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タヌキの親子見聞録 ~熊野古道編⑧~


第1章 ビュッフェ占い

 ビュッフェ会場は、玄武洞があるのと同じ日昇館のレストラン「サンライズ」というところであった。タヌキ一家が予約の午後6時半の10分前に着くと、もう何組か並んでいる人がいた。受付を終えて会場に入ると、すでに午後6時から食事を始めている人があちこちで食事をとっていた。

「せっかくだから海が見える席で食べたいね」

 タヌキたちは、海が見える席を探して奥へ奥へと向かった。奥から3席目あたりで空いたテーブルを見つけたので、そこに座ると、自分たちが食事中であるというのがわかるカードをテーブルに置いて、各自自由に食事を取りに行った。

 ビュッフェは人の性格を現すという(タヌキの個人的意見です)。テーブルに持ち帰った食べ物を見ると、兄ダヌキは皿のメインの場所は空っぽで、その周りの小さなところに、フライドポテトとトウモロコシとお肉と、別皿に熊野牛のカレーライスを半杯とお刺身のガラスカップを1杯取っていた。弟ダヌキは、炊き込みご飯をお茶碗半分と、プレートのメインにハムを2枚だけと、周りの小さなところにフライドポテト5本ぐらいとミニトマト2個、チーズケーキのキューブ2個、スモークチーズ2個、ブロッコリー2個とコーラを大きなコップ一杯取ってきていた。母ダヌキは、疲れたせいか、メインに水分の多いスイカやライチ、キウイといった果物を取り、小さなところにはチーズケーキや杏仁豆腐、ブラウニーなどのデザートとウナギのかば焼き、甘えび、別皿でお刺身のガラスカップ1杯、マグロの入った冷静ジェノベーゼを取ってきていた。一番多くとっていたのは、意外にいつもは食の細い父ダヌキで、熊野牛のカレーライスと炊き込みご飯を1杯ずつに、シュウマイを一皿、お刺身のガラスカップ2杯、ローストビーフ3皿、プレート皿のメインには、シラスのピザ2枚にサラダ、周りの小さなところには、マグロカツバーガーにラッキョウ、ウナギのかば焼きに豆アジの酢の物、野菜のてんぷらと、山盛りであった。

海が見えるテーブルで夕食ビュッフェ

とにかく、喉が渇いてお腹が空いていたタヌキ一家は、それぞれが自分のペースで一心不乱に食べ始めた。

「オレ、コーラ取りに行く」

 コーラが飲み放題なので、弟ダヌキは何度も席を立ちあがってコーラを取りに行っていた。親ダヌキは、お刺身とお酒と行きたかったが、お酒の飲み放題は別料金だったので、弟ダヌキに見習ってコーラを大人しく飲んでいた。

 楽しみにしていた海鮮は、夏場に大量に鮮魚をいい状態で提供するのは難しいのだろう、夏の気候のせいか生臭い感じが強かった。でも、マグロカツや冷製パスタに添えてあった漬けのマグロはほとんど臭みがなく美味しかった。とにかく、いろんな種類の料理があり、選ぶ楽しみがあるのももちろんだが、ローストビーフや揚げ物、酢の物などの料理は大変美味しく、デザートや果物も豊富で、何度もおかわりをした。母ダヌキや子ダヌキたちが3皿目を持って帰ってきた時には、父ダヌキは、1皿目で炭水化物を取り過ぎたせいで、

「お前らよく食べるなぁ。もうお父さん、お腹いっぱい」

 と、飲み物だけをちょびちょび口にしていた。

 気づくと、タヌキ一家と一緒に入ってきた人はほとんどいなくなり、隣のテーブルの人もそろそろデザートでしめて帰ろうとしていた。

「うちも、そろそろ帰ろうか」

「そうだね、まだ温泉入りに行かないとならないからね」

 と、パンパンになったお腹を浴衣の上からさすって、最後の締めのライチを母ダヌキと兄ダヌキは食べて、弟ダヌキはコーラを飲んで部屋へと戻った。父ダヌキは、最初の一皿でお腹いっぱいになっていたので、その後は、母ダヌキが持ってきたおつまみぐらいの揚げ物を1個ぐらいしか食べられず、もたれるお腹を抱えてヨタヨタと部屋へと戻って行った。

第2章 星降る温泉

 部屋に戻るとまだ午後8時半前だった。ここに泊まったら必ず入っておかないとならない温泉に、まだ入っていないタヌキ一家は、タオルやルームキーを籠に入れて部屋を出た。

 本館の1階のフロント前を通り抜け、食事処が連なる通りを抜けて、奥の方へ歩いて行くと、右手にお座敷の入口のような引き戸が現れる。その引き戸を開けて中に入ると、男女別の温泉の入口が岩のごつごつした洞窟の中に設置されている。

「じゃあ、ここは時間が許すまで入って、あとは、(部屋までの)帰り道にある温泉に入れたら入って帰ろう」

 タヌキ一家は、もう食事などの時間の制約がないので、男女に分かれてこの大きな洞窟の中の温泉に浸かるのに、出る時間の約束をせず入って行った。

脱衣所に入ると、他のお風呂とは段違いで人が多かった。さっきまでお腹いっぱい食事をしていてお腹の出っ張りが気になったので、少し前かがみで洗い場に入って行くと、脱衣所にいたよりも人が少なくて広々としたお風呂場であったので、少し安心して奥の方まで歩いて行った。全体が薄暗い洞窟で、さっきの玄武洞よりも広いお風呂が海に面して横たわっていた。体を洗い流して、さっき入れなかった海に面した温泉に入ると、白く濁ったそのお湯は熱かったが、海から吹く風が少し涼しくて、最初に入った時よりは長く入れそうだった。温泉の中を歩いて海の本当に側まで来ると、波が岩に砕ける音が一定のリズムで聞こえ、温泉に入っているのに海に浸かっているような感覚に襲われ、気持ちよい揺れ感が心に広がった。海沿いの温泉から空を見上げると、暗い海の上には瞬く星が出ており、ほとんど明かりの無いその場所から見える星の光はとても尊く見えた。

 この温泉は、ここで旅館営業が始められた大正初期に紀州藩の嫡流、徳川頼倫公が来遊されて、「帰るのを忘れさせるほど」と褒めて名付けられたらしい。その名は『忘帰洞(ぼうきどう)』。

「うまいこと名付けたな」

 海の波の音と、夜空に光る星を眺めて、風にあたりながら入る温泉は気持ちよく、時間を気にせず入れるこの瞬間を母ダヌキは贅沢に感じた。

 もっとこの時間に浸っていたかったが、午後9時頃になると、寝る前に入りに来る人がだんだんと増えだしたようだったので、他の人も海沿いのお湯に入りたいだろうと思い、ある程度満足した母ダヌキはお湯から出た。

 ちょうど忘帰洞の入口の引き戸の近くにウォーターサーバーがあったので、水を飲んでいると、父ダヌキと子ダヌキたちも出てきた。

「一番良かったね」

 他のタヌキたちも同意見だったらしい。

 それから、部屋に帰る途中にある温泉(男はハマユウの湯、女は滝の湯)に入り、4つの温泉を制覇したタヌキたちは、フロントに寄って、念願の粗品を手に入れることができた。その粗品とは、忘帰洞の薬用入浴剤だった。帰っても、家で忘帰洞が楽しめるということなのだろうが、このロケーションで入る温泉でなければ、忘帰洞とは言えないのではないかと思いつつも、思わぬお土産ができてうれしいタヌキ一家だった。

粗品の薬用入浴剤

第3章 朝食にソフトクリーム

 次の日は、朝早くに起きて、もう一度忘帰洞へ入りに行った。昨夜のお風呂が、男女入れ替わるので、もう1つがどんなお風呂か見てみたかったからだった。朝早いのであんまり人がいないと思っていたが、みんな同じことを考えるようで、早朝にも関わらず多くの人が入浴に来ていた。母ダヌキは、昨日と同じように海辺のお風呂に入ったが、朝日よりも夜空の星の方が好みであった。父ダヌキと子ダヌキたちは、本日のお風呂の方が良かったようで、朝風呂にとても満足していた。

 朝食は午前7時にしていたので、その10分前には昨夜のレストランに並んだ。昨日と同じように海を見ながら朝食を食べようと思って、海沿いのテーブルに着くと、太陽が朝から暑くて、結局カーテンを閉めて食べることになった。

 旅館よしのやの和食とは違って、自分で選んで食べるので、みんな思い思いのパンと、フルーツ、ヨーグルト、コーヒー、牛乳などを取って来て食べた。また父ダヌキが、食が細い癖に、パンと合わせて海鮮茶漬けを欲張って取ってきていた。それにしても、用意してもらって食べる食事も美味しいけれど、自分で様々なメニューがある中で選んで食べる食事がこんなにワクワクするなんて、癖になってしまいそうなタヌキ一家だった。

 パンやフルーツを一通り食べた後、おかわりをしに行った兄ダヌキが何か入ったお椀を持って帰ってきた。

「なにそれ⁉朝からラーメン食べるの⁉」

 美味しそうなチャーシューが入った和歌山ラーメンを持っていたので、母ダヌキと弟ダヌキも真似して取りに行った。それから、隣のテーブルの家族がソフトクリームを食べていたので、

「私も食べる!」

 と、母ダヌキが騒ぎ出し、母ダヌキと子ダヌキたちはソフトクリームを取りに行き、子ダヌキたちはソフトクリームの上にさらにチョコチップとチョコソースをかけて満足そうにしていた。そうして、朝からソフトクリームを食べて、タヌキ一家は朝食を終えた。

 午前8時には朝食を終えて部屋に帰り、歯磨きをしてフロントでチェックアウトの手続きをした。本日は旅の最終日で、熊野那智大社を参拝して昼過ぎには山口へ帰る予定なので、朝一番の送迎バスでレンタカーの停めてある駐車場へ行きたかった。

朝のホテル浦島前の海

 バスに乗り込むと、昨日と同様で8割がた埋まっていた。朝一番のバスに乗れてホッとしたのもつかの間、バスが出発し始めると、雨が窓ガラスを少し叩いた。バスを降りる時にも雨が少しだけ降っていたが、傘をさすほどではないので、急いでレンタカーに荷物を移した。那智山の方だろうか、山の方でモクモクと雲がクリームソーダの泡のように盛り上がってきていたので、不安そうな表情でそれを眺めるタヌキたちであった。

「せっかくだから、最後まで晴れた天気で観光したいね」

 いつも雨女と揶揄される母ダヌキは、父ダヌキの言葉に黙ってうなずいた。

第4章 とうとう降った!

 最後の目的地である熊野那智大社は、御社に一番近いところの駐車場へお金を払って駐車して参拝することにした。雲が空に広がっていたが、とにかく蒸し暑く、昨日歩いた大門坂から登ってきていたら、多分那智の大滝までは歩けないだろうと判断したのだ。

 レンタカーから降りて、急な階段を登り、朱塗りの鳥居をくぐると、緑の山をバックに6棟からなる鮮やかな朱塗りの社殿が現れた。主祭神は、万物の生成・育成を司る熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ=イザナミノミコト)で、熊野詣の最終目的地である熊野那智大社は、那智山青岸渡寺と共に熊野信仰の中心地として栄華を極めたという。

熊野那智大社

「とりあえず、駐車場代を払わないと」

 本殿すぐ横の社務所で、800円の駐車場代(実際は、駐車場まで行く道路利用料)を支払い、すぐ側にあった大楠が気になったので見に行ってみた。

「これ、幹に穴が開いてる。胎内くぐりできる」

 穴を見ると通りたくなる癖(?)がついたのか、子ダヌキたちと父ダヌキは、楠木の穴を通り抜けた。この大楠は樹齢約850年で、根元の空洞は無謀息災を願ってくぐるのだという。

那智の大楠
穴があるとすぐ潜るタヌキ

「そっちよりも、拝殿でお参りをしないとダメでしょ」

 母ダヌキに言われ、タヌキたちは拝殿へ向かった。拝殿の前では「お清めの護摩木」があったので、兄ダヌキと弟ダヌキが1本ずつ買って火にくべて、拝殿にお参りした。それから、八咫烏が大任を終えて石化したという「烏石」を見たりしていると、空模様が急に変わってきた。日の光も射していたのだが、雲も所々出ていたので気になっていたのだが、とうとう大粒の雨となって降り始めたのだった。通り雨と思われるので、大楠の隣にある屋根の付いた休憩所のようなところで雨宿りすることにしたが、5分やそこらじゃ止みそうもない雨だった。

「折りたたみ傘あるから、さして隣の青岸渡寺に行ってみよう」

 帰りの時間もあるので、雨宿りに時間を取られたくなかったタヌキたちは、傘をさし、足元に気を付けて熊野那智大社の隣にある那智山青岸渡寺へ向かった。

 那智山青岸渡寺は、熊野那智大社に隣接する天台宗の寺院で、現在の本堂は、天正18(1590)年に豊臣秀吉が再建したもので、国の重要文化財に指定されている。タヌキたちは、傘をさして小走りに寺院に駆けこむと、仏様を拝ませてもらい、相変わらず止みそうもない雨を、寺の軒下で困った顔で見ていた。

突然の雨に困った

「折りたたみ傘さして、少しずつ進もう」

 痺れを切らした母ダヌキは、傘をさすと、寺の軒下から出て、下の方に見える三重塔へ歩き出した。雨が止むまで待っておきたかった父ダヌキは、渋々母ダヌキの後を追った。傘をさして5分も経たなかっただろうか、雨が上がった。

「もう少し待っておけば良かったのに」

 文句を言う父ダヌキの声を聞こえないふりして、三重塔まで向かうと、受付のおばさんに、、

「那智の大滝がよく見えるのはこの中ですか?」

 と聞いた。

「上の階に上がられたらよく見えるところもありますが、近くで見るには、この下の飛瀧神社に行かれたほうがいいですよ」

 那智の大滝が近くで見られるのが、三重塔だと思っていたタヌキたちは、同じ300円で入れる三重塔と飛瀧神社を混同していたので、3度ぐらいそのおばさんに確認して、近くで大滝を見られるのがここではなくて、下に下ったところにある飛瀧神社だと聞いて、がっかりして三重塔の入口の階段を下りてきた。

「なんか紛らわしいね」

「もっとよくわかるようにどこかに大きく書いといてほしいね」

 雨上がりで、蒸し暑さが倍増した中で、思考回路がうまく働かないタヌキたちは、イライラして愚痴った。

「下まで行くのなら、駐車場をわざわざ上にすることなかった」

 那智の大滝をご神体として祀られている飛瀧神社は、この三重塔からもっともっと下った場所にあるのだ。雨上がりの蒸し暑い空気がまとわりつくのが不快なうえ、雨で滑りやすくなっている石段を下って、さらに上ってくるのは、最終日を迎えたタヌキたちには朝飯前とは言えなかった。

「わかってたら、三重塔の階段上んなかったし、駐車場の場所も飛瀧神社前にしたよ」

 曇ってきたタヌキたちの顔色と反比例して、空には太陽が雨の湿気を蒸発させようというのか、元気に熊野那智大社全体を照らしていた。

三重塔と那智の大滝

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