見出し画像

コーチ物語 クライアント17「届け、この想い」その6

 そのとき、電車の中でアナウンスが響き渡った。どうやら次の駅に停車をするようだ。
「あんた、もう降りなきゃいけないんだろう?」
「あ、あぁ。このままだと無賃乗車だからね」
「じゃぁ、さっさと渡してよ」
 彼女はまだふてくされた態度ではあったが、手を出してボクにそう要求してきた。どうやら受け取ってくれる気になったようだ。
「あ、あぁ。じゃぁ、これ」
 ボクは手にした紙封筒を彼女に手渡した。
「中に手紙が入っているって言ってたよ」
「あぁ、そう。ありがとう」
 彼女からありがとう、なんていう言葉が出てくるとは思わなかった。なんだかここまでの苦労がやっと実ったって感じ。これでこの親子の仲違いが解消されるといいんだけどな。
 電車は駅のホームに到着する。ボクはホームに降りようと扉が開くのを待っている。彼女はただボクを見つめるだけ。
 扉が開いて、ボクはちょっとだけ振り向いて「じゃぁ」とだけ言って電車を降りようとした。
 そのとき、彼女が最後の言葉をボクにかけてくれた。
「あんたも早く両親と仲直りしなよ」
 そういった彼女、石上めぐみさんの顔はやけに晴ばれとしていた。その顔を見て、ボクはいいことをしたんだという実感を持つことができた。
 その後、元の駅になんとか戻ってきた。帰りの電車で車掌さんに切符の確認を求められたので事情を説明したが、これは残念ながら往復の乗車料金を取られることになってしまったのは痛かったが。
 駅についてすぐにミクさんに無事にミッション完了の連絡。一旦羽賀さんの事務所に戻ることにした。
 そういや自転車がパンクしたんだった。これも痛いなぁ。パンクは自前のツールですぐに修理はできたが。アルバイトでなんとか稼いでいる苦学生には大きな出費が重なる。
 しかし気持ちはとてもすがすがしい。断絶状態にあった親子の絆を取り戻すことができたんだから。そこで彼女、石上めぐみさんの最後の言葉を思い出した。
「あんたも早く両親と仲直りしなよ」
 仲直りと言っても、さっきの親子とはちょっと事情が違うし。ボクの想いを認めてくれない親が悪いんだ。と、未だに反発心が芽生えてくる。
 けれど本当にそうなんだろうか? そもそも、ボクの想いってなんなんだろう。またその問題に立ち返ってしまった。
 羽賀さんの事務所へ向かう道、ゆっくりとペダルをこぎながらボクの想いについて考えてみた。実家の医院を継ぐ意志はある。けれど、親の言いなりにはなりたくない。今のままだと、親の敷いたレールに乗っているだけ。そんな気がしてならない。そこが嫌なのだ。
 だからといって、実家の医院をないがしろにして別の病院に勤めるのはありなのか? 結局最後は葉山美容クリニックに戻ってくるのならば、最初からそこにいた方がいいのかもしれない。でもそれって楽な道を選ぶことにならないのか?
 頭の中がグルグルしてきた。結局ボクは何がしたいのだろう。
 このとき、ふとさっきの石上めぐみさんの顔が浮かんできた。彼女はどんな思いで美容師の道を歩もうと思ったのだろうか。どのような思いで東京に就職に行ったのだろうか。
 最後はお母さんにその姿を見せたい。そう言っていたよな。だから一人前になるために東京に行く。きっとそうに違いない。しっかりと修行をして、一流の腕前を身につけて、最後はこの地元に戻ってくるに違いない。
 そういえば、お母さんはどのような思いで娘を送り出したのだろうか? 急にそこが知りたくなった。
 羽賀さんに聞けばわかるかな? でもクライアントとの守秘義務があるから教えてくれないかもしれないな。そもそも羽賀さんもそこまでは把握しているのだろうか?
 そんなことを思っていたら、羽賀さんの事務所に到着してしまった。まだすっきりしない頭のまま、事務所へ向かう階段を駆け上がろうとした。
 そのとき、花屋の舞衣さんから声がかかった。
「あら、トシくん。ミクなら今こっちにいるよ」
「あ、そうですか」
「よかったら一緒にお茶飲まない?」
「ありがとうございます」
 舞衣さんの入れてくれたお茶は天下一品。スーパーの安売りのものでも、まるで最高級の玉露を飲んでいるような味になる。ミクもその腕に追いつこうといろいろと研究を重ねているようだが。どうやっても舞衣さんにはかなわない。
「失礼しまーす」
「あ、トシ、おつかれさまでした。ささっ、どうぞどうぞ」
 花屋の奥に入ると、ミクがまるで自分のお店のようにそこに陣取っている。花屋の店員さんの吉田さんも一緒だ。三人の女性に囲まれて、普通だったら嬉し恥ずかしといった状況だろう。が、今の心境ではなかなかそうはいかない。
「トシ、なんか大変だったね。電車に飛び乗っちゃったんでしょ?」
 ミクはせんべいをかじりながらボクにそう尋ねてきた。
「あ、あぁ。自転車がギリギリでパンクしちゃったし。そうでなくても、相手はなかなかお母さんからの贈り物を受け取ってもらえなかったからね」
「へぇ、でもどうやって受け取ってくれるようになったの?」
「それはね……」
 ここでボクは三人に起きたことを一通り話した。
「なるほどねぇ。よくその娘さんが心を開いてくれたわよね。トシ、なかなかやるじゃん!」
 ミクはボクの背中をパシッと叩いてほめてくれた。まぁこれもミク流の認め方ということで許してやるか。
「でもそれって、トシくんが自分のことを話してくれたからだよね。同じ思いをしている人に対しては共感できるから。だから心を開いてくれたんだと思うな」
 吉田さんがそう言ってくれた。確かに、あのガンコだった態度が変化し始めたのはそこからだった。
「じゃぁトシくんは今お父さんやお母さんに対してはどう思っているの?」
 舞衣さんのその質問はボクの心にグサリと突き刺さった。そこがわからない。わからないから思考がグルグルと廻っている。
「それがわからないんですよ。ボクはどうしたいんだろう……?」
 素直にその言葉が口から出てきた。
「そうだったよね。そもそもその進路のことで相談に来たんだったよね」
「じゃぁ、ちょっと質問を変えていい?」
 舞衣さんがボクにそう切りだしてきた。
「えぇ、どうぞ」
「今日の親子を見て、というより娘さんを見て、何が大事なんだって思った?」
「何が大事……」
 ボクはしばらく考えた。というより、その舞衣さんの質問を受けてすぐに頭にひらめいたことがあった。ただ、それを口にするのが今のボクにとって正しいことなのか、そこに躊躇してしまった。
 けれどそれしか答えが思いつかない。そこで思い切ってその答えを口にしてみた。
「大事なことは……大事なことは、お互いの想いを受け入れること。それですね。相手の言葉にしっかりと耳を傾ければ、本当に伝えたかった想いを受け取ることができる。今回の親子の場合、特に娘さんの方がお母さんの言葉の表面しかとらえていなかったんじゃないかって思うんです。だから腹を立てて家を飛び出してしまった」
「そうか、お互いの想いを受け入れるってことが大事なんだね」
 舞衣さんは優しくボクにそう言ってくれた。言ってくれたおかげで、やはりそれが正しい答えであるという自覚を持つことができた。
 それが何を意味しているのか。ボクには痛いほどわかった。
 もっと自分の親の言葉に対して耳を傾けないと。特に母さんの言葉。母さんは物事をスパスパと言う性格だから。ちょっと口が悪いという欠点がある。けれどその言葉の裏に隠されている想い、それをボクは受け止めていないんじゃないかな。そんなことを考えた。
 じゃぁ、ボクの言葉の裏に隠されているものって何なんだろう。それが自分で自覚出来ていないから、だから親から逃げているんじゃないかな。
 そのことを言葉にして三人に伝えてみた。
「そっか、トシくんはまだ自分の今の気持ちに気づいていないんだね」
「気づいていない?」
 舞衣さんの言葉をボクは聞き返した。
 気づいていない、ということはすでに答えは出ているということなのか? でもボク自身はまだそんなこと全然思いつきもしない。
「あの……もしよかったら教えてくれませんか。ボクは、ボクは本当にどうしたいんだろうかって。そこがわからないから今悩んでいるんです。でも今の口ぶりだと、ボクの中ではすでにその答えが出ているってことになるんですよね」
「その通りよ。私の目から見たら、トシくんの答えはすでに出ているわ。でもそれを今私が教えても、トシくんは納得してくれないんじゃないかな?」
 舞衣さんはちょっと意地悪そうにボクを見つめた。

いいなと思ったら応援しよう!