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タヌキの親子見聞録 ~萩往還編⑥~ 鳴滝~英雲荘(三田尻御茶屋)
第1章 恐怖の勝坂トンネル
昨日、萩往還第5弾の山口市の瑠璃光寺五重塔から鳴滝のバス停まで歩き、本日は父ダヌキに車で鳴滝バス停付近まで送ってもらい、朝の8時前から防府へ向けて最後となる萩往還第6弾を決行した。第6弾のルートは、鳴滝バス停から防府市英雲荘まで歩く。香山公園前観光案内所でもらったパンフレット「歴史の道 萩往還 ルートマップ」の13ページを見ると、山口市から防府市へ超えるのにトンネル付近を渡るようであったので、どのようにわたるのかインターネットで調べてみた。どうやら、「勝坂トンネル」の上を渡って防府市へ入るのだが、この「勝坂トンネル」は心霊スポットとなっているらしい。前回萩市の「鹿背隧道」でも怖い思いをしたので、もしかしてと思ったのだが、しっかり心霊スポットとなっているらしい。「本日の予定の中で最大の山場は、この『勝坂トンネル』を無事通り過ぎることだな」と母ダヌキは一人静かに緊張していた。怖いのが苦手なくせに、怖いもの見たさでいろいろと調べてしまったせいだ。
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鳴滝からスタートして、国道262号線を少し歩き、萩往還の青看板を探すが見当たらない。10分ぐらい歩いて近所の人に聞いてみると、一本中に入った道が萩往還だということだったので、途中で右手に曲がって一本奥の道を歩いてみる。
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途中ローソンでトイレ休憩をして、再度道に戻り歩き始めると「歴史の道 萩往還 禅昌寺入口まで500m」という例の青看板を見つけた。「この道で間違いないね」と言いながら、タヌキの親子は住宅街の中の道を歩き進む。「禅昌寺入口」では萩往還の石柱があり、併せて青看板が立っていた。「鯖山峠へ2km」とある。その峠には「勝坂トンネル」があるのだ。「あと2kmか」と思いながら母ダヌキは、リュックを背負いなおして田んぼ沿いの道を進んだ。「勝坂トンネル」のほうから朝日が指してきて、とてもいい天気だった。「いい、これから国道を渡って、トンネルの上を歩くからね」と、緊張しながら伝える母ダヌキの気持ちも知らず、子ダヌキたちは朝日の中を元気よく歩いていく。
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「禅昌寺入口」から10分以上歩くと、再度国道262号線にぶつかる。そこから少し歩くと横断歩道があるので、そこを渡って国道262号線の反対側へと渡った。9時前なのに太陽がサンサンと照りつけていい天気だ。「洞道北口」と言うバス停から少し行った左手の空き地に、目玉が二つと「みちょるぞ」という文字が黒字で書いてある赤い看板があった。「なんじゃこれ」と言いながら、その先の案内板などがある駐車場へ行くと、そこにも「みちょるぞ」看板がある。どうやら、ごみの不法投棄を禁止する看板らしい。ついつい「勝坂トンネル」のことばかり考えている母ダヌキは、別の何かに見られているように思えて、不気味な看板がさらに輪をかけて不気味に思えた。
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駐車場を過ぎていくと、左手にトンネルを越していける道があった。その道の入口には、萩往還の石柱と「歴史の道 萩往還」の説明板があり、その少し後ろに幽霊が出るという電話ボックスがあった。
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第2章 思ってたのと違う
トンネルを越せる坂道を上ってみると、最初はどんなに恐ろしい場所かと怯えていたが、全く違っていた。道の端にかつては耕されていた田畑があったり、緑の中に唯一色を添える椿が美しく咲いていたり、木々に囲まれて少しきつめの傾斜の坂道を、一生懸命一歩ずつ上っていくにつれて、本当の姿が見えてきた。多分、萩往還第6弾のルートの中で、一番標高が高く歩くのに難所であったと思うが、自然に囲まれた山道は、とても清々しいものであった。
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山道を抜けると、「従是北吉敷郡」と「従是南佐波郡」と刻まれた郡境の碑があり、道を挟んで向かいに「明治天皇の碑」が建ててあった。山の中にポツンと「明治天皇の碑」があり、その周りには萩往還の石柱と説明板、例の青看板も建っており、「歴史の道 萩往還 三田尻御茶屋(英雲荘)7650m」とあった。9時を少し過ぎた頃だったので、ゴールするのは11時ぐらいかなと思いながら、そこから続く坂道を下って行った。
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上りの時には出会わなかった車に遭遇するようになり、車の走る音も大きくなったので、坂道から右手を見てみると、国道262号線が見えた。「勝坂トンネル」の暗い入口も見えた。あれだけ恐れていたトンネルだったが、何も起こらず、無事に渡れてよかったと、大きく息をつく母ダヌキであった。(でも、家に帰って写真やムービーに何か写ってないか確認しようとは思ったが)
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国道262号線に合流すると、歩道橋が見えてきた。パンフレット「歴史の道 萩往還 ルートマップ」の16ページには、この歩道橋を横断するように書いてある。この歩道橋を渡る前に「おろく塚」があった。「おろく塚」とは、この旧街道沿いに茶屋や煮売屋などが軒を並べて繁盛していた中に、「板橋のおろく」と言う類まれなる美人のいる店があった。それが評判となって、行きかう旅人もこぞって、その店に立ち寄り、この近辺に住む若者たちも、おろくに憧れて、仕事途中などにその店に立ち寄るのを楽しみにしていた。この中に、おろくに恋焦がれて、足しげく店に通いつめた一人の若侍がいた。ある日、募る思いを彼女に打ち明けたが、素気なくはねつけられたため、可愛さ余って憎さ百倍、一刀の下に切り殺してしまったということだ。その後、おろくの霊を慰めるために塚を建てたということらしい。いつの時代も、自分の思い通りにならないことがあると、暴力でねじ伏せようとする輩は大なり小なりいるもんだと、母ダヌキは「おろく塚」に向かって手を合わせた。「早く、こっちよ~」と声が聞こえると思うと、子ダヌキたちはすでに歩道橋の上に上って手を振っていた。
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第3章 蜂は全部危険?
山口市から防府市に入って、一番の大きな変化は、萩往還の案内板だ。どうも、立て看板ではなく、道路に埋め込まれているものが主流らしい。しかも色は白と言うかベージュと言うか、あまり目立たない色で、道路の上をよく目を凝らさないとわからない場合がある。「まあ、こっちのほうがお金がかからないからいいのかな」と母ダヌキは思ったが、少しわかりにくいなとも思った。自治体によって、萩往還にかける予算額の違いが、こういうところに顕著に表れているようにも思われた。
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歩道橋を下りて、道路上にある案内をたどっていくと、国道262号線から外れて、住宅街の中の道へと進んでいった。春真っ盛りで、この萩往還を始めた1日土曜日から、ずっと黒と黄色のふさふさな毛に覆われた、ずんぐりむっくりとしたそら豆ぐらいの大きさの蜂が、「ブーン、ブーン」と羽音をたてながら、あちこち飛んでいるのを見た。多分クマバチであろう。再度、国道262号線に合流すると、歩道の壁に「勝坂砲台跡」の説明板が打ち付けてあった。その先を、道路上にある標識に沿って曲がると、青看板と萩往還の石柱と説明板が現れた。説明板には、この勝坂に、幕末、藩庁が萩から山口に移された際、山口の防備のため砲台が築かれたと書かれていた。国道そばの石垣は、一部改修されたものだが、上の台場には石垣や土塁の一部が残っているらしい。そこから剣川に沿って住宅街に入っていく。この地域は、川の急流を利用して水車が設けられ、精米などの水車業が盛んにおこなわれていたという。
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住宅の中の道を行くと、岩がところどころ露出した山が屋根の向こうに見える。萩や山口では見ない特徴的な山だ。その道には、案内の看板も道路標識も見当たらなかったので、ご近所の方に聞いてみると、この道をずっと下っていけばいいということだったので、信じて歩き続けた。途中、クマバチが道の上でじっとしているので、死んだのか見ていると、やってきたおじいさんが「蜂か。蜂は全部危ない」と言って、タヌキの親子が見ている前で踏み殺してしまった。「その蜂は危なくないと思いますよ」と言ったのだけど、おじいさんは安全のために殺してしまった。少し悲しい気分で蜂に手を合わせ、先を急いだ。ふと周りに目をやると、道にお地蔵さんが祭られている。少し行くとまたお地蔵さんがある。お地蔵さんがある度に、帽子を取って拝んでいった。萩往還踏破が無事成功するようにと、蜂の冥福をタヌキの親子は祈った。
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第4章 どうする?タヌキの親子
緩やかな坂道を下ると剣神社があった。簡単にお参りして、道を歩き出すと、すぐ傍の公民館の敷地に、青看板と萩往還の石柱、説明板があった。「この道で間違いない」と、萩往還を歩いているか不安になっていたタヌキの親子は安心し、先を急いだ。この先もずっと何の変哲もない住宅街が続いている。
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10分ほど歩くと道路上に萩往還を案内する標識が現れた。地下道をくぐって、国道2号線を渡るルートを案内している。道路標識は、黒い字が薄れているところもあり、多分雨の日だと見えなかったのではないか。幸い天気が良く、道路標識が見やすかったので、無事に船橋の萩往還標識までたどり着くことができた。ここから川を渡る。江戸時代には木橋が設けられていたが、洪水のたびに流出したため、享保2年(1741)6艘の船を並べて板を渡した総延長約38mの「船橋」が作られ、昭和16年8月まで約200年間存続していたらしい。船橋の萩往還標識で記念撮影をして、橋を渡った。
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10時を過ぎ、トイレにも行きたくなってきた。「おなかすいた」「マックのポテト」と、子ダヌキたちも朝早くから歩いていたので空腹を訴えだした。どこか食べるものが買えないか、ルートマップを見てみると、橋からずいぶん離れたところにセブンイレブンが書いてあるのみである。「マックが見当たらない。どうしよう」と、歩きながら考えていると、目の前にローソンが現れた。「からあげくん食べようか?」と聞くと、二つ返事で「マックのポテト」から変更できた。ローソンに入り、トイレを借りて、からあげくんを3種類購入し、お店の人に「萩往還はこの道を行けばいいですか」と確認をすると、「このまままっすぐ行って、セブンイレブンがあるからそこを左折したらいい」と教えていただいた。ローソンの駐車場で、からあげくん3種類(レギュラー・北海道チーズ・レッド)をみんなで分けながら食べて、再出発した。歩き出してすぐセブンイレブンが見えてきた。その前に青看板と萩往還の石柱、説明板があった。青看板には「歴史の道 萩往還 この先左折 三田尻御茶屋3250m」とある。その通りに左折して歩いていくと、道の傍らに、石でできた萩往還の説明板があった。ここは旧山陽道とも交わる場所らしい。歩き進めると、「山頭火ふるさと館」が右手に見えてきて、さらに進むと防府天満宮前の「観光拠点 まちの駅 うめてらす」があった。防府天満宮参道前で記念写真を撮ると、時計が11時を指していた。予定よりも随分と時間を食っている。帰りに乗る電車の予定時刻が12時半なので、急がなくてはならない。「どうする?ここでやめて別の日に萩往還再開する?」と、母ダヌキは子ダヌキたちに聞いた。ここからまだ3kmは歩かなくてはならないのに、時間も力も余裕がないように感じられたからだ。「また来て歩くのは嫌だ」「最後まで行こう」と子ダヌキたちは、弱々しくもファイトポーズをとる。「よし!今日最後まで行こう‼」タヌキの親子は最後の力を振り絞りゴールを目指すことにした。
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第5章 ついにゴール。しかし・・・
防府天満宮前の天神通りを三田尻港方面へ歩いていくと、赤く塗られた「らんかん橋」があり、傍らには桜が満開の中、萩往還の石柱と「らんかん橋」の説明板があった。
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大きな通りを渡ると、天神商店街があった。11時を過ぎた月曜日の商店街は、人通りがほとんどなく、やや高齢の女性たちが3~4人それぞれの店の前で、足ふきマットを洗ったり、店舗の床を掃除したりしていた。防府天満宮前と比べると、とても寂しい場所であった。そこからさらに進むと、防府駅近くの高架下に萩往還の石柱と説明板があった。高架下の壁は、城下町のような萩の白壁を模したものだった。そこからさらに商店がちらほら並ぶ道を歩いていくと、歩道にオレンジ色と白色で「萩往還」と道路標識のように書かれていた。これから先は、このような案内表示となるのだなと思い、歩き続けた。
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その通りの右側に、桜がたくさん咲いている場所があった。「妙見神社」である。時間が無い中、お参りだけでもと、桜並木をくぐってお参りした。神社を出るときに、提灯飾りの付いている左手側を見ると、水のほとんどない池の中に、カメが沢山寄り添うように日向ぼっこ(甲羅干し?)していた。ゆっくりと眺めている暇がないので、「うわっ」と驚きながらも、元の道に戻り、ゴールを目指す。
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カメから5分くらい進むと萩往還の石柱があった。そこから10分以上道を歩くのだが、萩往還の道しるべが見当たらず相当不安になった。ルートマップにはセブンイレブンや松原児童公園などが載っていて、それらしいものと一致するので、多分この道でいいだろうと思い進むのだが、やはり案内の看板などが無いと不安なので、見やすいところにあったらいいなと思った。そしてルートマップにある道標らしきものを見つけ左手に曲がって、さらに進んでいった。
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そこからの道は、疲れもあってか、全く案内板等を見つけることができず、迷いながら進み、とうとう大きめの道に突き当たってきょろきょろとあたりを見回して探すと、ようやく「英雲荘」という標識が見えたので、そちらに向かいゴールの英雲荘(三田尻御茶屋)に到着した。12時前に到着し、約3時間かけて15.5km、全萩往還のルートで最長の移動距離となった。ルートマップを見ると、まだ先に「三田尻御舟倉跡(案内板)」があるように書いてあったが、時間的にも体力的にも限界に達していた。英雲荘から防府駅まで、最後の力を絞り出して歩いた。電車が来る10分前に防府駅に到着し、新山口駅で乗り換えて、山口駅まで戻った。父ダヌキは仕事中であったが、タヌキたちが限界に達していることを察して、1時間時間休を取り山口駅まで迎えに来てくれ、タヌキたちを巣までと運んでくれた。
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最後の英雲荘は、月曜日が休館だったため門の中に入れなかったし、萩往還の最後は海の傍だと思っていたので、それも思っていたのと違った。おそらく力が無くて行けなかった「三田尻御舟倉跡(案内板)」が、本当の萩往還最終地点であったに違いないと、母ダヌキは残念に思った。(ルートマップ上では、英雲荘が終点となっている)しかし、今日はもうお風呂に入って寝ないと死んでしまうと思い、タヌキの親子3人は近いうちに防府編おかわりを希望して、カップラーメンを食べて就寝した。いや、おかわり希望は母ダヌキのみで、子ダヌキたちは再び萩往還防府編に連れ出されるとは夢にも思わないまま眠りについた。