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女性の権利運動は専業主婦になりたい人には都合が悪い

女性の権利が実現するまで結婚や出産を拒絶しようとする運動を4B運動という。

こうした問題を見るたびに女性差別問題には構造的な困難があるように思える。

社会で集団の権利を求めるには頭数が必要なので、男性・女性という二元論で問題解決を図るしかない。人口の半分が女性だからこそ女性の権利が向上したのであって「不当に男性に虐げられている女性」だけで反対運動をしても規模が大きくならない。しかし集団が大きくなればなるほど異なる利害関係を持っている人間が生まれてしまう。

女性問題の解決の最も困難な点は、例えば「男性が稼いで女性は家にいるという考えは古い」という思想が、専業主婦をしたいと考える女性と利益相反してしまう点だ。AV新法でも性的消費されることを拒むと(表立っては言えないが)性的魅力で生きている女性が非難されることになる。つまり、女性全体にメリットがある社会というのは存在せず、一部の女性の権利獲得が一部の女性の権利を破壊する構造がある。

「女性の社会進出は専業主婦を否定するわけではなく、専業主婦をしたい人はすればいい」という意見もある。しかし現実はそれほど都合よく動かない。社会運動は賛成人数が大きければ大きいほど成功しやすいが、専業主婦でいたい人間が女性の社会進出に賛成するメリットがないため、社会運動としてモメンタムを維持できないのだ。

専業主婦になりたい女性からすればむしろ「女性も男性と同じように働くべきだ」という風潮になるのは不都合でしかない。女性の権利獲得の動きが、女性によってブレーキがかかる。

この現象は女性差別に限った話ではない。すべての差別問題に存在する。差別問題を解決しようとすると「現状の方が得」という人間が被差別集団に露呈する。

権利と義務が表裏一体なのと同じように、誰かにとって一方的なデメリットだと思っている制度・風習が実は自分と同じ属性を持った人間を得をさせているという差別の二面性がある。差別問題が大規模であればあるほど集団として解決するモメンタムを得やすくなるが、同じ属性の中に今の方が都合が良い人間が含まれる。

おそらく唯一の解決策は弱者救済しかない。つまり集団を男性・女性で分けるのではなく弱い立場にいる人間を救うという立場で差別を解消する。当たり前のように見えてとても難しい。

東京の一等地に生まれて一流大学を卒業した女性はあきらかな強者なので、弱者救済策を取ると救済される側ではなくて救済する側、つまり権利を剥奪される側になる。女性が強者として認定している男性でも、貧困家庭育ちで低収入であれば弱者として救済される側になる。

いまの女性差別問題を解決しようとしている人が、この状態に賛成するとは思えない。したがって男女で分けずに強弱で分けようという議論を始めるとモメンタムが消えて女性権利運動に戻り元の木阿弥となる。

歴史的にも肉体的にも女性は総体として不当に弱い立場にいる。しかしミクロで見れば女性が強者であるケースも頻繁にある。都内一等地で生まれたエリサラ旦那子持ち専業主婦と、貧困家庭で生まれた非正規独身男性を比べたら明らかに女性の方が強者だ。この構造を見ずに大雑把な問題解決をするとどの弱者も救済されない事態になる。

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