の確定診断が出たため、酵素補充療法としてストレンジックを自己注射することに慣れることが第一目標。本来は通院でもいいのだが、気軽に通院できる距離ではない(新幹線で片道3時間ほど、往復の交通費は介助者も含めると6万円弱)ため、入院して行うことに。

<入院当日>

・7日は朝から新幹線で岡山まで移動。大学病院の外来受付で処方箋を受け取ってから、院外の、主治医と製薬会社から話を付けてある薬局にて自己注射用の薬剤24日分を受け取る。難病申請中なので医療費が保留してもらえて助かった……。総額2千万円以上の薬剤を持っていたことになることに気づいて手が震えた。

<自己注射>

・入院3日めから自己注射開始。看護師さんの見守りの下、週に6日、休薬日を日曜日と決めて腹部に前日の注射箇所から3cm以上開けて射つ場所を自分で決める。
・入院後初シャワーの日に注射から2・3日経った箇所が赤くなっていることに気付き、看護師さん経由で主治医に連絡。副作用の症例として製薬会社に報告するからと写真を撮られる。分かってはいるが、ぶよぶよの腹部の写真を撮られるのはちょっと恥ずかしい……。いや、皮下脂肪がたくさんあるから注射はしやすいんだが。うん、まぁ、医療職者はそんなこと気にしていないというのは分かっている。分かっているのだが……何というか……お見苦しいものをすみません……という気持ちでいっぱいになっていた。

<入院生活>

・入院中は当たり前ながら見舞いがないので、体調が悪くても必要なら給湯室までお湯を汲みに行かないと飲み物も作れないし、洗濯機を回し終わった頃に乾燥機に移しかえ、本来乾燥機不可のものを途中で回収して更に乾燥機を回して……と動き回る必要があるので大変。ぶっちゃけ、入院中の方が動かないといけなかったので、ものすごく頑張ってた。
・同じ大部屋の患者さんで「大部屋のトイレに行くのがリハビリ」とスタッフに言われている方がいたので、それ以降は病棟のトイレまで遠征していた。大部屋に戻ってきたときにトイレが使用中だったことが数回あったので、よい判断だったと勝手に自分を誉めた。
・カードが利用上限に達したため使えなくなった。入院費用の精算にカードを登録していたので、たまたま手元に持っていた数年ぶりに取り出したカードに精算先を変更してもらうために、入退院窓口まで出向いた。
→12月末に自作PCを買い、保証もかけたので、それで上限額までいってしまった模様。うっかりしていた。
・退院後は岡山に通院して、処方は地元のかかりつけ薬局にしてもらおうと言うことで主治医と製薬会社に動いてもらっていたが、「難病手帳がまだできてないなら、うちでは処方できない」との返答の電話が来る。
→ここから【地元で注射薬剤を処方してくれる薬局探し】のクエストが始まった。ちなみに終わるのは2月14日(金)であることをこのときの私も主治医も製薬会社も知らない……。

<退院日当日>

・25日に退院。荷造りは大変だった。入院時に使用したキャリーケースの車輪が病棟に付いたところで壊れたので、母と相談して病院で廃棄してもらうことにして新しくキャリーケースを実家で買い、それを退院日に母に持ってきてもらうことになっていたので、それ以外の段ボールに詰める荷物を少しずつ荷造りして、当日に母が病院に到着してから一気に詰め上げて、段ボールは病院のサービスセンターから発送、残りはキャリーケースに詰めてお持ち帰り。残りの薬剤(11個、990万円分)を実家まで持って帰るのもドキドキ。

【退院後の自宅での療養】

・病室は26℃で暑いくらいだったのが、自宅の自室は10℃、病室は10階だったのが、自室は1階と気温と気圧の違い、及び退院作業+移動疲れでしばらく寝込む羽目に。
・室温10℃では自己注射の薬剤(冷蔵保存)が常温(15-30℃)に戻らないため、その時間帯の前後だけ自室に暖房をつける羽目に。目安として一緒にヤクルト1000を冷蔵庫から出して、常温に戻った頃に自己注射してからヤクルト1000を飲む習慣がついた。
→自己注射とヤクルト1000に関しては時間は決まっていないが一緒にルーティン化できた。
・30日に地元の主治医に通院。入院先で預かっていた診療情報提供書を渡して、終了。むしろ通院後に薬局に難病申請書(申請中であることの証明書になる)を持っていって、薬剤を仕入れてもらえないか交渉する方がメイン。会議するそうな。
・31日。煎じ薬を含む処方薬を取りに行くついでに確認したら、まだ自治体側が申請の審査に入っていないので、薬剤の処方はできないと正式に断られる。
→2月5日の岡山大学代理通院(母)までに薬局をどうするかでてんやわんや。

【総括】

自己注射に振り回された。
入院も自己注射開始のためだったし、薬局探しは自己注射の薬剤を地元で受けとるため。
退院後に入院時の疲れがドッと出たのと、気温変化・気圧変化で疲労は悪化した。

2月14日(金)の時点で自己注射の薬剤を地元で受け取れる薬局が決まって安心した。
1月はあちこちからの連絡に疲れ果てた。
ただ、2月に入ってからは急激に寒くなって体調悪化した……というのは、また次回の振り返りで。