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コーチ物語 クライアント26「閉ざされた道、開かれた道」その2

 社長室に入ると、さっきの背の高い男性がにこやかな顔で座っていた。
「羽賀さん、こちらがさっき話したかんちゃん、塩浜寛太くんだ。うちにきた事情はさっき話した通り。なかなか有能なやつでね。本当はこんな町工場なんかにいる人材じゃねぇんだけどよ」
 社長は私のことをえらく褒め称える。だが、私がやったことは取り返しのつかないこと。その戒めとして今の人生があるのだから。
「かんちゃん、とお呼びしてもいいですか?」
 羽賀さんと呼ばれたその男性は、そう言って私に握手を求めてきた。私は油のついた手を急いでズボンで拭いてその手を握り返した。
 温かい。なんてぬくもりのある手なんだ。それは体温が高いとか、そういう
ものではない。なんだか心に響く、そんな温かさを感じる。
「初めまして。私は羽賀純一といいます。今はこちらの錦織さんの会社のサポートをさせていただいています」
「サポートって?」
 私の問いには社長が答えた。
「この羽賀さんは、コーチングってのでうちをサポートしてくれているんだよ。おかげで頭のなかが整理できたし、従業員たちもモヤモヤしたものが解消されてなぁ。ほれ、前にやってくれたみんなで意見を出し合うやつ。あれは評判よかったよなぁ」
 なるほど、コーチングか。それなら私も知っている。前の会社でもコーチング研修を開いていたことがある。残念ながら私はそれを受けることはなかったが。
「でよ、かんちゃん、今みんなとあまりとけ込めてねぇだろう?」
「えっ、そ、そんなことないですよ」
「バァか、そんなのお見通しなんだよ。かんちゃんに対しての悪いうわさは耳に入っているよ。ったく、あいつらは噂の方を信じて、本当のことを知ろうとはしねぇんだからよぉ」
「は、はぁ」
 確かに私に対しての悪いうわさが工場の中に広がっているのは確かだ。だからといってそれを否定するつもりはない。うわさとはいえ、おおむね真実なのだから。
「錦織さん、よかったら三十分くらいかんちゃんを借りてもいいですか?」
「あぁ、かまわねぇよ」
「あ、でもまだ作業の続きが……」
「あのくらいの作業なら大丈夫だよ。みんなにはちゃんと言っておくから。じゃぁ羽賀さん、よろしく頼んだよ」
 社長はそう言って部屋を出て行った。残された私は羽賀さんと対面。ちょっと緊張が走る。
「なんか無理言ってしまってごめんなさい。けれど、余計なおせっかいかもしれませんが。かんちゃんがどうしても放っておけなくて。実は私も似たようなことがありまして……」
「似たようなことって?」
「実は……」
 さっきまでにこやかだった羽賀さんの顔つきが、急に神妙なものになった。羽賀さんは言葉を続けた。
「実は、私は昔、事故で恋人を亡くしたことがありまして。あれはあきらかに私のせいなんです」
「羽賀さんのせいって?」
 ここから羽賀さんの話が始まった。以前勤めていた会社で、結婚をしようと思った女性がいたとか。その女性の父親は羽賀さんの上司。けれど、その上司の意図にそぐわない仕事をしたおかげで、結婚は反対されていた。
 ある日の夜、正式に結婚の申し出をしに上司である父親のところに挨拶に行ったが、そこでも猛反対され、羽賀さんの恋人は羽賀さんの車に飛び乗り出て行った。それを追いかけるように羽賀さんも助手席に乗り込んだが、峠道で対向車と正面衝突。そのときに恋人は命を失うことに。
「さらに、亡くした命は一つじゃなかったんですよ。彼女の……由美のお腹には生まれたばかりの命が宿っていたんです」
 私は言葉を失った。そういうつらい体験があったとは。けれど、それは羽賀さんのせいだとは思えない。私はそのことを伝えた。
「ありがとうございます。けれどこれはボクのせいです。ボクがあのとき、由美を止めることができていれば。もっとボクが低姿勢で由美の父親と話ができていれば。一度あそこで引いて、後日あらためて対策を練ってから行くことができれば……」
「そんなの、たら、ればの話じゃないですか。起きてしまったことに対してあとからいろいろと後悔はできます。けれど、大事なのはそこからじゃないですか?」
 なぜかボクが羽賀さんを慰めるような形になっていた。と同時に、自分が今まで思いもしなかった言葉を使っていることに気づいた。たら、ればで後悔しているのは自分じゃないか。これからが大事と言っているのに、これからを放棄しているのは自分じゃないか。できてもいないくせに、何をほざいているんだ、自分は。
「かんちゃん、ありがとう。なんか久しぶりにこの話をしたら、ちょっと涙が出てきました。けれど、かんちゃんに励まされてとてもうれしかったですよ」
 その言葉はお世辞などではなく、明らかに本心だと感じられた。その証拠に、羽賀さんはメガネを取って涙を拭いていたから。
「羽賀さんは最愛の人を亡くされたんですね。私は自分の不注意から人を轢いてしまいました。あのとき、仕事をムリに進めていなければ。眠たくなった時に休憩していれば。そもそも、車なんかに乗っていなければ。そんな思いが何度も繰り返されました。けれど……」
 そう、そうなんだ。さっき羽賀さんに言った言葉は自分にも言い聞かせなければいけない言葉。だからあえて口にしてみる。
「けれど、それはたら、ればの話。起きてしまったことに後悔するよりも、これからどんな風に生きていくのか。そっちの方を考えていかないと」
「そう、そうですよね。かんちゃん、私もそう思っています。だからこそ、私はコーチングの道に走りました。みんなの役に立つ、そんな仕事がしたくて」
 みんなの役に立つ仕事。うん、そうだ、そうなんだよ。今の仕事だって立派にみんなの役に立つ。車の歯車を作る仕事、その中でも不良品を仕分ける仕事。不良品が世に出回ったら、事故の原因になるかもしれない。これだって立派な仕事だ。
「かんちゃんは今のお仕事に満足しているのですか?」
 羽賀さんからそんな質問が。正直なところ満足はしていない。けれど、問題はこれから。だからこんな答えをした。
「満足、というには物足りませんが。逆にどうやったら満足できるのか。それをこれから考えていきたいと思います。社長のお役に立てれば。そして、この工場から生み出した商品が世の中のお役に立てるようになれば。そんな仕事をしていきたい。今、そう思いました」
「うん、その意気です。さすがだなぁ。ボクもぜひお手伝いさせてください」
「はい、よろしくお願いします」
 うん、なんだか気分がいい。さっきまで道を閉ざされていた自分とは大違いだ。気がつけば目の前に扉があり、その扉からまばゆい光が差し込んできた。そんな感じがする。あとはその扉を自分で開くだけだ。
 私は羽賀さんにお礼を言って、意気揚々と職場へと戻っていった。だが、現実は厳しい。そのことを目の当たりにする出来事が待っていようとは……。

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