コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」7.子女名優 後編
ほどなくして羽賀さんが我が家にやってきた。
「ほら、ごあいさつは?」
紗弓は太陽に向かってそう言うが、太陽は黙って下を向いたまま。すぐにゲームを始めてしまう。
「太陽くん、ちょっと落ち込んでいますね」
「はい、実は……」
紗弓の口から、太陽に起きていることが羽賀さんに説明された。羽賀さんは黙ってそれを聴くだけ。ときどき、適度な相づちとうなずき、そして共感の言葉が出てくる。
「わかりました。太陽くんも大変なんですね」
「羽賀さん、この先どうしたらいいのか……」
紗弓の方が心をふさいでしまいそうだ。なんとかしないと。といっても、いじめている親のところに抗議に行ってもムダなのは容易にわかる。なにしろ、原因を作ったのは太陽なのだから。そこを逆に責められるだけだろう。
「あの、お二人に大変失礼なことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい、どういったことでしょう?」
「まずは奥さん、こちらに引っ越してからご近所にお友達とかできましたか?」
「え、私、ですか? いえ、実はそういった人がいなくて。私も働くことが精一杯で。恥ずかしながら、私が住んでいるこの棟にどんな人が住んでいるかもよく知らなくて」
「なるほど。では今度は濱田さん。会社で心を打ち明けられる友達とかいますか?」
「友達、ですか。そこまでの人は残念ながら。仕事の話はしますが、羽賀さん以外に悩みを打ち明けたり、なんでも話せるような方は……」
すると羽賀さん、ニコリといつものスマイル。
「太陽くんがこうなった理由、わかりました」
「えっ、ど、どんなことなのですか?」
「これからお話することは、お二人にとってはちょっときついことになるかもしれませんが。よろしいですか?」
私は羽賀さんから何を言われるのか、ちょっとドキドキしてしまった。が、これを聞かないと解決できない。そう思って、言葉を振り絞るようにこう返事をした。
「はい、お願いします」
紗弓も私に少し遅れて同じ返事をした。
「ではお話します。まず、目の前の人は自分の鏡である。これは前からお伝えしていますので、ご理解いただけていると思います」
「はい、それはわかりました。つまり、太陽もそうだということですか?」
「親子の場合は、さらにその影響が強いんです。子女名優。子は親の心を実演する名優である、と言われています」
「太陽は私たち二人の心をそのまま反映しているだけ、ということなのですか? つまり、太陽がこうなったのは、私たちに原因がある、と……」
紗弓が言ったこと、これは私も同じ意見。だが、素直に納得はできない。
私たちの表情を見て、羽賀さんはこんな話をし始めた。
「これはとあるご家庭のお話なのですが。そこのお父さんは地元でも有力な力を持っている人で、お金で人を動かすような方でした。その影響なのか、そこのお子さんも父親の権力を傘に、学校でやりたい放題でした」
「よくドラマとかでありそうな話ですね」
「はい、まさにそんな感じです。ところがあるとき、お子さんが逆襲を受けてしまったのです。これに腹を立てた父親は、権力を動かして逆襲した相手に制裁を加えようとしました」
いじめとか考えたら、これもありそうな話だ。
「ところが、このときにその父親がこのことを話したお坊さんから、子女名優の話を聞かされました。そこで気づいたのです。自分の子どもがやっていたことは、自分がやってきたことそのままだと。そこで気持ちを入れ替え、権力を別の方向に使い始めました。困っている人のために」
「それで、子どもはどうなったのですか?」
「はい、親の姿を見て、子どもも同じことを始めました。今度は同じ学校で困っている人のために、自分の力を使い始めたのです。逆襲をした相手に対しても」
「つまり、親が変われば子どもも変わる、ということなのですね。まぁ、なんとなくわかるけど……」
私は羽賀さんの言いたいことの理屈はわかった。だが、自分がその当事者になると、何をして良いのかがわからない。
黙っていると、紗弓のほうが先に口を開いた。
「つまり、自分から交友関係を広げられるように飛び込んで行け、ということなのですか?」
「残念ながら、その答えはボクが出すものではありません。ボクは事実をお伝えするだけです。その判断はお二人で考えてみてください」
この言葉に、私と紗弓はまた黙りこんでしまった。このとき、私の頭の中では今までの半生が思い浮かべられていた。
私は昔から人付き合いがそれほど上手ではない。長いものには巻かれろ、的なところがある。自分からリーダーをとることもなく、言われた通りのことをこなすだけの人生。
西谷から詐欺の手伝いをさせられたのも、こういう性格が反映された結果だ。
この性格、考え方を変えないかぎりは、太陽はずっとこんな生活を強いられるのか。
いや、それではいけない。どこかで自分が変わらなければ。自分から飛び込んでいく勇気を持たなければ。よし、こうなったら……
「紗弓」
「あなた」
二人が同時に言葉を発した。
「あ、お前からどうぞ」
「いえ、あなたから」
「ははは、まったく二人は夫婦対鏡ですね。こういうところは似ているんですから。じゃぁ、今回はレディファーストでいきますか?」
「じゃぁ私から言うね。あなた、私たちの今までを考えたら、太陽がこんなふうになるのは当たり前だって思ったの。私もあなたも、引っ込み思案で何かに飛び込んでいくなんてこと、今までしてなかった。あなたは真面目な性格だけど、ノーが言えない。私は表面上はニコニコしているけれど、周りに合わせているだけ。自分から勇気を持って意見をしたことがないの」
「私も同じことを考えていた。だから、太陽のためにも親である私たちが変わらないと」
「おふたりとも、結論は出たようですね」
「はい。けれど、何から始めればいいのか……」
私の言葉に、羽賀さんはこんな提案をしてきた。
「まだご近所に、ご主人と一緒にお住みになることは伝えていないのですよね?」
「はい、まだ」
「だったらいい機会じゃないですか。ちょっとご挨拶にうかがってみてはいかがですか?」
「でも……」
この言葉を言いそうになったが、これが間違いの元。でも、じゃなくてやるんだ。
「わかりました。紗弓、太陽を連れて一緒にご近所にご挨拶に回ろう。紗弓はここに一年も住んでいるから、今さらとは思うだろうけど」
「……わかった。でも、あなたのことをなんて話せばいいの?」
「そうだなぁ……」
「単身赴任をしていて、転職して戻ってきた、というのはいかがですか? 大筋はそれほど間違っていませんし」
「羽賀さん、ありがとうございます。じゃぁそれでいこう」
私たちは早速行動開始。ご挨拶の品として、タオルを用意することにした。これだったらそれほどかさばらないし、費用もそんなにかからないし。
その日の夕方、早速二人でご近所にご挨拶回り。太陽はあまり行きたくなさそうだったが、しぶしぶながらもついてきてくれた。
「あらぁ、そうだったの。じゃぁ今まで大変でしたねぇ」
お向かいのおばさんは世話好きそうな人。
「へぇ、じゃぁうちの雄大と一つ違いだ。雄大、こっちおいで」
ひとつ上の階に、太陽より一つ年上の子どもがいることもわかった。
「えーっ、まだ三十歳なの! うらやましいなぁ。ねぇ、今度若さの秘訣を教えてよ」
一階には姉さん肌のシングルマザーが住んでいる。ここの子どもはまだ四歳の女の子。思ったよりも仲良くなれそう。
他にも回ったが、どの人も私たちのことを受け入れてくれる。そうか、今まで自分たちでバリアを張っていたのか。ということは、太陽もひょっとしたら学校でバリアを張っていたのかもしれない。
今日のことが太陽をどう変えてくれるのか?
この日はなんだかくたくたになり、初めてこの部屋で眠るのに、すぐに寝付いてしまった。紗弓も太陽も同じみたいだ。
翌日、私がこの家から初出勤をしようとしたときに、チャイムの音が。
「おーい、学校にいくぞー」
なんと、ひとつ上の階の雄大くんが迎えに来てくれたのだ。
「あ、ちょっと待って下さい。太陽、学校どうする?」
私がそう尋ねると、太陽は少し考えてから顔をぱっと上げた。そして一言。
「行く!」
太陽はあわてて時間割をすませ、家を飛び出していった。どうやら太陽も一歩が踏み出せたようだ。
子女名優。子は親の心を実演する名優である、か。さぁて、私も会社で自分からの一歩を踏み出してみるか。