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コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」18.人生神劇 前編

「ねぇ、今度映画観に行かない?」
 紗弓から突然、そんなことを言われた。
 北川さんも仕事に復帰し、羽賀さんの指導もあって身の回りを綺麗にしていると聞いている。そのせいか、北川さんの仕事のやり方も変化が見えてきた。そのおかげで、仕事の回し方にも余裕が出てきて、休日らしい休日をとる余裕がでてきた日のことであった。
「映画かぁ、そういえばずいぶんと観ていないな」
「でしょ。太陽が生まれる前は、時々デートで行ってたじゃない」
「でも、紗弓はすぐに映画館で寝ちゃうからなぁ」
「もうっ、それは昔の話。今はそんなことはないわよ。なんかさ、DVDで見るのもつまらなくなっちゃって」
 最近はお金にも余裕がでてきたから、観たい映画やドラマのDVDを借りて見るという余裕も出てきた。といっても、無駄遣いはしていない。ささやかな贅沢というやつだ。
「そうだな。で、何か観たいものでもあるの?」
「うん、これ」
 そう言って紗弓はスマホを私に見せてきた。
「あ、これか。恋愛ドラマっぽいやつだけど、結構泣かせるって評判だよね、これ」
「そうそう、そうなのよ。なんかさ、最近感動っていう作品が観たくて。どうせなら劇場で泣いてみたいじゃない」
「紗弓って泣き虫だから、すごいことになりそうだけど」
「大丈夫! そのためにハンカチはたくさん用意しておくから」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
 まぁ、こういうのが紗弓らしい。紗弓も仕事を少しだけ離れて安静にしていた期間が長かったおかげで、病気の再発は心配なさそうだし。
「でも、太陽はどうするんだ? 太陽にはこの映画は早過ぎるだろう」
「へへへっ、そこはぬかりなく」
 紗弓の計画では、すでに私の父に子守りをお願いしているとのこと。父は離れたところに住んではいるが、ちょうどこの時期にこちらで業界の会合があるらしく。ついでにしばらくこちらにいようかと思っていたところだったらしい。
 というか、紗弓はそのことを聞いていたので、私との映画行きをひらめいた、ということだ。まったく、抜かりのない女房だ。
 そうして計画通り、次の日曜日に私と紗弓は映画へ。太陽は父と一緒に野球観戦へと出かけた。
 映画は前評判通り、感動の嵐。私ですら涙が出てくる感動モノ。隣を見ると、妻は必死に目頭をハンカチでおさえつつ、スクリーンから目を離さなかった。かなり感情移入したらしい。
「あぁ、すっごくよかった。なんか久々に心が洗われたって感じがする」
 上映が終わり、背伸びをしながら紗弓がそう言う。私も同じ気持ちだ。
「あんな人生送る人って、本当にいるのかな? まぁ、映画の中の話だから、大げさでもあるけど」
「ひょっとしているかもよ。だって、あなたの人生もあの映画よりもドラマチックじゃない」
 私の人生があの映画よりもドラマチック。そんなこと考えたこともなかった。けれど、思い起こせば確かにこの数年間で私は大きな変化を遂げた。
 紗弓と結婚したのは二十歳のとき。すぐに太陽が生まれて、しばらくは貧しいながらも楽しい生活を送っていた。
 しかし、勤めていた工場が閉鎖。職探しの最中に、高校の頃の同級生である西谷に出会い、特殊詐欺の片棒をかつぐことになった。
 けれど、良心の呵責に耐えかねて、自らの罪を償うことに。刑務所生活を一年間送ることとなった。その間に紗弓とは離婚。失うものはなにもないという状況にまで落ちてしまった。
 刑務所を出所後は私の被害にあった方への償いを誓い、自動車部品をつくる町工場へ就職。この中でも人間関係のトラブルはあったが、献身的に働いたおかげで私のことを認めてくれるようになった。
 そんなとき、息子の太陽が問題行動を起こしてしまった。それがきっかけで紗弓と復縁することができ、太陽の問題もなんとか解決。ふたたび一家揃っての生活をおくることができた。
 だが、紗弓が脳梗塞になり、突然の手術と入院。幸いごく軽いものであったので、命は助かった。そのおかげで、思いがけずに保険金をいただくこととなり、生活も安定することができた。
 このとき、私が工場で行ってきた改善活動が横山社長に認められ、工場改善のための特許製品をつくる仕事を紹介された。大きな利益を得られるチャンスだったが、安定した給与からは離れてしまう。かなり悩んだが、結果としてこの世界に飛び込んだのは正解だった。
 そして父との再開。今まで知らなかった父の失踪の原因がわかり、今までのわだかまりを解消することができた。これで死んだ母も浮かばれるというものだ。
 仕事は順調にいきそうだったが、パートナーの北川さんが突然倒れ、大騒動に。これもなんとか解決して、今はありがたいことに、お金にも時間にも、そして気持ちにも余裕のある生活を送らせてもらっている。
 私がこんなドラマや映画のような人生逆転劇を経験できたのは、すべて羽賀さんのおかげ。あの人と出会っていなければ、こんな人生は送ることはできなかった。
「羽賀さんのおかげだなぁ」
 今までの人生を走馬灯のように思い浮かべて、ふとそんな言葉が口から飛び出した。
「そうね。あなたも私も、羽賀さんにいろいろと頼りっぱなしだし。なのに、羽賀さんには何のお礼もしていないんでしょ?」
「そうなんだよ。羽賀さんは私からお金をとるわけじゃないし。なのに、私の相談にはいつも乗ってくれて。それだけじゃなく、私が生きていく上で必要な考え方や新しい人脈を次々と紹介してくれる。思えば、どうして羽賀さんってこんなこと私にしてくれるんだろう?」
「そうよね、不思議な人よね。じゃぁさ、今度また羽賀さんを夕食に誘いましょうよ。あの人、独身でしょ。そのときに聞いてみれば?」
 紗弓の提案、これは私も大賛成だ。せめてこんな形でお礼でもさせてもらわないと。早速羽賀さんにその旨を伝える電話を入れた。
「えぇっ、いいんですか? いやぁ、奥さんの手料理最高においしいですからね」
「羽賀さん、紗弓の料理が最高においしいって言ってくれてるよ」
「うふふ、羽賀さんってホント、人を喜ばせるのが上手よね。そう言われたら、張り切らなきゃいけなくなるじゃない」
 電話中にもかかわらず、紗弓は笑顔でうでまくり。そういう姿を見ていると、私もうれしくなる。
「じゃぁ、いつがよろしいですか?」
「そうですね。実は明日から一週間ほど出張に出てしまいますので。来週の日曜日はいかがですか?」
「はい、私は今のところ大丈夫です。では来週の日曜日に」
 ここまで言って、あることを思いついた。
「紗弓、少しくらい人数が増えてもいいかな?」
「うん、別に構わないけど」
「羽賀さん、一つ思いついたんですけど」
 電話を来られそうになる瞬間、私はあわてて羽賀さんに再度声をかけた。
「なんでしょうか?」
「北川さんと横山社長もお呼びしてもいいですか? どうせなら賑やかにやりたいなって思って」
「それ、ナイスアイデア! 北川さんは独り身だから、大喜びしますよ。横山社長もこういうホームパーティーっぽいの好きだから。スケジュールが空いてれば大丈夫じゃないかな」
 よし、決まった。今度の日曜日が楽しみになってきたぞ。

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