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タヌキの親子見聞録 ~高野山編①~和歌山(高野山)


第1章 タヌキの親子 紅葉を見て泣く

 世の中が新型コロナウィルスの流行前に戻ろうとし、タヌキの親子たちの周辺も、以前のままとはならないが、中止されていた学校行事が復活するなど、多くの人達が集まって賑わうことが多くなってきた。タヌキ一家も、令和5年7月の東北、8月の三瓶山に続き、11月には、紅葉真っ盛りの高野山へ、土日を利用して旅する予定であった。計画は、三瓶山後の9月に思い立ち、高野山のお寺に泊まるべく、宿坊探しをおこない、紅葉シーズン真っ盛りに、運よく宿坊の予約にありつけた。
「秋の紅葉シーズンに旅なんて、我が家では初だね」
 父ダヌキは、自慢のカメラを磨きながら、紅葉の高野山に思いをはせて、旅行までまだ1カ月半以上もあるのに、うれしそうな顔をしていた。
 高野山では、紅葉狩りはもちろん、三鈷の松を探したり、奥之院ナイトツアーや宿坊での朝の勤行体験など、タヌキたちの初めて尽くしの旅になるはずだった。
 9月、10月と、兄ダヌキは忙しく、土日も部活動のため休みなく学校へ行くことが多かった。そのためか、兄ダヌキの体力は、10月の終わりには底をつきそうだった。自転車で朝早く学校へ自転車をこいでいく後ろ姿が、なんだか倒れそうで、母ダヌキは心配だった。
 ようやく11月に入り、本格的に高野山行きの準備をし始めた頃、兄ダヌキが風邪でダウンした。かかりつけの小児科に行くと、
「インフルエンザのA型ですね」
 と、言われ、母ダヌキはムンクの叫びのような驚きようだった。兄ダヌキがインフルエンザなら、傍でかいがいしく世話をしている母ダヌキもうつっているのは濃厚である。
「ヤバい!ヤバい!ヤバい!」
 母ダヌキは、兄ダヌキの世話をしながら、自分もかかっていた時のために、他の家族とは距離を取り、家事をこなした。2日ぐらいして、「何にも症状がでないから、うつっていないかも」と思った時、それは突然やってきた。夜になって、体が急にしんどくなり、熱が出たのだ。熱を測ると風邪に負けると思い、測らなかったのだが、症状は兄ダヌキと同じで、インフルエンザに罹ったと思われた。
「私が今罹っても、ここで食い止めて、他の家族が罹らなかったら、無事高野山へ行ける」
 そう思って、母ダヌキは、兄ダヌキの看病と、自分の風邪を治すため頑張った。そのかいあってか、兄ダヌキは旅行の1週間前、母ダヌキは3日前に治った。
「さあ、あとは、体調を整えながら、高野山へ行く準備をしよう」
母ダヌキは、老体に鞭打って、高野山へ行くための最終準備を整えた。
本日、金曜日を無事過ごせば、明日は高野山へ出発するという日。いつも通り、一番遅くまで寝ていた弟ダヌキが、ようやく起きてきたので、
「明日遅くまで寝ていたら、高野山へは行けないよ!今日学校へ行ったら、明日は高野山だからね!」
 と、母ダヌキは、みんなの士気をあげるべく叫んだ。その時だった。
「うんっ⁉」
 弟ダヌキがむくりと起き上がった。
「なんか、熱い」
 と、言ったかと思うと、体温計を取り出して測り始めた。
 みんなが、何事かと見守る中、体温計が鳴った。
「38度」
「えぇっ‼」
 かくして、弟ダヌキもインフルエンザとなり、タヌキ一家の紅葉シーズン真っ盛りの高野山への旅は、中止となってしまった。
 予定していた11月10日、11日は全国的に快晴で、テレビでは、各地の紅葉風景を映していた。
「あぁ・・・、高野山」
 母ダヌキも父ダヌキも、弟の看病をしつつ、それを泣きながら見ていた。

第2章 諦めないタヌキたち

 11月の旅は、前日にキャンセルしたため、乗り物代など高額のキャンセル料がかかってしまった。旅には行けないし、お金もかかるし、嘆き悲しむタヌキたち(主に父、母)だった。そんな不幸の中、宿坊の予約をしていたお寺の方には、本来ならばキャンセル料が発生するところを免除していただき、大変助かった。まさに、地獄に仏であった。
「これは、高野山に行った時に、お礼をしないとならない」
 と、タヌキたちは話し合った。タヌキたちは、高野山行きを諦めてはいなかったのだ。「あぁ…、高野山」と嘆きながらも、次に行ける時期を確認し、宿泊先の予約をした。高野山に行くには、何といっても宿泊先が予約できないと行けない。残念ながら、11月に泊まる予定だった宿坊は、タヌキたちが行きたい時期には予約がうまっており、泊まることはできないが、お寺さんなので拝むことはできる。
 タヌキ一家は、11月のインフルエンザ、1月の新型コロナウィルスの洗礼を受け、寒い冬を越して、春を迎えた。
「春休みだ~‼」
「高野山だ~‼」
 タヌキたちは、桜の咲き具合が遅いこの春、ようやく待ちに待った高野山へ出かけられる喜びを爆発させた。
 しかし、待ちに待った高野山なのに、週間天気予報は、出発日の4月3日水曜日は全国的に雨という。
「私たちが何をしたぁぁぁ~⁉」
 せっかくならば、青空に桜とお寺で写真を撮りたい。旅支度も、合羽や傘を置いて行きたい。
「これは、もしや母ダヌキの雨女パワーが・・・」
 と、父ダヌキと兄ダヌキから冷たい視線を受けたので、母ダヌキは、弟ダヌキと結託し、何とか晴れにすべく行動した。インターネットで調べると、何よりも晴れさせるには気持ちが大事と書いてある。そして、旅行の日が晴れて楽しかった、と過去形で言うことで、予定日が晴れになると書いてあるサイトがあったので、わら一本にもならないかもしれないが、わら葛をつかむ思いで、母ダヌキと弟ダヌキは、
「私は晴れ女(男)。4月3日、高野山、4月4日、吉野・飛鳥、4月5日、姫路は晴れて楽しかった」
 と、唱えて、気合で晴れさせる作戦に打って出た。大きな声で、出発前の数日の内に、何度も唱える母と弟ダヌキを、父と兄ダヌキは馬鹿にした目で見ていた。
「こんなんで、どうやって晴れるの?」
 父ダヌキに聞かれて、母ダヌキと弟ダヌキは、
「気合いにきまってんだろぅ‼」
 と、ぶちぎれながら答えた。
「諦めたらおしまいだ!必ず晴れさせて見せる!」
 出発を前に、晴れにするために闘志を燃やす母子ダヌキであった。

第3章 新幹線に乗って

 2023年は、弘法大師(空海)の生誕1250年にあたる記念の年で、本当は昨年に行きたかったのだが、諸事情で、2024年の4月に、日本の誇るスーパースター弘法大師(空海)様にようやく会いに行けることとなった。
 朝一番の新幹線に乗るために、午前4時から起き出し、5時過ぎには家を出たのだが、あんなに母ダヌキと弟ダヌキが呪文を唱えても、雨は予報通り降っていた。それでも、新幹線口近くの駐車場へ止めて、駅の構内へ入るまでは、奇跡的に雨が上がった。
「これって、呪文が効いているんじゃない」
 母ダヌキと弟ダヌキは、オレ達のおかげといった風に、顔を見合わせて笑っている。
 新幹線は、前回の11月に指定席を取って、高額のキャンセル料が発生した痛い経験があるので、今回は自由席にした。そのため、早くに並ばないとならないのだが、高野山へ行けるのだ、そのぐらいなんでも無い

ようやく高野山へ行けるとやる気満々のタヌキたち

 新幹線に乗り込むと、みんな近い場所で座ることが出来た。平日だが、春休みということもあってか、まあまあの人の込み具合だ。窓を見ていると、久しぶりに乗った新幹線の車窓が、新しい緑をたくさん見せてくれた。しばらく走ると、その窓に雨粒が横に流れて、遠くの緑が見えにくくなって来た。前日まで何度も呪文を唱えた母ダヌキと弟ダヌキは、きっと晴れると信じて、何も言わず座っていた。 新大阪に8時28分に着き、そこから御堂筋線に乗り換えなんば駅まで行く。なんば駅から南海高野線の難波駅に乗り換えるため、大阪の地下から地下へ歩いた。こういう入り組んだところは、慣れている父ダヌキを頼りに、みんなが一生懸命ついて行く。南海高野線の難波駅では、少し時間があったのでトイレに行くが、隣接する商業ビルの中の何階かにあって、掃除の人に教えてもらってようやくわかった。お店は早い時間で、どこも開いていなかった。駅の改札まで戻ってくると、南海高野線専属のコンシェルジュのような男性がいて、トイレに行かなかった父ダヌキが、どの便に乗ったらスムーズに早く高野山へ着けるか、相談にのってもらっていた。予定より難波駅に早く着いたが、ここからは予定通りの9時30分発の便が良いらしい。「じゃあ、時間があるから、席に座って、お菓子でも食べよう」 と、タヌキたちは列車に乗り込んだ。時間が早いせいか、列車の中はガラガラだった。「高野山行く人、ほとんどいなんじゃない」 心配しながらも、お菓子を食べるには、人が少ない方がいいので、気兼ねせず小腹を満たした。 そうこうしていると、電車のドアが静かに閉まり出発した。地下から出た景色は、やはり曇り空で、よく見ると小雨が降っているようだった。「あんなに呪文を唱えたけれど、仕方ないか」 母ダヌキは、恨めしそうに窓から空を見上げて、ため息をついた。まだ大雨でないのが救いだ。しばらく乗っていると、ビルが少なくなり、窓から見える民家もまばらになってきた。

第4章 極楽を通って高野山へ

 山に近づくにつれて、桜と竹林がよく見られるようになった。遠くを見ると、向こう側に山が見える。
「あっちが高野山かな」
列車の窓に張り付くようにして、外の景色をながめると、桜並木のような先に、何の目的で建てられたかわからない立派なマンションのような大きな建物が、山の中にポツンと建っていて、何とも不思議な光景だった。しばらく走り、南海高野線橋本駅でダッシュで乗りかえて、さらに和歌山の山奥へ列車で向かう。ここからは、標高が高くなるためか、雨のためか、山のところどころに、雲海が手に届く距離に見える。
「いや~、この雲海は、雨じゃないと見られない幻想的な風景だね」
 と、母ダヌキは、雨を良いものにしようと一生懸命だった。しかし、雲海の山を通り抜けていく列車は、確かに幻想的で、まるで異世界へ迷い込む序段のようでもあった。

朝早くの出発で小腹が空いた子ダヌキたち

 途中で九度山駅を通った時は、他の駅と違ってカラフルで、真田幸村などのイラストが描いてある看板があった。そこから、南海高野線の最終の極楽橋駅には、11時少し過ぎに到着した。
 極楽橋駅について驚いたのが、駅感が無い駅だということだった。降りてすぐ、どこかの寺院か何かに降り立ったように感じた。
「天井がきれいだね」
 プラットフォームからすぐの天井が、色とりどりの色彩で描いた美しいもので、じっくり見たかったが、ケーブルカーに乗らなくてはならないため、じっくり見ることが出来なかった。あとから調べて見ると、「いのちのはじまり」をテーマに、複数のアーティストが高野山ゆかりの動植物などを描いたものとわかった。とにかく、こんな駅は見たことがなく、歩いてケーブルカーへ向かう途中にも、向こうに朱塗りの橋が見えて、多分これが極楽橋なんだろうなと、タヌキ一家はちらりと見て通った。何故、ちらりと見て終わったかというと、その先に、とんでもない角度でやってくるケーブルカーが見えたからだ。

南海高野山ケーブルカー 到着❕

「これに乗るの?」
 急な階段に乗車ホームがつくってあり、その上から、さらに急な勾配を、ケーブルカーが降りてくる。
「すごい‼」
 タヌキたちは、ケーブルカーに乗ったことはあるのだが、こんな急な角度を行くケーブルカーは初めてだった。全長0.8km、高低差約300mで、東京タワーとほぼ同じ高さを約5分で一気に昇って行くのだ。
「なんか怖いね」
 と、言いながら乗り込むと、昇る先が見たくて、ケーブルカーの先頭へ座った。辺りを見ると、観光客は日本人よりも外国の人が多い。その人たちも珍しいようで、ケーブルカーの先頭へ立って行き、写真を撮ろうとしている。
山の急こう配を上りきって、ケーブルカーから降り、これまた急こう配の降車ホームを注意して登ると、そこは高野山駅だった。そこから外に出ると、バスが何台か止まっていた。タヌキたちは、コインロッカーに必要ない荷物を預け、すぐに出るバスに飛び乗った。


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