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英語力ゼロなわたしのシビウ国際演劇祭2023⑥

6・英会話の成果はあったのか?
      ボランティアプログラムの素晴らしさ


【英会話の成果はあったのか?】
準備編から散々タイトルに「英語力ゼロ」というワードを入れてきたが、そもそも、英語も話せない、海外に自力で行ったこともない、そんな人間のてんやわんやを、私にとってのそんな一大事を、せっかくなのでまとめておきたくてnoteを書き続けてきた

それでさて、私の英語力は太刀打ちできたのか?ということに関して
正直全然だった
太刀打ちできなかった
めちゃめちゃ迷惑かけた
かなり落ち込んだ

海外旅行くらいなら大きな問題はなかった(実際この後ひとりで行ったフランスではそれほど困らなかった)しかし、仕事をしに、仲間と一緒に何かを成し遂げていくには、私の英語力は足りな過ぎた

当たり前のことを言うが、英会話の先生は、私の話を最後まで根気強く聞いてくれるし、アシストしてくれる、しかし、実際の会話はそうはいかない、もちろん皆めちゃめちゃイイ人達ばかりだったけど、ただでさえ聞き取れない英語が、更に各々の訛りなどによって余計にわからなかった
幸い、プログラムの責任者は日本人の方なので、その方の英語は聞き取りやすく、全体への説明などは比較的理解できた、しかし、込み入ってくるとわからないことも多く、日本人ボランティアの子に、ココってこう言ってたよね?と確認したり、時にはメンバーの子が、内容メモっといたよぉ~と休憩時間に教えに来てくれたりもした
本当に本当にいっぱい助けてもらった

向こうに行った当初は、当然このプログラムで得られることの一つに、文化交流・語学交流も大きな要素であると思っていたので、積極的に海外メンバーに話しかけよう!と思っていた(準備編のラストにも「めげるな自分」と書いている)
しかしながら、初めての地での長期滞在、毎日研修の中で、どうしてもそれが自分へのストレスになってきた
“私は語学留学に来たわけではない”ということを免罪符にし、自分が最後まで心身ともに健康にこのボランティアを全うできる方を選ぼう!と思った

以前にも書いたが、今回のボランティアメンバーは、日本人ボランティアが本当に多かったということもあり、それ以降は、無理には頑張らないことにした
もちろん海外メンバーと交流も会話も自分の出来る限りの範囲でポジティブに向かいはするが、無理はせず、頼れるところは頼ることにしたのだ
肩の荷が下り、気持ちは楽になった


とはいえ、自分の中に、後ろめたさや不甲斐なさがずっとあった
そんなある日、研修の後、ボランティアメンバーの何人かと飲んでいたら、ローカルボランティア(地元のボランティア)の子が、話かけて来てくれた「私、あなたのことが大好きなの」と、あなたは英語が得意ではないと言うけど、あなたの表情はコロコロと変わって、どう思っているのか、何を言いたいのかがよく伝わる、と

とても嬉しかった

積極的に話したりはできなくとも、話す時は大きな声で!ハッキリと!というのは行い続けていたことで、私らしく、皆となんとか交流を持ちたいと思っていた気持ちが、少しは伝わっていたのではないかと思うと本当に嬉しかったし、言葉より大事な要素が本当に沢山あるのだと実感した

たくさんたくさん助けてくれた日本人ボランティアのメンバーや、変わらずいつも話してくれた海外ボランティアのメンバー
本当に本当に感謝しかない

今回のボランティア活動でも痛感したが、皆、出来ないことを挙げるのではなく、各々ができること得意なことを率先することでチームとして役割分担していくことが顕著だった
自分が普段簡単に行っていることが、案外他の人が苦手な事だったりもする
当然その逆も然りで…
なので、私には私の得意な分野で、何か貢献できていたのではないかと信じている

演劇を観る上でも、言葉が分からないから、より一層俳優を見て、より一層音楽を聞き、より一層照明に触れて、より一層空気を感じる
そこから得られるもの、感じられる喜びもとても楽しかった



”言語以上に大切な物”そんな色々を知ることが出来たかけがえのない日々だったが、それでも、どれだけキレイごとを言っても、
言葉の壁は大きい
言葉が話せたら、もっと築ける関係があって、言葉が理解出来たらもっと知れる演劇があった
友人が「言語を知っているというのは、色んな扉を開ける鍵を持っているということなんだ」と言っていたが、本当にその通りだ
選択肢も可能性も、文字通り「世界中」に広がっていくのだから

これからも、語学学習を続けたい!






【ボランティアプログラムの素晴らしさ】
長々と書き綴ってきたシビウ国際演劇祭に関してのnoteも、この章にてラスト

そもそも私がこのボランティアプログラムに参加したいと思った目的は、「ルーマニアの地方都市であるシビウで、国際的な演劇祭が成功していることにおいて、日本での地方演劇を考えるきっかけを得たかった」からだ
もちろん、だからと言って私が演劇祭の主宰になりたいとか、そういう大それたことではなくて、
自分の中の考えるきっかけや、知るきっかけ、そんな薄ぼんやりとした何かが、今すぐ具体的に結果が出るモノではなくても、いつか“そういえば”と、無意識下にでも礎になる
そんな何かが得られればいいなと思っていた

実際に演劇祭のスタッフとして参加してみて、どれほどの人が、どのような分野と配職で働いているのかということや、参加している地元のボランティアスタッフが、どんなモチベーションで参加しているのかなど、見えるものが沢山あった
これには、日本とは違う文化や思想が基盤にあり、その上で成り立っているモノも少なくはない(海外の学生さんたちのボランティアへの意識や、組織や街の人々の日本には無いイイ加減さ、寛容さなど)
そんなことも含めて、発見が沢山あった

演劇祭の終了後、表彰式が行われる
これは全ボランティアが参加し、各部門ごとに「終了証」をもらうのだ

聞いてはいたが、こんなにもいるのか!スタッフ!
てくらいいる
ラドゥスタンカ劇場で行われる式では、客席に入りきれないほどで、各部門ごとに表彰するということもあり、皆、入れ替わり立ち替わりで劇場にやってくる

インターナショナルボランティアはローカルボランティアの人たちと一緒に仕事をするが、全員と一緒になることはない
こんなにも沢山の人たちの手で、この演劇祭が運営されていたのだと目の当たりにし圧倒された
また、地元の学生ボランティアの子たちは、皆で力を合わせて成し遂げたことを互いに喜び、終了することを惜しみ、思い出を交換しあっていて、お互いのTシャツに寄せ書きを書き合っている姿は、本当に微笑ましくてキラキラしていた





私たちが出逢うのは、もちろんボランティアスタッフだけではない
シビウの街の人たちや、演劇祭を観に来ているお客さんたち、出演者として参加しているパフォーマーたちや、そのスタッフさんたち…
気持ちの良い人たちばかりだった

演劇祭の期間中、ラドゥスタンカ劇場の駐車場では、毎晩飲食ブーズが開かれており、関係者はいつでも立ち寄ることができる
スタッフだけでなく、各国から参加しているパフォーマーとも、話す機会もあったりする
海外の人たちに限らず、例えば同じ日本から来ているボランティアスタッフやパフォーマーであったとしても、普段だったら出逢わなかったかもしれない人たちだ
皆、立場なんて関係なく、“演劇祭”という共通認識の中で育んでいく関係は本当に尊いものだった

この素晴らしい体験を締め括ろうにも、言葉にならない想いが多すぎて…
ただただ、ただただ楽しく、最高の時間だった、4年前に行こうと決めた自分によくやった!と言ってやりたいし、関わって下さった全ての人に感謝でいっぱいです


またルーマニアに来たい、またシビウ国際演劇祭に参加したい、また皆と会いたい
そう思えたこと、それが全てなのではないかと感じる

全ての経験に溢れんばかりの感謝を!
いや、溢れてる…漏れてる…満ち満ちパンパン大爆発の感謝を!


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