タヌキの親子見聞録 ~高野山編②~和歌山(高野山)
第1章 何よりもだんご
高野山は、今から1200年以上前の弘仁7年(816)に、唐の国で学び、帰国した弘法大師(空海)が根本道場を開いた真言密教の聖地である。紀州半島のほぼ中央、和歌山県に位置し、1000m級の山々に囲まれた山上の盆地に形成されたこの宗教都市は、世界中から人々が訪れる祈りの地であり、世界文化遺産にも登録されている。
「ほとんど外国の人ばっかりじゃん」
高野山駅から出て、コインロッカーに荷物を預けようと探していると、我先にと、コインロッカーを求める人たちは、日本の観光客でないのがすぐにわかった。4月3日が水曜日というのと、雨天であったせいか、普段よりは人が少なかったのであろう。駅前にある南海りんかんバスへ、高野山をお得に回れる「1日フリー乗車券」を買い求めに行くと、並ばずにすぐ購入できた。大人1,100円、子ども550円で、拝観料が2割引きになったり、飲食・お土産が1割引きになったりする特典付きのものだ。
「このバス、どちら行きですか?」
バスの営業所前に止まっているバスの行き先を父ダヌキが確認すると、
「奥之院へ行きます。すぐ発車しますよ」
と、バス会社の人が言った。タヌキ一家の予定では、まずは大門へ行くバスに乗り、大門から高野山を囲む山を眺めるはずであったが、そのバスは20分以上待たなくてはならない。
「ここで待っていても仕方ないから、とりあえず乗って、途中で降りて観光しながら大門へ向かおう」
11時半前の高野山は、まだ雨がそんなに降っておらず、傘なしでも観光ができる様子だったので、タヌキたちは急いでバスに飛び乗った。
バスに乗ると、乗客は、タヌキ一家と3~4組の観光客だけで、広々と座れた。バスは、高野山駅前の山と山の間に出来た道路を通って、盆地へ入って行くのだが、うねうねとした山道で、よくこんな道を大型バスが通って行くなと思うほどのものだった。向こうからバスが来たらすれ違えないような場所もあるため、事故にならないか冷や冷やしながら窓の外を見ていた。バス停が載っている地図で母ダヌキが確認すると、この道は南海りんかんバス専用道路で、歩行者や一般車両は通れないようになっているらしい。その地図を見ながら、母ダヌキは閃いた。
「お父さん、笹巻あんぷ買うなら、警察前のバス停で降りないと」
高野山へ行く前からリサーチしていた、笹巻あんぷという生麩のおまんじゅうを食べたかった父母ダヌキは、急遽予定を変更して、途中下車した。時刻はあと少しで12時になろうとしている。まずは腹ごしらえが重要だ。
「笹巻あんぷのお店からなら金剛峯寺が近いから、食べたら歩いて行こう」
タヌキたちは、曇天の下、笹巻あんぷを探して、大きな道を少し左手へ入って行った。細い路地には、わかりやすく「高野山生麩 笹巻あんぷ」と看板が出ていた。少し小雨が降ってきたので、急いで中に入ると、お目当ての笹巻あんぷを4個(720円)注文して、店先で食べた。文政年間(1818~1831)創業の高野山唯一の生麩屋がつくる生麩まんじゅうは、よもぎを混ぜた生麩にこしあんをくるみ、熊笹で包んであった。
「いい匂いだね」
母ダヌキは、笹の葉の香りとよもぎの香りを吸い込みながら言った。
「やわらかいし、こしあんが良いね」
父ダヌキも満足そうに食べている。ただ、兄ダヌキは、よもぎも笹も好みではないらしく、
「普通のまんじゅうがいい」
と言いながら、とにかく口の中に放り込んでいた。それを横目に、少し味覚の大人な弟ダヌキは、何も言わず、美味しそうに頬張っていた。
タヌキたちは、傘を差しながら食べていたが、気が付くと雨は止んでいた。再び大きな道路に出ると、通りの向こう側に大きな木がたくさん生えているのがわかった。
「金剛峯寺はあの木の向こう側らしい」
父ダヌキが地図を片手に、次の目的地を指さした。
第2章 金剛峯寺はタッチ決済で
笹巻あんぷの店から歩いて5分もしないところに金剛峯寺はあった。ここは、高野山真言宗3600カ寺の総本山であり、高野山内にある117カ寺の本坊でもある建物だ。
門をくぐると、主殿の右隣り、大玄関の上にある龍の彫り物がすぐ目に飛び込んできた。曇天を睨むその姿は、今にも飛び出してきそうであった。
その大玄関のさらに右隣りにある小玄関横に、拝観者の入口があった。
「ここはタッチ決済ができるから」
と、父ダヌキが事前に調べてきていたらしく、さっとスマホを取り出した。
「あっ、その前に!」
と、母ダヌキは、バスの1日乗車券の特典の、拝観料割引券を人数分切って渡した。これで大人は800円、子どもは240円になる。この時が、11時50分くらい。雨は降っていない。
金剛峯寺は、とにかく襖絵が素晴らしく、高野山の四季の花や鳥が描かれていた。中ほどにはお土産屋さんがあり、いろいろなグッズが売ってあったが、時間と天気が気になり、あまりゆっくりとは見られなかった。その先を進むと、新別殿という大広間があり、入口にはトイレがあり、中ではお茶がいただけた。タヌキ一家は、トイレだけお借りし、大広間をぐるりと見ると、次に見るべき場所へ向かった。
「ほら、あれが龍の背中に見立ててあるんだよ」
母ダヌキは別殿前の庭に並べてある石を指さして言ったが、
「よくわからん」
と、父ダヌキも子ダヌキたちも、少し眺めてから立ち去った。ここは想像力が必要な場所である。雲海の中を泳ぐ雌雄の龍がいる場面を想像しながら母ダヌキはもう一度眺め、家族の後を追った。
新別殿前を通り、元の道を引き返して左手に曲がると、金色に輝く壁の間があった。小さな窓からのぞくと、天井には様々な花が彫ってあり、いろいろなところで細やかな工夫がされ、豪華な部屋であった。ここは上皇や天皇が登山された際に使われた部屋という。
そこから先へ進むと、先ほどの豪華な部屋とは打って変わって、地味で装飾の無い廊下から、作業所のようなところへ出た。ここは台所らしい。大きなかまどが何個も設置してあり、そこへ向かう途中の床は、竹の隙間から水が見えたので、川が流れているのか池になっているのか、とにかく涼し気であった。
「この大きな釜、今でも行事で使ってるんだって」
母ダヌキは、かまどの側に書いてある説明を読みながら驚いていた。金剛峯寺の中で、一番居心地の良い場所のような気がして、母ダヌキはあちこち見て歩いた。煙を逃すための高い天井や梁、床の木が、つやつやの焦げ茶色になっていて、長い間ここで多くの人々のために食べ物がつくられていたのが想像できた。
台所を通り抜けると、入ってきた靴置き場が見えた。外は曇天のままであったが、まだ雨は降っていない。主殿の龍がにらみを利かせていてくれているからなのかなと、母ダヌキは写真を撮った。
第3章 壇上伽藍で『塗香』を塗る
金剛峯寺から歩いて壇上伽藍へ向かう。朱塗りの門の左右には、仁王様立っていて、そこをくぐると、まず見えてきたのは金堂だった。その金堂の右奥を見ると、根本大塔が見えたので、とにかく向かってみた。
根本大塔へ入ると、拝観料がかかるのに誰もおらず、料金箱が設置してあるだけだった。
「これって、ここにお金入れるの?割引チケットも?」
母ダヌキは、さっきの金剛峯寺との大きな違いに戸惑い、もう一度外をに出て見渡したが、誰も受付のような人は見当たらなかった。
「こんなの、払ったか払わなかったかわからないじゃん」
母ダヌキは、財布から、割引チケットを使用した金額の、大人400円を支払いながら文句を垂れた。
「多分、仏様がいる前で悪いことしたらどうなるかわかってるな的な感じなんでしょ」
と、父ダヌキが言い、子ダヌキたちも靴を脱いで、備え付けの袋を取って入れて中の見学をした。
見学前に、パンフレット置き場があり、その横に『塗香(ずこう)』というものが置いてあった。これは、お参りの前に心身を清めるために使うもので、少し湿り気のあるペーストを、一つまみ取って、両方の掌に付け、両手に塗り合わせ、胸の前で両手を組み、左右に開いて深呼吸し、体全身を清めるものらしい。タヌキ一家は、これが初めてで、誰一人うまくできず、
「あっ、すごい匂い」
「わっ、色がついた」
などと、神聖な場所であたふたとしてしまった。
根本大塔は、真言密教の世界観を表す重要な建物で、「両界曼荼羅」の仏像が安置され、弘法大師が伝えた真言密教の思想を今に伝えている。いらっしゃる仏像はきらびやかで、ぐるりと周れるので、様々な角度で違う表情が見られる。
次に、金堂へ向かおうと根本大塔から出ると小雨が降りだしていた。急いで、タヌキ一家は金堂の屋根へ入った。
金堂とは、高野山開山当時に創建され、高野山の総本堂として重要な儀式のほとんどがおこなわれるところである。この金堂も、先ほどの根本大塔と同じくキャッシュで、誰も受付の人がいなかった。
「仏さまがちゃんと見ていらっしゃるということか」
と、母ダヌキは思いながら、大人400円を人数分払うと、これまたさっきと同じように『塗香(ずこう)』で体を清め、中を見学させてもらった。美しい中身だったのだろうが、外の雨が気になり、ここもしっかりと見学できた気がしないまま、外へ出た。どうしてこんなに気もそぞろかというと、奥之院見学のこともあるが、もう一つ、気になっていることがあった。それは、伝説の三鈷の松であった。
第4章 伝説の三鈷の松
それは、金堂裏にあった。二重の柵に囲まれて立っている木は、本当に伝説の三鈷の松なのだろうか。タヌキ一家は、折りたたみ傘をさして、小雨降る金堂裏の境内の地面を調べた。
三鈷の松とは、弘法大師(空海)が当留学時、「密教弘法(ぐほう)にふさわしい地を示せ」と祈願して三鈷杵(さんこしょ)を投じ、日本帰国後、嵯峨天皇より勅許を受けて高野山を下賜され、伽藍を造営中に、松に掛かった三鈷杵を見つけ、高野山を修禅の道場とするのに相応の地と確信したいわれを持つ。空海の霊跡とされるこの松葉は、三鈷杵と同じく、三股に分かれている。この三鈷の松は、秋から冬にかけて落葉するので、「再生」の象徴とされる。また、落葉した三洋の松場は黄金色をしており、身につけていると金運を招く縁起物として、「飛行三鈷杵」の霊験にあやかるため、お守りとするために探し求める参拝者もいるという。
「あぁっ、あった」
初めに見つけたのは母ダヌキであった。
「本当?」
タヌキたちは、一斉に駆けよって見る。
「本当だ。三つに分かれている」
本当にあることがわかったタヌキたちは、真剣に探し始めた。掃除をしてあるためか、たくさんは落ちていないが、落ちている松葉はほとんど2本である。でも、目が慣れてくると、
「あった!ここにも、あそこにもある!」
と、何個も見つけることが出来た。
「これは、大事に持って帰ってお守りにしようね」
タヌキたちは、お寺で売っている御守よりも、弘法大師(空海)の三鈷の松が最高の御守であると思い、大切にカバンにしまった。
三鈷の松を探し終わると、境内の奥の方へ行ってみた。根本大塔と同じような建物で、根本大塔とは違い地味な色づかいの塔があった。
「西塔っていうんだね」
中が見えないか、タヌキたちがのぞき込んでいると、後ろから声をかけられた。
「Excuse me」
外国の10代半ばの少女である。聞いてみると、根本大塔と西塔が似ているが、どうしてかというような質問を英語でされた。
「えぇっとぉ」
タヌキたちは、一気に毛穴から汗が出てくるのを感じた。英語が苦手なのもあるが、日本人のくせに根本大塔や西塔の歴史を詳しく知らない。スマホで少し検索したが、慌てていて、同時期に建てられたものとしか調べられなかった。
あとで落ち着いて調べると、空海が構想した大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔」として根本大塔と西塔を二基一対として建立したが、根本大塔は何度かの焼失後、昭和12年(1937)に空海入定1100年を記念して再建され新しくなり、西塔は、天保5年(1834)の再建で、根本大塔とは同じような建物だが、明らかに地味で、二基一対の建物とは思えない風貌であることがわかった。
英語が堪能なら、これをつらつらと話せるのだろうが、タヌキには無理だった。二基一対を説明しようとして、ようやく出てきた言葉は、
「ツインズ!」
であった。しっかり、歴史がわかり、なおかつ英語力があれば、もう少し説明ができたのかもしれない。それに、スマホをもっとうまく使いこなせば意思の疎通ができたかもしれないのに、あわてたタヌキはこれが精一杯だった。
「Oh!Thank you」
と、苦笑いで対応してくれた10代の外国の少女よ、すまない。
「もっと、何かしてあげられれば良かった・・・」
「おっかぁ、かっこわりぃな」
傍で一緒に慌てていたくせに、母ダヌキのふがいなさを見て兄ダヌキは言った。
「オレ、もっと勉強して、英語で会話できるようになるわ」
第5章 大門から見る雲海
西塔から階段を降りて、辺りを見ると、参拝者は外国の人が多かった。御社を通って、六角経蔵に向かうと、そこにも外国からの参拝者がいた。
六角経蔵は、鳥羽法皇の菩提をと弔うため1159年に創建された。基壇は円形で、上部に基壇と同じ円形の把手がついた幅20㎝ほどの枠があり、把手を押すことで基壇に沿って回すことができ、一回転すれば一切経を一通り称えたことと同じ功徳が得られるとされている。
最初、外国の家族が把手につかまりぐるぐるとまわしていたが、タヌキたちが来ると終えて、他へ観光へ行ってしまった。タヌキたちは、
「これ、マニ車みたいに回るんだね」
と、言って、父、兄、弟ダヌキが把手を握ってまわりだした。そこへ、外国の青年男性が一人加わり、六角経蔵を一緒に回し始めた。2週ぐらいしたところで、タヌキたちが把手から離れると、急に重くなった六角経蔵に外国の青年男性は驚いていた。驚きながらも、面白そうに、思い経蔵を回している外国の青年男性を後に、タヌキ一家は大門を目指した。
「もう昼過ぎだし、大門へのバスは、良い時間が無いから歩こう」
ちょうど雨が再び止んだので、タヌキ一家は大門へ向かった。向かう途中、これまたリサーチしていた和菓子があったので、購入して食べることにした。
「今度は食べられると思うよ」
さっきの笹巻あんぷが苦手だった様子の兄ダヌキに、母ダヌキは言った。
御菓子司さざ波は、根本大塔を出てすぐの大通り沿いにある。
「酒饅頭を4つ下さい」
お店のケースを覗くと、酒と大きく焼き印が押してある白いつやつやした饅頭が積んであった。
「うん、美味しい」
兄ダヌキは、酒饅頭をぺろりとたいらげてしまった。
「ゆっくり食べる時間があるといいけれど、もう2時になるから、大門まで行ったら、奥之院へ向かおう」
本日の観光は時間と天気との勝負であった。奥之院までのバスに千手院橋(東)で乗るには、午後2時17分か30分にバス停に着いておかないとならない。
大門までの間にあった食べ物屋さんを、恨めしそうに見ながら先を急いだ。
標高約900mに位置する大門は、高野山の西の入口の正門である。本来ならば、ここで、山々が広がる眺望を見て、根本大塔や金剛峯寺を巡り奥之院へ向かいたかったが、思うようにいかないのが人生である。大門も素晴らしいが、その先に見える山々の景色や雲海が、1200年前に弘法大師(空海)も眺めたのだろうと思うと、感無量であった。
「さあ、雨が降らないうちに、千手院橋のバス停まで行って、奥之院へ行くよ」
父ダヌキに言われると、タヌキ一行はまた来た道を歩いて戻って行った。