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コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」14.反始慎終 後編

 さすがに母の前ではこれ以上もめるのは忍びない。場所を変えて近くの喫茶店に入ることに。
「あらためて、すまなかった」
 父は私の方を向いて頭を下げる。が、私は腕と足を組んで、ガンとして受け付けない態度をとった。
「さきほど、事情があるとおっしゃいましたが。よかったらその事情を教えていただけないでしょうか?」
 紗弓が父にそう伝える。父はうつむきながらも、言葉を絞り出すように話しを始めた。
「実は、家族を守るために私は姿を消したのです」
「家族を守るため?」
 ここで思いっきり反論したくなった。おもわず拳を握って、殴り飛ばそうかと思った。だが、私の動きを察して、紗弓が目でそれを静止した。
「はい、私は当時とある会社で経理の仕事をしていました。このとき、事件に巻き込まれたのです。経営者の横領と、政治家の贈賄に。それがバレそうになったとき、会社側は経理担当である私に責任を押し付けてきました」
 えっ、どういうことだ? 今までまともに父の顔を見れなかったのだが、初めてここでその顔を見た。あらためて見ると、子どもの頃に見た父の面影に加えて、深く刻み込まれたシワと、すでに真っ白になった頭が加わっていることに気づいた。
「このままでは私が逮捕されてしまう。ここは告発しかない。けれど、告発をしてしまうと家族が危うくなる。そう思った私は、信頼できる弁護士に相談をしました。その結果、まずは家族から離れてしばらく身を隠すことになったのです。けれど……」
「けれど?」
「けれど、それが間違いでした。弁護士は連中とつながっていて、結果的に私が会社のお金を盗んで逃亡したことになり、その費用の請求が家族へいくことに。私が最初から初心を貫いて、堂々と告発をすればよかった……」
「反始慎終、ですね」
 その声に驚いた。なんと、羽賀さんがいつの間にか私たちの横に立っていたからだ。
「驚かせてすいません。奥さんから連絡をいただき、飛んでやって来ました。濱田さんのお父さんですね。二十二年前の立浪建設贈収賄事件で行方不明になっていた、立浪建設の経理担当者」
「はい、よくご存知ですね」
「えぇ、濱田さんのこと、実は濱田さんも知らない事実を調べさせていただいていました。そのうちお話はしようと思っていたのですが。濱田さん、お父さんはおっしゃるとおり、家族を守ろうと思って行動を起こしました。けれどそこでも騙されて、さらに行方をくらませていたんです」
「じゃぁ、今まであなたは何をしていたのですか?」
 思わず父にそう問いかけた。父は申し訳なさそうに口を開いた。
「あの事件のほとぼりが覚めるまでは、私は東北の方に身を隠していました。身分を隠し、日雇いの仕事をしてなんとか食いつないで。そんなとき、とある会社の経理業務が滞っているのを見て、見るに見かねてつい手を貸してしまったところ……」
「それが評判になり、あれよあれよというまに現場仕事から経理の仕事へ。さらに、会計士と対等に話せるような立場になり、共同事業として会計事務所を開いた。ですね」
「はい。このときはすでに世の中では立浪建設贈収賄事件は記憶には残っていなくて。私も本名を名乗っても大丈夫だと思い、会計士の資格もとりました」
「じゃぁ、どうして私たちの前に姿をあらわさなかったんですかっ!」
「それは……それは、妻がそうしてくれと頼んだのです」
「母さんが? どうして?」
「私がそうなるまでの間に、雄一は紗弓さんと結婚をしていました。いまさら私が出ていけば、二人の間に波風を起こしてしまう。だからまだ姿を表さないで、と」
「じゃぁ、母さんが死ぬ前はどうだったんだよっ!」
「これも、私にとっては突然のことでした。妻が死んだことは、妻が死んだ後に聞かされたのです。直前まで、妻は私に対して普通にふるまっていました。といっても、直接会うわけではなく、手紙だけのやりとりでしたが」
 母が黙っていただなんて。いまさら母を責めるわけにはいかない。私は事実を知らず、一体なにをやっていたんだ。
「濱田さん、もう一度やりなおしてみませんか? 親子関係も、そして仕事も」
「やりなおすって、どういうことですか? そういえば羽賀さん、さきほど妙な言葉をおっしゃっていましたよね」
「反始慎終、ですね。これは本を忘れず、末を乱さず、という意味です。もともとの志や思いを忘れてしまい、目の前のことだけに意識を向けて本来やるべきことを忘れてしまってはいけない、ということです」
「私は、正義の為にきちんと告発をするべきだった。けれど、目の前の実の安全のことだけに意識を向けてしまい、結果的には家族に苦労をさせることになった」
 確かに父に対してはそうだろう。けれど、私にとって反始慎終とはどういうことなのだ?
 すると羽賀さん、こんなことを言い出した。
「横山さんから聞いています。思ったほど改善のアイデアが出ていないって。設計士の立川さんもかなり切羽詰っているようですね」
「えぇ、まぁ。けれど、それと反始慎終とはどういう関係があるのですか?」
「濱田さん、今かなり焦っていますよね。何か一つでもアイデアを形にしなければいけない、と」
「はい、焦らずにはいられません。そうしなければ、私も立川さんも収入がありませんから」
 ここまで言って気づいた。もともと私は、工場の改善は工場のためにやっていたことだ。けれど今は自分自身の収入のためにやっている。最初の思いと今の思いがずれていることにやっと気づいた。
 私が愕然としているところに、さらに羽賀さんは言葉を続けた。
「それともう一つ、本を忘れないというのは自分の祖先に対しても同じことが言えます。私たちの本はご先祖様にあります。そこを忘れてしまって、自分一人で生きていたつもりになっていると、大きなしっぺ返しを喰らいます」
「じゃぁ、お墓参りとかをきちんとしないといけない、ということなのですか?」
「はい。それもありますが、さらに大切にしないといけないのは、直近のご先祖様です」
 紗弓の問いに答える羽賀さん。その答えにある直近のご先祖様って、どういうことなのだ?
「直近のご先祖様って、つまり両親ってことですか?」
「はい、その通りです。親を大切にすれば、その恩恵は必ず与えられます。逆に親を大切にしないと、その分苦労を背負うことになるんです」
 親を大切にと言われても、今日突然こんなことを告白されて、すぐに頭を切り替えることはできない。今まで父に対しては憎しみしかなかったのだから。
「今すぐに、とはいいません。けれど濱田さん、お父さんの苦しみも理解してあげてください」
 羽賀さんに言われたからといって、はいそうですとは答えられなかった。けれど、私よりも先に太陽が言葉を発した。
「おじいちゃん、って呼んでいいの?」
「あぁ、太陽のおじいちゃんだよ」
「ぼくにおじいちゃんができたんだ。やったー!」
 そうだった。紗弓のところはすでに父親を亡くして、母親一人でくらしていたんだった。おばあちゃんはいたけれど、おじいちゃんという存在を太陽は知らなかったんだ。
「お義父さん、ふつつかな嫁ですが、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、こんな父親ですが、よろしくお願いいたします」
 私以外の家族は、父に心を開いた。あとは私だけ、か。
 ここで意地を張っても意味は無い。これから先のことを考えれば、父がいてくれた方が心強い。まだ心の奥では納得しきれないところもあるが、ここは気持ちを入れ替えてみよう。
「お父さん、あらためてこれから私たちの家族として接してください。よろしくお願いします」
 そう言って頭を下げる。父からの言葉はない。どうしたのだろうかと頭をあげると、父の目からは大量の涙が。そしてその涙をぬぐうのに一生懸命の父の姿が。言葉にならないその表情から、父の思いが伝わってきた。

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