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タヌキの親子見聞録 ~萩往還編③~ 佐々並市~明木市
第1章 憧れの一升谷の石畳
2022年8月7日日曜日は朝からいい天気であった。タヌキ一家は、父も母も仕事が休みのため、萩往還第3弾となる佐々並市から明木市のルートを本日決行することとした。このルートは、母ダヌキが一番歩きたいと思っていた「一升谷の石畳」がある。香山公園前観光案内所でもらったパンフレット「歴史の道 萩往還 ルートマップ」の3・4ページにも一番大きな写真で載っており、今から歩いた感じがどんなふうかワクワクしている。
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朝9時に佐々並市の西岸寺駐車場に降り立つと、前回確認したスタート地点である青い看板「歴史の道 萩往還 千持峠まで0.9km」に向かった。
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そこが今回のルートの始まりである。前回の旅も暑かったが、今回の旅も暑くなりそうであった。ただ、前と違うのは、アスファルトの道ではなく森の中を歩くことが多いので、前よりは暑さに耐えられるのではないかということだった。「じゃあね」と父ダヌキに手を振ると、親子3人は青い看板の先にある民家裏の石畳の道を山のほうへと歩き出した。
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父ダヌキはゴールである「明木橋」付近にて車で待っている予定である。父ダヌキの協力により、「今回は帰りが楽だ」と少し気が楽になっている母ダヌキとは対照的に、「またこんな暑い中歩かされるのかよ」と半分やけっぱちに先頭を乱暴に歩き出した兄ダヌキ、そのあとをあまり何も考えずついていく弟ダヌキ。タヌキの親子の黒い影が、朝9時とは思えないギンギンに照りつける太陽の光の下、森の中へと消えていった。
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第2章 いきなり自然の洗礼を受ける
佐々並市から明木へ向かう萩往還は、実際に歩いてみると国道沿いにある割にしっかりと山道であった。先ほどの青い看板から3分もたたないうちに、背の高い木に囲まれた木陰の道を歩くことになった。少し踏み込むと、またきれいに整備された石畳が出てきて、そこを2分ぐらい上ると、また普通の山道となった。
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すると、先頭を歩いていた兄ダヌキが突然「うわぁ~」と叫び声をあげた。「トンボが口に入った‼」と気持ち悪そうに唾をぺっぺっと吐いた。暑さと湿度がひどく、坂道を上るのにもつい口を開けてしまうのだ。母ダヌキと弟ダヌキは驚くのと同時に笑って、気を取り直して進もうとしたら、目の前を森の中から出てきたイノシシが勢いよく横切って行った。タヌキの親子は驚きすぎて、声もなく、イノシシが横切って行った場所を少しの間まじまじと見ていた。
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我に返ると、「もう帰りたい!」と兄ダヌキが叫び、弟ダヌキは青い顔をして後ずさった。母ダヌキも少し後ずさりしたが、始まって10分もたたないうちに起きた出来事であり、帰るといっても父ダヌキとはすぐ連絡がつかないと思われた。ここにこうして立ち止まっているほうが危ないとも思われた。「帰るんなら帰っていいよ。お父さんには迎えに来るように連絡するから、ここから佐々並市へ戻って待っていたらいい。お母さんは行くからね!」と、母ダヌキは大きな声で恐怖心を払いのけるように子ダヌキたちに言った。これは萩往還の旅を続けるかやめるかの瀬戸際だとも思った。母ダヌキが恐怖心を抑えて、坂道を一歩ずつ上りだすと、子ダヌキたちも渋々母ダヌキについて上り、さっきの場所から早く離れるために母ダヌキを追い越して歩いて行った。またイノシシが出てきてはたまったものではないと、10分以上蒸し暑い中休憩することなく歩いて「千持峠」に着いた。
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急いで上ったので水分補給をして、先に見える下り道を進んだ。萩往還の右手に「落合休憩所」が見えてくると、大きな木が無くなり明るくなった。進む道の向こう側に、林を挟んで国道262号が見える。「さっきのイノシシ、写真撮ればよかった」「肝が冷えたね」「突進してくるかと思った」など、イノシシのことを思い出し、この旅の中で一番の恐怖だったと話しながら田んぼに挟まれた道を下って行った。萩往還はもっと下に行く道があるが、その前に立て看板がしてあり「この先の萩往還は、イノシシ被害により、通行に危険な箇所があります。おそれいりますが、迂回路(舗装道)をご通行ください。」と、迂回路の案内が出ていた。「もう出たよ」と言うと、もっと早く教えてほしかったと思いながら迂回路を進むタヌキの親子であった。
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第3章 国道262号線沿いの萩往還
迂回路を進むと、また青い看板があり「歴史の道 萩往還 竹林道路公園へ」とあった。迂回路の舗装道のあとは、草むらの道を歩くようになった。草むらの道と言っても、どこもきれいに刈ってあり、大変歩きやすかった。迂回路から5分ぐらいのところに、国登録有形文化財「落合の石橋」があった。この刎橋(はねばし)は、石組の両岸から片持梁の役割を果たす柱状の石材が桁として突出し、その上に板石をのせており、刎橋の中でもこの橋梁型式は山口県特有のものとされる。人馬の往来でにぎわった、幕末の萩往還の様子を偲ばせる貴重な建造物である。
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そこから、草が刈られた道を進むと、イノシシ対策ための柵が閉まっていたので、ご近所の方に通行していいか許可を取って、柵を開けて萩往還の道を進んだ。田んぼ沿いの萩往還の道は、これまでも国道262号線を車で通るときに見ていたが、実際に歩くのは初めてであった。山側に木の柵がしてあり、「萩往還」と大きく白字で看板が立ててあった。併せて、青い看板でも案内があり、2kmはあるこの萩往還は、歩く人が心地よいようにきれい草刈りがしてある。子ダヌキたちも、蒸し暑くて辛い道であったが、草がきれいに刈ってあったので、途中サワガニを見つけたりして、楽しみながら歩いていた。この長い区間を、きれいに草刈りをして管理をするのは、並大抵の作業ではない。管理をされている方たちに本当に感謝したいと思った。
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田んぼ沿いの道が終わり、国道262号線にぶつかると、少しの間、国道を歩いた。向かい側に青い看板が見えたので、車に気を付けて渡ると、速度違反の取り締まりをしていた警察官のおじさんが、「さっきお父さんが来たよ」と子ダヌキたちに教えてくれた。(決して父ダヌキが速度違反で取り締まられたのではない。父ダヌキは、萩往還を先回りして各名所を巡っているのである。)取り締まりをしている個所から少し山道に入ったあたりに「七賢堂の展望台(竹林道路公園)」があり、寄り道をして登ってみると、とても遠くまで景色が見渡せた。萩沖の漁火が見えることもあるらしい。
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そこから竹林を下っていくと、民家があるところに出た。「中ノ峠下一里塚」「御駕籠建場跡」を通り過ぎると、青い看板に導かれて「一升谷の石畳」のほうへ向かっていった。出発から1時間半が経過していた。
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第4章 写真とは違った一升谷
萩市のぐるっとバスの釿(ちょうの)切(ぎり)バス停から国道262号線の下をくぐって、「一升谷の石畳」がある「五文蔵峠入口」に着いた。
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ここからは山に入っていく感じになる。母ダヌキがパンフレット「歴史の道 萩往還 ルートマップ」を確認すると、8ページの「五文蔵峠(一升谷の十合目)」のところに赤字で「マムシ・熊に注意」と書いてあったり、峠の入口の看板に「携帯電話の電波がつながりにくい」という注意書きがあったり、不安になる要素がたくさん出てきた。「今日は朝からイノシシも出てきたし、熊だって出る可能性はあるな」と母ダヌキは山に入るのをためらう気持ちもあったが、「『一升谷の石畳』を見たい」という思いのほうが強かった。「よし熊が出るといけないから、声出して行こう‼」と子ダヌキたち檄を入れ歩き出した。兄ダヌキは「恥ずかしいからやめろ‼」と怒って母ダヌキに文句を言い続け、弟ダヌキは第2弾の旅でも歌った「さんぽ」の替え歌を大きな声で披露した。そうしているうちに、「五文蔵峠(一升谷の十合目)」に着いた。
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そこから「明木市」方面へ向かう道は石が崩れ、でこぼこし過ぎて何度も滑って転びそうになった。石がごろごろしている急な坂道をある程下ると、「一升谷と石畳」という説明書きが立ててあり、「一升谷は、明木市から釿切(ちょうのぎり)まで約3kmの上り道で、昔から長く急な坂道のために、この坂にとりかかって炒豆を食べ始めると、登りきるまでにちょうど一升なくなることから、このように呼ばれたといわれている。」という説明が書いてあった。雨の被害で崩れたのか、パンフレットの写真とは全く違う道だったため、「さっきのデコボコ歩きづらい道はあの『一升谷の石畳』だったのか⁉」と驚くタヌキの親子たちだった。あまりにも違い過ぎて同じものとは思えない状態であった。明木市へ下ったからこのぐらいで済んだが、佐々並市へ向かう上りだったら大変な坂道であった。母ダヌキはとても楽しみにしていた「一升谷の石畳」が無残な姿で、歩いているときには気づくこともできず、とても残念に感じた。せっかくパンフレットにも大きな写真で出ている看板のような存在の坂道なので、早く修復してほしいものだ。
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説明の看板から少し下ると「根の迫休憩所」があり、道も石畳ではなくただの山道となった。一合降りるごとに印があり、左側に流れる川の流れも山を下るごとに緩やかになるようであった。途中、山の中に白い看板が飛んでいるので持ち上げてみると、「町田梅之進自刃の地」と書いてある説明書きの看板であった。これも昔はきちんと立ててあったのだろうが、台風のためか劣化のためかあらぬ方向に飛ばされていた。
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だんだんと坂を下りていくと、熊出没の恐怖心が薄れ、長く歩いた疲れと暑さが兄ダヌキをイライラさせた。「もう疲れたぁ~帰りたい~」と母ダヌキに訴えだした。「明木市に着いたらジュース買ってあげるから」と励ましながら、木陰の山道を急いだ。坂を下りきって、アスファルトの道に出たときには、出発から2時間半が経過していた。
第5章 明木橋のたもとで待つ
タヌキの親子一行は、熊出没の危険のあった「一升谷」から無事「明木市」に着いた安堵感から、どっと疲れが出たように感じた。
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「明木市」は、萩往還の完成とともに宿場町として栄え、駅がおかれ明木宿とも称していたという。明治24年(1891年)の大火で家並がほとんど焼失したため、集落は復元したものの近世の宿場としての景観や記録を失って現在に至っている。その「明木市」をタヌキの親子は、真夏の正午の殺人的な暑さのアスファルトの上を、浮浪者のようにふらふらと自動販売機を求めて歩いた。
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目指すは「明木橋」なので、その途中で自動販売機があれば飲みながら進める。「おっとうはどこなんか?まだ迎えに来んのんか?」と、兄ダヌキは父ダヌキが車で現れないことにイライラしだした。母ダヌキは父ダヌキに「明木市」に着いたことを報告し、明木橋の渡ったところで落ち合おうと伝えた。弟ダヌキは、小さな体に長距離歩行と暑さがこたえたのであろう、山の中ほど元気がなく無口で赤い顔をして歩いている。「ジュース買って早く飲もうね。あと少しだから頑張って歩こう。」と声をかけながら歩いた。初めて歩いた「明木市」はちょうど日曜日の昼時だったためか、人はほとんど歩いていなかった。建物は昔の病院か郵便局だろう、レトロな風情があり母ダヌキは興味を持ったが、兄ダヌキの文句と弟ダヌキの真っ赤な顔が、「『明木橋』へ早くいかなくては」という気分にさせて、ゆっくりと周りを観察することができなかった。
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もう少しで橋のたもとに着くというところで、酒屋さんの前に自動販売機を見つけた。「俺、コーラ!」、「俺はねえ、桃の炭酸のやつ!」と兄弟はそれぞれに好みのジュースを買ってもらい、「明木橋」を渡り切りゴールした。
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萩往還(佐々並市~明木市)の旅は約9kmで3時間の旅であった。橋のたもとでジュースを飲みながら記念撮影をしていると、父ダヌキが車でやってきた。「どこ行っとたんか!」と兄ダヌキにすごまれ、父ダヌキは、「萩城とか次のコースの下見をしていた」と答えた。「え~、まだやるん」と兄ダヌキは帽子をとり、頭をかきむしった。母ダヌキと子ダヌキたちが車に乗ると、「汗臭い」と父ダヌキが言った。そんな苦情はどこ吹く風で、萩往還第3弾の旅を終えた3人のタヌキたちは、車は便利だなとエアコンのきいた車内でくつろぐのであった。