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タヌキの親子見聞録 ~萩往還編~ 外伝 肆 防府編おかわり
萩往還完結編である第6弾 鳴滝~英雲荘が、タヌキたちの体力不足のため完璧でなかったので、英雲荘(三田尻御茶屋)周辺を再度散策してみることにした。とりあえずタヌキの親子のバイブルであるルートマップ15ページを参考に、萩往還ができた頃の海岸線沿いにあった「三田尻御舟倉跡」へ行ってみた。
「三田尻御舟倉跡」は防府市記念モデル児童遊園の近くにある。この日は日曜日で、家族連れが園内で遊んだり、ベンチでお弁当を食べたりしていた。弟タヌキもついて早々ターザンロープで遊んでいた。萩往還おかわりをする前に、3回ぐらいやっていたが最後は思いっきりしりもちをついていた。
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遊園を通り過ぎて、もう一つの園入口から出ると、左手にため池がある。そこが「三田尻御舟倉跡」となっている。ため池の傍に萩往還の石柱や説明板が建ててあった。
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ここから第6弾の目標地であり、萩往還の終点とされている「英雲荘」まで歩いてみることにした。
まずはため池から路地のほうへ歩いてみる。防府市での萩往還の案内は、道路の上にあるベージュ色の道路標識のようなものである。第6弾の終盤では、ほとんど体力が尽きてしまって、案内がどこにあるかわからなかったので、見つけてみようと思う。
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「三田尻御舟倉跡」から普通の住宅街の路地を歩いていく。「英雲荘」の方向へ標識を見つけることができないまま歩き続けると、大きな道にぶつかった。第6弾の最後にぶつかった大きな道である。その通りの右側を見ると「英雲荘」と書いてある例の標識が現れた。
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「英雲荘」の周りの生け垣をよく見ると、萩往還を案内する青看板があった。本日は土曜日で、「英雲荘」は開いている。前回は入れなかったため入口へ近づいてみる。「英雲荘」は開館中とあるが、人の気配がほとんどなかった。
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歴史的な建物で、庭も美しいのだが(入館まではせず、隙間から見えた)、知名度がいまいちなのか、観光客の姿は一人も見えなかった。天気も良くいい場所に建っているのに、誰も入館者がいなくて、管理のための人件費が無駄な気がした。こんなことなら山口市の瑠璃光寺五重塔のように、ご近所の方や、防府天満宮などのほかの観光地目当ての人がついでに寄っていけるような場所にしたほうが、萩往還の史跡としての「英雲荘」の在り方としてよろしいのではないかと思った。私たちが周りを散策していると、車が入ってきたが、管理している人の弁当を運んできたのか、お弁当屋さんが何個か弁当の入ったビニール袋を持って入館していた。
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そこから出て、道標のあたりまで萩往還をたどってみることにした。第6弾の時に見えなかった萩往還の看板等が、あるかどうか確かめてみたかったのだ。「英雲荘」の外には萩往還の石柱と説明板があった。第6弾では通ってない道なので、ここが本当のルートだったのかと、ルートマップと見合わせながら歩いた。
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説明板のある道から右手に曲がると、第6弾で最後に通った道に出た。その道をまっすぐ歩くと、道標にたどり着ける。歩いていくとその道の右手に、桜の花がよく咲いた場所が見えた。今日は体力があるので、右に曲がって寄り道してみる。どうやら神社らしい。石橋を渡って入る鳥居の上に「老松神社」とあった。桜は満開を過ぎて、散り始めていたのだが、その奥には木々が緑の新緑をきれいに茂らせていた。中でも奥のほうに、とりわけ大きな木が、薄緑の葉を太陽の下できらきらと茂らせていた。木の根元にある説明板に、「老松神社のクスノキ」と書かれていた。大きな幹は約9mあるということで、県内では幹囲において、「川棚のクスの森」にある木に次ぐ巨樹であるらしい。こんなところで、こんな大きな木に出会えるとは思わなかったので、とてもうれしかった。母ダヌキは大きな木があると、その木の力を分けてもらうために、いつも幹に触らせてもらう。今回も「力を分けてください」とお願いして、幹にそっと手を触れた。
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神社から、萩往還へ戻る。道標の近くに「野村望東尼終焉の宅跡」があった。門から中へ入ると、入るのが憚られるぐらい、本当にふつうのお宅の傍に史跡の石柱と説明板があった。そこから、道標を右手に曲がり、どこに萩往還の案内があるのか歩いて探す。第6弾の時には、このあたりには何の案内も無かったので、とても心細い思いをしたのだ。
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道の右側を歩いて、セブンイレブンあたりまで歩いてみる。途中で、セブンイレブンがあるほうに渡るため、道の左側に移る。その時、ふと道路上を見ると、オレンジ色と白色の萩往還の道路標識を、道路上に見つけた。どうやら、第6弾の時に歩いていたのが、道路標識が無いほうの歩道を歩いていたので気が付かなかったらしい。道路上にあり平面的なため、道のどちら側を歩くかで、案内が見つかりにくいことがあるようだ。見つけたほう側の道を通って「三田尻御舟倉跡」方面に進むと、オレンジ色と白色の萩往還の道路標識を見つけていくことができた。
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そこから「三田尻御舟倉跡」へ、道路上の案内を見つけながら戻った。
「英雲荘」の近くからベージュ色の案内標識になり、そこから最後まではベージュ色のままだった。
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防府市では、あまり萩往還に関することには力を入れていないように感じた。やはり防府天満宮が有名なので、防府天満宮付近一帯が一番の観光地となっている。しかし、萩往還と言う素晴らしい史跡もあることを忘れず、もっと多くの人に知ってもらうように、何か工夫をしてもらえたらと思った。
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