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リーダーシップ、求められる能力高すぎ問題
リーダーシップには質を保ちながら期限を守るというドライな側面と感情を理解するというウェットな側面がある。ドライな側面は論理的に詰めていけば結論が出るが、ウェットな側面は当事者にならない限りスキルが伸びる事はない。そして全ての感情の当事者になれるわけではない。
むしろ取り込める当事者性はリーダーシップに必要な当事者性のごくごく一部で、たいていはメンバー同士の意味わからない感情の問題を解決する必要が出てくる。これをドライな問題として解決すると「冷徹な人だ」と後ろ指を刺されるし感情の理解に少しでも過失があると「わかってない」と言われる。
これが会社では100人規模のメンバーをまとめている人間が家庭のエモーショナルな問題を解決できない所以でもある。
じゃあ世のリーダーと呼ばれる人間はどうやってこの当事者性の不足(経験不足)を補うのか。
補えない。というか、無理。リーダーシップに求められる能力レベル、高すぎて無理。
ところがトップ0.1%くらいの人が「体験していないけどわかる」という天才的能力を持っているのと、ほぼ全員リーダーを経験した事がないことで、リーダーに求められるハードルが青天井に高くなっていく。リーダーなんだからできて当然、親なんだからできて当然という風潮がある。
最初はメンバーもプロジェクトも小規模でなんとかなっても大きくなるとすぎに人間を卒業しないと扱えないレベルになる。したがってリーダーとしてのキャリアは2タイプに分かれる。1つは「体験していないけどわかる」天才型。もう1つは実際メンバー動かしてるのは別の人だけど自分が動かしてることになってる名ばかりリーダー型。
プロジェクトの規模が大きくなればなるほど名ばかりリーダー型が多くなり、実際にトラブル対処をしているのはメンバーで、リーダーはいかに権力だけあって責任回避できるポジションを取れるかというリーダーシップとは全く関係のなさそうなスキルが重視されるようになる。
こうなるともう政治。規模が大きくなるとリーダーシップに求められる能力はリーダーシップではなくポジションを取る政治力になる。
キャリアを積むにはリーダーシップ経験がほぼ必須なんだけど、周囲を見てるとリードする能力自体で「リーダーシップをとった履歴」を残している人は半分くらいで、残りの半分は肩書を取る力と責任を回避する能力で「リーダーシップをとった履歴」を作ってるように見える。
社内では機能する政治力も、メンバーが少なく発言権が平等な家庭では機能しないため、政治力でリーダーシップをとっている(ように見える)人の夫婦仲は悪い。そして大体の夫婦仲は悪い。
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