プリキュアに学ぼう(うつとは全く関係のない日記1日目)
SNSの普及に伴っていろいろなものが可視化されるようになりました。思想や考え方、信念、そしてほかの人のそれとどう向き合うのかなどなど。結果、以前に比べて自分の考え方を人により良く伝える方法が変わっているのではないかと思いました。そのきっかけがこれ。プリキュアが敵キャラに対して堂々と言うのです。
「男の子だってお姫様になれる」
多分私がこれを言ってもダメです。それは、私自身がこのプリキュアのようにほかの人の多様な生き様を肯定し続ける人生を送っていないから。そういう人が言っても心に響かないセリフなのです。普段から首尾一貫自分はこれがいいと思うんだと思って頑張っている人だから、このセリフを言っても信頼されるわけです。
では、これまではどんな方法がとられてきたかというと、自分と違う意見を徹底的にこけおろして、時に社会のルールを無視し、犯罪にすらなりかねないことをしても自分が正しいといい続けることでした。仮にこれを闘争型と名付けます。社会に個人の情報伝達手段が存在せず、大きなマスメディアに自分の意見を取り上げてもらう(多くの人に知ってもらう)ためにはこの手段しかなかったのかもしれません。
では、時代が変わってどうなったかというと、個人が自分の思いを拡散できる体制ができました。しかし、匿名であることをいいことに自分の考え方を違う人をこき下ろす闘争型の人が目立つ結果となっています。ところが、以前よりもそのような目に触れる機会が増えているにもかかわらず彼らは益々孤立しているように見えます。理由はシンプルで、匿名で人を追い詰めるようなことをする人が信頼できないからだと思います。
では、闘争型とは違うモデルとしてはどんなものがあるのでしょう。ここでプリキュア再登場です。プリキュアというアニメは女の子だって、変身して戦いたいのではというコンセプトのもとに生まれたアニメです。15周年です。15年間女の子はお姫様にばかりあこがれなくてもいいんだよって言い続けてきたわけです(ここで大事なのはお姫様に憧れてもいいというところ。実際プリンセスを目指すプリキュアもありました)。そんなプリキュアが「男の子だってお姫様になれる」というところに説得力があるわけです。誰かのあり方を限定しないというメッセージを持ち続けてきた番組の力ですよね。
このモデルを仮に共感型と名付けます。このモデルは自分のスタイルを明らかにし、地道に活動し、尊敬や愛情を集めて、結果共感を呼ぶモデルです。たとえ世の中でまだ一般的ではない考え方であっても、その人が言うならそうなのかもしれないと思わせるという言い方もできるかもしれません。
時代背景を考えると、闘争型が必要であったことも否定できません。闘争型の人たちが頑張ってくれたおかげで社会にいい変化が起きたこともあったでしょう。しかし、情報の伝わり方が変わった結果闘争型の暗黒面が明らかになるようになっているのではないでしょうか。
自由な権利のために戦っているはずが、相手の主張をねじ伏せて自分の思い通りにしたいという側面が強くなってきていると感じます。そうなってしまうと、多くの人の支持が得られないので結果的に彼らの思想は根付きません。もし、本当に自分の考え方を理解してほしいと考えるのであれば、共感型への移行が必要なのだと思います。
いや、普段こんな文章書かないんだけど、プリキュアはすげえと思ってたらこんなものが書きたくなりました。プリキュアとか、仮面ライダーとか、戦隊ものって大人の世の中はこうあってほしいって言う願いを感じることがあるのです。それって私にとってとても魅力的なことなのです。