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タヌキの親子見聞録 ~熊野古道編⑦~


第1章 大門坂は暑かった

 大門坂駐車場に着いたのは、午後1時40分ぐらいだった。さっきの神倉神社を登る時に買ったスポーツドリンクを飲んだが、すぐにのどが渇くような暑さで、天気はとても良かった。大門坂駐車場にあった観光案内所で、大門坂だけ往復するとどれくらい時間がかかるか聞くと、片道40分で、余裕をもって午後3時くらいにはこの駐車場に帰って来られると確認し、大門坂へ向かい歩き出した。

どこを歩くか確認中

民家のある小道を登っていくと、石階段の向こうに小さな鳥居が現れ、朱塗りの小さな橋を渡ると、大きな木に囲まれた石畳の向こうに、登りの石階段が長く続いているのがわかった。

「出羽三山にも、こんな道あったよね」

 そう言いながら、タヌキたちは、大門坂の上を目指した。神倉神社で杖を突いて歩いたのが楽だったのだろう、子ダヌキたちは、大門坂の入口で貸出用に置いてあった木の杖を突いて、一段一段登って行った。

「この苔、なんかいろんな色に見える」

 途中、石階段の側の木の下に生えている苔の色が、日にあたっているところとそうでないところで違うことに母ダヌキが気付いて、父ダヌキに調べてもらった。

その苔は、コンテリクラマゴケというイワヒバ科のシダ植物の1つで、緑色の葉が光を浴びると青みを帯びた色になるので、

「きれいだね」

 などと見入っていると、振り返った時には弟ダヌキはずいぶんと上の方まで杖をついて登っていた。とにかく、早く終わらせて本日の宿泊施設に行きたいのだろう。まわりをゆっくりと眺める余裕もなく、一段一段暑さに耐えながら、頑張って登っていくので、他のタヌキたちも追いついて、余計なことに体力を消耗しないよう黙って上を目指した。こんな暑い日に登る人の姿は、タヌキ一家以外は見えなかった。半分ぐらい行ったところで、車の道と接する場所があった。そこでは、歩いては登れない人たちが、少しだけ車を停めて大門坂に寄って、少し上にある映えスポットを写真におさめていた。

「まだ上に続いてるね」

 映えスポットで写真を撮りながら、母ダヌキはどこまで続いているのかわからない石階段を、恨めしそうに見上げた。時計は午後2時を少し過ぎていた。

「とにかく大門坂だけは、今日登っておこう。上に登ったらソフトクリーム食べよう!」

 目先にエサをぶら下げないと、頑張れない気がした母ダヌキは、自らを鼓舞するために言った。

「オレも食べる!」

「オレも!」

 美味しいものがあると頑張れるDNAは母譲りの子ダヌキたちが、真っ赤な顔をして元気よく答えた。大きなリュックを背負っている父ダヌキだけは、真っ赤な顔をして何も答えなかった。

 何とか足を上げて石階段を登っていくと、上の方から人が降りてくるのが見えた。そうして、その人たちに近づくにつれて、その人たちが降りてきた場所がこの石段の終点であることがわかった。母ダヌキと子ダヌキたちはソフトクリームを頭に思い浮かべ、石段の終わりを目指した。父ダヌキだけは、赤い顔をして、大門坂途中の休憩用のベンチに座り、動けないでいた。

「もうちょっとよ‼」

 母ダヌキと子ダヌキたちに声をかけられてもなかなか腰を上げられなかったが、どうしたってこの暑さは変わらないので、父ダヌキは思いきって腰を上げ、タヌキたちの後を追った。

「ふぁ~、ようやく着いた」

 真っ赤な顔の父ダヌキは、肩で息をしながら苦しそうに言った。先に登っていた母ダヌキと子ダヌキたちは、

「ソフトクリーム食べに行こう」

 と、店を探すため、暑さにフラフラしている父ダヌキを引っ張って、もう少し上に歩いて行った。すると、日本人のツアーや、外国人観光客が、もっと上の方の階段から降りてきた。

「きっと、あの上が熊野那智大社だよ」

 タヌキたちは明日の目的地の確認をして、その下の道に「那智の大滝」と案内板があったので少し下っていくと、フライイングで「那智の大滝」を見てしまった。大きな滝だけれど、少し距離があったし、暑さでやられていたせいか、心に何も感想や感情が浮かんでこなかった。

「暑いから、とにかくソフトクリーム」

 ただそれだけだった。

第2章 じゃばらソフト最高‼

 「熊野黒飴ソフト」と書いてある看板が目に入り、お土産物を売っていたり休憩所がありそうだったので、那智山観光センターへ入ってみることにした。中に入って見ると、思った通りお土産物がフロア一面に売ってあり、お土産のレジのところで、ソフトクリームも販売されていた。ここ那智では、車で来る途中やコンビニでも何度も見たのだが「那智黒」という黒飴が有名のようで、その黒飴を使ったものなのか、ソフトクリームの黒飴味というのが有名なようだった。

「オレ、黒飴ソフト!」

「オレも!」

 兄弟タヌキは迷いなく、黒飴味のソフトクリームを注文した。母ダヌキも、那智では黒飴ソフトだろうと思ったが、黒飴の横に「じゃばら」と書いてあるのが気になり、

「『じゃばら』って、何ですか?」

 と、店員さんに聞いてみた。

「このあたりの特産のかんきつで、さっぱりして美味しいですよ」

 と言うので、黒飴味は子ダヌキたちに味見させてもらうことにし、じゃばらソフトを買ってみることにした。

 子ダヌキたちのソフトは、通常のソフトクリームに黒飴味のシロップがかけてあり、練りこんだタイプのものが出てくるのかと思っていたので、少し想像と違った。母ダヌキのじゃばらソフトも、黒飴味と同様に、じゃばらのソースがかけられ、見た目にも甘酸っぱそうで、黄色のソースが食欲をそそった。

じゃばらソフト

「甘くておいしい!」

 席を見つけて食べ始めた兄ダヌキは、ソフトクリームだけでも甘いのに、さらに黒飴のシロップが効いた甘いソフトを、美味しそうに食べ始めた。弟ダヌキも、冷たさが苦手なので、兄ほどのスピードではないが、甘いソフトクリームを美味しそうになめている。母ダヌキは、初めて食べるじゃばらがどんな味か、一度よくソフトクリームを眺めて、てっぺんをぱくりと食べてみた。

「うまいっ!甘過ぎなくて、少しじゃばらの苦みがアクセントになって、本当に美味しい。大人好みかも」

 と、元気なく座っている父ダヌキに、無理やり一口食べさせた。

「うん、美味しい」

 食欲もなく元気のない父ダヌキだったが、黒飴ソフトよりも、さっぱりと苦みのきいたじゃばらソフトが食べやすかったのだろう、少しだけでも食べることができて、水分補給もしてほんの少し元気になったようだった。母ダヌキは、じゃばらの苦みのあるマーマーレードのような味がたいそう気に入って、今度ソフトクリームがある時は、じゃばらソフトを選ぼうと決めたほどだった。それほど、この暑い中で食べるには、最適のソフトクリームだった。

「溶けないうちに早く食べるよ」

 手元からとろけるソフトクリームを、ティッシュペーパーで拭きながら食べている弟ダヌキを急かして、那智山観光センターの駐車場を横切って下に下ると、大門坂の石階段を登りの2倍ぐらいの速さで下って行った。

第3章 今夜の宿は竜宮城

 30分もせず下ったタヌキたちは、午後3時に予定通り大門坂駐車場を出発し、今夜の宿であるホテル浦島専用の駐車場へ向かった。

ホテル浦島は、ホテルのすぐ側に駐車場は無く、少し離れたところに大規模な駐車場がある。ここからマイクロバスでホテルへ向かうことになるのだが、途中で紀伊勝浦駅近くの観光桟橋から専用送迎船に乗ることもできる。タヌキ一家はせっかくなので、船でホテルへ向かう予定としていた。

 那智湾沿いのホテル浦島専用駐車場に到着すると、もうすでに何台もの車が停まっており、その近くにはバスが2台停車していた。さっき、タヌキ一家の前を走っていた大きな白いバンも、ホテル浦島が目的地だったようで、停車すると、大人2人と子ども2人が手に荷物を下げて降りてきて、バスに乗り込んだ。

「あれに乗って、船着き場に行くんだね」

 タヌキたちは、自分たちの席が無くなったら、この暑い屋根のない駐車場で待たされることになると思い、急いで荷物をレンタカーから降ろして、バスに乗り込んだ。バスは、もうすでに8割がた埋まっており、もう少し遅かったら次の便を待たなくてはならなかっただろう。

「乗れてよかった」

 座席に座ると、安心したタヌキたちは、これまでのハードスケジュールをこなした自分たちを労いたくて、一刻も早く温泉に漬かりたくなった。これまで一生懸命歩いてきたので気付かなかったが、バスに乗った瞬間、自分たちの汗臭さが周りの迷惑にならないかちょっと心配になった。

「早く源泉かけ流しの温泉に入りたいね」

 体を労わるのも重要だが、体中の汗をきれいに洗い流して、今夜のビュッフェに臨みたい。

「飲み放題って、何が飲めるかな」

「コーラはあるんじゃない」

 弟ダヌキは嬉しそうに、首をたてに何度か降って、ビュッフェに期待を膨らませた。

「やっぱりマグロがとれるから、海鮮を食べないとね」

 親ダヌキたちは、タイやマグロやエビなどの海鮮が、美味しそうに氷の上に寝そべって誘っている絵を想像して、喉が鳴るようだった。

「フライドポテトもあるかな。オレ、メロンソーダも飲みたい」

 世界で一番美味しいものはマクドナルドのフライドポテトと思っている兄ダヌキは、こんなところに来てもフライドポテトが食べたかった。

 タヌキ一家が、今夜の御馳走を想像しながらバスから亀の形をかたどった船に乗ると、船はホテル浦島へと乗り入れた。時刻は午後4時になろうとしていた。

亀の形の船でホテル浦島へ

第4章 温泉はスポーツだ!

 木曜日なのにホテル浦島のロビーは結構混んでいた。母ダヌキと子ダヌキたちは、荷物を椅子に置いて、父ダヌキがフロントで手続するのを待つのに時間が長く感じた。

 ようやく手続きが済んで、明日の朝の朝食の時間を決め、弟ダヌキの子ども用の浴衣のサイズを選んでもらい、3階の宿泊する部屋へと向かった。

「海が見えるね」

 半島にあるホテルなので、全部の部屋がオーシャンビューなのだろう。さっき亀形の船で来た船着き場が窓から見えた。

「とにかく、浴衣に着替えて温泉に行こう!」

 タヌキたちは、汗で体に張り付いたTシャツとジーパンをハンガーにかけると、部屋に設置してあった消臭スプレーをかけ、亀の絵の浴衣に着替えて温泉に入りに行った。泊まる前から決めていたのは、一番遠いところにある玄武洞という天然洞窟風呂に、最初に入りに行くことだった。

「さっきフロントでもらった館内の地図の裏に、温泉巡りの記念スタンプを押すところがあって、4つのお風呂を制覇すると記念品がもらえるらしいよ」

 もらえるものはもらっておこうというのがタヌキ一家の信条で、

「玄武洞の近くに磯の湯っていうのもあるから、夕食前に二つは入れるね」

 と、温泉に浸かって体を休めるつもりが、スタンプラリーのせいでスポーツをする感じになってきた。

 タヌキたちが泊まっている本館から玄武洞があるところは別の館にあって、一度外に出て日昇館という建物に入って行く。外の通路を渡る時、強烈な海のむわっとする臭いが暑さを伴って鼻を突いた。暑さと臭いに少しでも長く接したくないタヌキたちは、急いで玄武洞のある館へ入った。玄武洞へ行く途中、様々な土産物や自販機、ゲーム機が通路に所狭しと置いてあったが、ゲーム機は午後6時からできるようだった。そこから、館内の案内に従って、奥へ奥へと向かって行くと、階段を下りて湿ったような通路を通り抜けた突き当りに玄武洞があった。ホテル浦島にくるお客は、洞窟風呂がお目当ての人が多いらしく、本館から遠く離れた玄武洞にはまあまあの人が入りに来ていた。天井から壁まですべて天然の岩で囲まれており、唯一海の方だけ開けていた。母ダヌキの女湯は、洗い場のすぐ側のお湯はそれほど濁りが無いが、海のすぐ側のお湯は黄色みが強くて、温泉の効果も濃いのではないかと思って入りたかったが、1人の人がずっと海の側の場所を独占していて、結局その隣の湯(白い濁り湯)までは行けたが、海を間近で見ることができないまま上がらなくてはならなかった。父ダヌキたちの男湯は、洗い場の側は白く濁った湯で、海側のお湯は透明であった。そのためか、海側の透明なお湯は他のお客がほとんどおらず、タヌキの親子はのびのびと海の側の温泉を堪能できた。

 玄武洞から上がると、時間が午後5時半をまわっていた。さっきの湿った通路を戻っていくと、磯の湯があり、その前に冷水器が設置してあった。

「これはありがたい!」

 お風呂に入りに行って汗を流すたびに、次から次に体から汗が流れていくので、水分補給は重要であった。

「磯の湯も浸かってスタンプを押して部屋に帰ろう」

 水分を補給して体を中から冷やし、磯の湯へと入ると、さっきの玄武洞とは違い、脱衣所にはほとんど人がいなかった。温泉に入ると、さっきの洞窟とは違い、普通のお風呂であった。でも、お湯の説明では、このホテルのお湯の中でも特に効能が多く湯治に最適とあったので、磯の湯の効能を独り占めするつもりで、ゆったりと浸かった。

 磯の湯から出てくると、タヌキ一家は汗を流してきれいになったというよりは、温泉で暑さにやられて少しフラフラになっていた。なんでもそうなのだが、いいと思うとやり過ぎてしまう傾向にある。

「よし、次は夕飯のビュッフェが待ってるぞ」

 磯の湯前の冷水器で、もう一度水分補給して、頑張って自分たちの部屋に戻ったタヌキたちは、温泉セットの入った籠を置くと、浴衣の襟を正してお楽しみの夕食ビュッフェ会場へ向かった。

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