コーチ物語 クライアント31「命あるもの、だから」その4
その日から私の生活は一変した。どうやったら子犬ちゃんを救えるのか。子犬ちゃんだけではない。保健所に保護された犬、捨てられた動物たちをどうやったら救うことができるのか。私の頭のなかはそれ一色になってしまった。
まずは犬達を保護している山下さんに会いに行かなきゃ。そこでどんなことをしているのか、どんな気持ちでその活動をやっているのか。それを知ることが大事だな。
そんなとき、一通のメールが。羽賀さんのところのミクさんからだ。
「山下さんのブログがあるから、これを読んでみるといいよ」
そう言ってアドレスが添付されていた。私は早速そのブログを読むことに。そこに描かれていたもの。それは私の想像を越えた世界だった。
まず眼に入るのが犬達の写真。おそらくは飼い犬が迷ってしまったのだろう。とても愛らしい目をして写真に写っているものもいる。がそれよりも私の心を惹きつけたのが、怯えて写っている犬。こんなところに保護されて、何が起きたんだろうという表情でカメラを見ている。
ほとんどが保健所の檻の中で撮影されたもの。まずは飼い主が見てくれないか、という気持ちでそこには掲載されているのがわかる。ここで飼い主と再開できなければ、待っているのは……。それを考えたら身震いした。
もうひとつ目を惹いたのは、ある犬の物語。その犬はまだ老犬と呼ぶほどではないのに、身体が衰弱しきっている写真が何枚もあった。よく読むと、フィラリアにかかってしまい、もう先がないとのこと。
「この犬を引き取るか迷った。けれど、もうこれ以上の犬は無理……」
山下さんも苦渋の決断だったようだ。
病気になっても満足に治療も受けることができない。そこに待っているのは過酷な運命だけ。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか? それって私たち人間のエゴでこうなったんじゃない。飼えなくなったから捨ててしまう。それが野犬となり、ただ生き抜くためだけに食料をあさり。そして危険だとみなされて保健所に保護されてしまい、最後にはガス室へ……。
あの子犬ちゃんも同じ運命をたどっていたのかもしれない。そう思うといてもたってもいられなくなってきた。なんとかしたい、でも私に何ができるの?
このジレンマをかかえたまま一週間が過ぎていった。その間に私は何度も羽賀さんのところに行き、子犬ちゃんとふれあい、愛情をたっぷり注いであげた。今の私にできることはこのくらいしかないから。
そんなことを続けていたとき、久しぶりに羽賀さんと会うことができた。羽賀さんはコーチングの仕事であちこちに飛んでいるから、あの日以来久しぶりに顔を見ることに。
「山下さんのところのイベント、日程が決まったよ」
私の顔を見るなり、羽賀さんはにこやかにそう言った。
「いついつ、いつなの?」
ミクさんが身を乗り出している。私も早くそれを聞きたい。
「秋の三連休のときに。内容はパネル展示とトークショー。そして映画上映会だ。そして目玉は犬との触れ合いのコーナーを設けるよ。そこでぜひ動物たちの温かさを感じてもらい、少しでも気づいてくれる人を増やせればと思って」
聴きながら私の頭のなかで勝手なイメージが膨らんできた。こういう場所に来る人なら、きっと子犬ちゃんのことをかわいがってくれるんじゃないかな。
けれど問題が。秋のイベントまではまだ時間がありすぎる。それまでずっと子犬ちゃんを羽賀さんのところに預けておくのは難しいんじゃないかな。それよりも早く、子犬ちゃんの飼い主を探してあげないと。
「山下さんに由香ちゃんのことも話したよ。そしたらすごく興味を持ってくれてね。ぜひ一度会いたいんだって」
「えっ、私に、ですか?」
「うん。山下さんもぜひ一緒に活動してくれる仲間が欲しいって言ってたからね。で、提案なんだけど」
「なんでしょうか?」
「今度の日曜日、時間があればぜひ山下さんのところに一緒に行かないかな? 唐沢が車を出してくれるっていうから」
「はい、ぜひご一緒させてください!」
私の心は高鳴ってきた。山下さんって一体どんな人なんだろう? きっと優しい人なんだろうな。勝手な想像で私の頭は膨らんできた。
その間も私は子犬ちゃんの写真をいろいろな人にみせて飼い主を探していた。でも、犬は可愛いけれど飼うとなると……と躊躇する人ばかり。逆に、どうして私の家じゃ飼えないのかと非難をする人まで出てきた。
私は飼ってあげたい。けれどお母さんが猛反対。それすらも説得できないのに、人に押し付けるのか、という感じ。
さらに追い打ちをかけてきたのが石垣先生。前にも子犬ちゃんのことで一悶着あったけど。
「進藤、お前まだ犬のことやってるのか?」
「先生には関係ないでしょ」
「進藤、オレはお前のことを思って言っているんだぞ。この前の小テストだって点数下がっていたじゃないか」
確かに、石垣先生の言うとおり最近勉強に身が入らない。子犬ちゃんのことが心配でたまらないから。これさえ落ち着けば、勉強も手につくのに。
「そんなことだからお母さんも犬を飼うのを反対するんだ。いいか、そんな犬のことなんか人にまかせて、いい加減学業に戻りなさい!」
この圧力タイプの先生はホント苦手。なんでも自分の思い通りになると思っているんだから。
そうはさせてなるものか。私は子犬ちゃんの未来をつくってあげるんだ。その意志は堅い。
だが、この話は学校だけでは終わらなかった。家に帰った時、お母さんが仁王立ちで私を待っていた。
「あんた、まだあの犬の世話をしていたの? 捨ててきたんじゃなかったの?」
「別にいいじゃない。家で飼っているわけじゃないから迷惑はかけてないでしょ」
「それで成績が落ちてるって、先生から電話があったわよ」
石垣先生だな。ホント迷惑なことを。
そこからお母さんのお小言のスタート。慣れているとはいえ、さすがに子犬ちゃんのことを言われるとダメージが大きい。けれど私もガマンの限界。
「お母さんは知らないからそんなこと言えるのよ! あのままにしてたら、子犬ちゃんがどんな運命をたどるか。知ったら落ち着いていられないわよ!」
「犬の命よりあなたの成績のほうが大事でしょ!」
「お母さん、そんなふうに思っていたんだ。もう知らないっ!」
私は自分の部屋に閉じこもってしまった。まさか、命より成績だなんて本気で思っていたなんて。
もう決めた。私は自分の考えで生きていく。学校なんてどうでもいい。今は動物たちの命のほうが大事。こうなったら徹底抗戦してやる!
そんな勢いで迎えた日曜。私はお母さんには何も言わずに出かけていった。もちろん行き先は山下さんのところ。羽賀さんの事務所で待ち合わせることに。
羽賀さんの事務所についた時、私は信じられない光景を目にすることになった。
「えっ、ど、どうして?」
そこに待ち構えていたのは、石垣先生とお母さんだった。