ノーベル兄弟とロスチャイルド家
イシコフ: さて、19世紀からの世界情勢の激変を理解する上で重要なのは、「国際資本家」というグループが急成長して、国家権力をも動かすほどの力を持つようになったことだ。
その筆頭がロスチャイルド家だね。
凡太: 待ってました!
イシ: う~ん……そのノリがちょっとねえ……。
ロスチャイルドと言っただけで、陰謀論だの闇の権力だのWEFだのフリーメイソンだのイルミナティだのと、上滑り気味の話が氾濫してしまう傾向があるけれど、一度ちゃんと「歴史」として把握しておく必要があるだろうね。
ロスチャイルド家の初代は、マイアー・アムシェル・ロートシルト(Mayer Amschel Rothschild/1744-1812)だとされている。
ロートシルトはドイツ語で「赤い表札」という意味。これを英語読みするとロスチャイルドになるんだね。
ドイツ、フランクフルトのユダヤ人隔離居住区に住む商人の家に生まれた彼は、生家が赤い表札をつけていたことで、これを姓にしたと言われている。ドイツにいたユダヤ人はもともと正式な姓をつけられていなかったから、屋号のようになっていた「ロートシルト」を正式に姓として使うようになったらしい。その初代がマイアー。schildは「盾」という意味もあるから、後に赤い盾を家紋にしている。
マイアーは学校で中東とヨーロッパの古代史と語学を学んだが、父母の死で学校にも行けなくなる。その後、ユダヤ人銀行家の下で丁稚奉公しながら、貴族や軍人相手の銀行業を学ぶ。
そして、当時のドイツの一部を占めていたヘッセン選帝侯国の御用商人として、息子たちと一緒に信用を得ていく。
そこにフランスからナポレオンがやってきて、ヘッセン選帝侯国の財産はフランス大蔵省が法的継承人になると宣言する。
選帝侯一族は国外亡命するんだけど、その際、所有財産の隠蔽をロートシルト家に任せた。
マイアーと息子たちはフランス当局の目を盗み、諸侯への債権を回収し、亡命した諸侯に送り届けたんだが、「全部を送り届けるのは難しいから、残りはロートシルト家を信用して信託してほしい」と言って、莫大な財を築いた。
その一方で、ロートシルト家はフランスとの関係も作り上げ、ヨーロッパ全土に渡って通商ルートや情報網を築いていった。
マイアーには上からアムシェル、ザロモン、ネイサン、カール、ジェームスという5人の息子がいて、それぞれ、フランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに拠点を作らせ、金融業ネットワークを広げていった。
ナポレオンが大陸封鎖令を敷いたせいでヨーロッパ中で物資不足が起きると、ロンドンを拠点にしているネイサンは選帝侯から預かっていた巨額の資金を使ってイギリスで商品を買い占め、他の国に密輸して安く売りさばき、大儲けした。
凡太: あざといけど、すごい商才ですね。
イシ: そうだねえ。しかも、ナポレオンがロスチャイルド家の商売をものすごく助けた結果になっている。運も大きく味方したといえるだろうね。
マイアーは1812年に死ぬ前に、息子たちへの遺言として、
他の兄弟を無視して単独事業をしてはいけない
利益は持ち分に応じて分配する
会社内の重要ポストは一族に限る
事業の継承者は男子相続人に限る
一族から過半数の反対がない限り宗家も分家も長男が家督を継ぐ
結婚はロートシルト家の親族内で行う
事業は秘密厳守で、在庫や財産の内容は公表しない
……といったことを厳命している。
凡太: ものすごい同族経営ですね。
イシ: そうだねえ。血が濃くなっておかしくならないかと心配してしまうよね。
5人の息子たちのうち、その後、特に大きな力を持つのはロンドンの三男・ネイサン一族とパリの五男・ジェームス一族だ。
ロンドンのネイサンは、1815年の英仏の戦争「ワーテルローの戦い」で、いち早くイギリス勝利の情報を入手すると、イギリス国債を売ってイギリスの敗北を偽装し、自らはその紙屑同然となったイギリス国債を極秘に買い漁って大儲けする。
このインチキに引っかかった投資家や名家が破産したが、ロスチャイルド家の財産は2500倍になったといわれている。
1875年にロスチャイルド家の融資でイギリス政府がスエズ運河会社の最大株主となったことで、イギリスの王室や政府にも大きな影響力を持つようになった。
MI5やMI6の設立にも関わったという。
今でもイギリス国内ではロスチャイルド家のことはタブー視されていて、王室のゴシップは口にしても、ロスチャイルド家のことは口を閉ざしてしまうようだね。
凡太: 怖いですね。
イシ: 一方、パリのジェームスは、金融業だけでなく鉄道事業に進出して「ヨーロッパの鉄道王」と呼ばれるようになった。
ワーテルローの戦いで敗れたフランスは、イギリスと同盟国に7億フランという賠償金を払わなければいけなくなった。その支払いを公債として引き受けたのがジェームスなんだね。
その公債を売った金を投資家に年間50%という高利で貸し付けて、さらにボロ儲け。
さらにはウィーンの兄のザロモンと協力してヨーロッパ全体を網羅する通信網と馬車輸送のネットワークも構築し、通信や交通でもビジネスを拡大した。
フランスのロスチャイルド家は、他にも南アフリカのダイヤモンド鉱山や金鉱山にも投資したり、後にはロシアのバクー(現在はアゼルバイジャン共和国)油田の利権も握った。
このロシアの油田に関しては、実はノーベル兄弟も手をつけていたんだ。
凡太: ノーベル賞のノーベルですか?
イシ: そう。ノーベル賞の設立で有名なアルフレッド・ノーベルを含む兄弟のことだね。アルフレッド・ノーベル(1833-1896)は8人兄弟の4人目で、8人のうち4人は夭逝し、成人したのは4人だけだった。
父親のイマヌエル・ノーベル(1801-72)は爆発物や兵器製造でクリミア戦争 (1853–1856) で大儲けした。その後、軍が支払いを渋り始めて兵器工場は一旦破産したんだけど、後を引き継いだ次男ルドヴィッグ・ノーベル(1831–1888)が再び工場を発展させた。
アルフレッドは成人した4人のうちの3番目にあたる。彼は複数の家庭教師をつけてもらい、語学と化学を学び、フランス・パリやアメリカにも留学してさらに化学の知識や事業家としてのセンスを身につけた。
一方、兄のロベルトとルドヴィッグは、1875年、ロシアの石油地帯であるバクーで石油採掘を始め、4年後に「ノーベル兄弟産油会社」を設立。これには弟のアルフレッドも出資している。
ノーベル兄弟産油会社は掘削だけでなく、製油、販売、パイプラインと鉄道を使った輸送も行い、さらには世界初のタンカー「ゾロアスター号」を建造して諸外国に石油を売る世界最大規模の石油会社に成長した。最盛期にはロシア最大の石油会社として石油製品の40%を生産していた。
その頃、フランスのロスチャイルド家は、初代のジェームスの長男・アルフォンスが継いでいたんだけれど、1886年、バクーから黒海の港町バツームまで鉄道を敷設する事業に融資するのと引き替えにバクー油田の権益を獲得し、カスピ海・黒海会社(通称・Bnito)を設立し、イギリスに販売会社も設立した。
ノーベル兄弟産油会社はロスチャイルドから融資を受け、1894年、アルフレッドが武器製造業に進出。以後、ノーベル家とロスチャイルド家は協力し合って世界に石油と武器を売り込むようになる。
ちなみに、当時ヨーロッパではイギリスのアームストロング社とフランスのシュネーデル社が銃器製造の大手だったが、この両社ともにロスチャイルド傘下の会社だった。
凡太: ノーベル一家もロスチャイルド家も、戦争と地下資源をうまく利用して富を築いたんですね。
イシ: そうなんだ。そこがいちばん重要なところだね。19世紀以降の歴史は、戦争と地下資源で富を築いていく資本家が作った歴史だと言ってもいい。
何年に○○戦争が起きてどっちが勝ってどっちが負けて……という表面の出来事だけを覚えても歴史を学んだことにはならない。正確にいえば「歴史から」学んだことにならない。
そのことをしっかり頭に入れた上で、改めて徳川政権が倒された戊申クーデターの前後を見ていこうか。
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現代人、特に若い人たちと一緒に日本人の歴史を学び直したい。学校で教えられた歴史はどこが間違っていて、何を隠しているのか? 現代日本が抱える…
こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。