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コーチ物語 クライアント31「命あるもの、だから」その6
夏休み。私は部活をやっていない。だから基本的に昼間はとても時間が空いている。
去年は友達とたくさん遊んで、ちゃんと課外授業も受けて、それなりの夏休みを過ごせた。けれど、振り返ると「何かをやった」という充実感はそこにはなかった。
けれど今年は違う。
「行ってきます」
私はまず最初に、羽賀さんの事務所に向かう。そしてそこで子犬ちゃんをあずかる。昼間は羽賀さんもアシスタントのミクさんも忙しいから。そして子犬ちゃんを自転車のカゴに乗せて、山の方に向かう。行き先は山下さんの動物保護施設。
「こんにちはー」
「あ、由香ちゃん、いらっしゃい」
そこで私は動物たちのお世話をすることにした。もちろん、勉強も大事なのはわかっている。だから、空き時間はそこで勉強をさせてもらうことに。子犬ちゃんも少しずつ大きくなって、幼さがだんだんと抜けてきている。
それと同時に、その施設にいる他の犬達とじゃれて遊んだり。たまには大きな犬から叱られるようなこともあるみたい。こういう犬なりの社会性を身につけることも大事なんだな。
私はここで、動物たちを飼うってことがどれだけ大変なことなのかを目の当たりにする。
「こらっ、だめっ!」
犬のしつけは厳しい。山下さんは私たちに会うときはいつもにこやかな顔をしているけれど。動物たちと向き合うときは真剣な目をしている。悪いことをしたら叱る。その叱り方も、声だけでなく手がでることも。でもこれは虐待とかとは違う。
「よしよし、よくできたね。いい子いい子」
うまくできたりしたときは精一杯の笑顔で動物たちをほめてあげる。その時、山下さんは満面の笑みを浮かべる。愛情いっぱいって感じがする。
こういうのを知らずに、全てをいい子、いい子だけで動物を飼ってしまうと、甘やかすことになってしまい手が付けられなくなるそうだ。特に小さい頃にしっかりとしつけをしておかないと、後から手が付けられなくなり、もう飼えないからといって放り出す飼い主もいるらしい。
「それって人間のエゴなのよね。可愛いと思っているときは手放さずに、手が付けられなくなったら手放す。そうしたのは私たち人間なのに」
こうやって放り出された命は、残念な最期を迎えることになることも多い。その現実を知ってもらい、命についてもう一度考えて欲しい、というのが山下さんの願い。だからこそ、羽賀さんと組んでイベントを行うのだ。
「どうやったらこのイベントにたくさんの人が来てくれるかなぁ」
最近の山下さんの頭のなかはこればかり。とにかくたくさんの人に知ってもらうためにどうすればいいのか。私も考えるけれど、いいアイデアがなかなか生まれてこない。
「でもね、私には羽賀さんがついてくれているから安心なの」
そういう山下さん。私も羽賀さんという存在がとても大きくて、安心できるなと思っている。何かあると頼れる人だなって。
「こんにちはー」
そう思っていたら羽賀さん登場。子犬ちゃんがまっさきに羽賀さんに駆け寄りしっぽを振る。子犬ちゃんも羽賀さんが大好きなんだな。
「今日はイベントの話をもう少し進めましょう。やはり当日の集客をどうするのか。そのアイデアがもっと欲しいですね」
「うーん、それがなかなか思いつかなくて」
私以外にも、この場にはこの施設のスタッフさんが二名いる。でもみんな頭をうならせてばかり。
「ありゃりゃ、そんなに重く考えないで。じゃぁ、今まで皆さんが行ったことのあるイベントって、どうやって知りましたか?」
この質問に真っ先に答えたのが私。
「はい、私は友達から教えてもらうことが多いです。おもしろそうだから一緒に行こうって誘われるんです」
「なるほど、友達からだね。他には?」
私の言葉を皮切りに、いろんな意見が出始めた。インターネット、新聞、街中のチラシ、たまたま通りかかって、などなど。
「こう考えると、まずは告知媒体となるチラシは必須のようですね。でもこれだけじゃまだまだの気がしますが」
ここで再びみんな頭を抱える。けれど、そうなるのがわかっているかのように、羽賀さんは言葉を続ける。
「だったらもうひとつ質問。みなさんはどんなものがあったから、そのイベントに行きたいなって思いましたか?」
どんなものがあったから、か。私はボソリとつぶやいた。
「そこに行ったら楽しそうって思ったから……」
「由香ちゃんはどんなことが楽しそうって思ったの?」
「えっとですね……」
私は記憶の中を探り始めた。が、それより先に他のスタッフが声を発した。
「私は食べ物。おいしそうなものが無料で食べれるって書いてたから」
ちょっとぽっちゃりとしたスタッフさん。見るからにそういうのが好きそう。その声に続いてどんどん他の意見も出始めた。
「私はプレゼントがもらえるから」
「好きなアーティストだったら行っちゃうな」
「何か得をすると思ったらそこに行くかな」
あ、そうか。そこに行けば得をする。そんな気持ちにさせてくれればいいんだ。例えば無料で何かをもらえるとか、おまけがついてくるとか。あとは、めったに会えない人に会えるとか。お得感を出せばいいんだ。
私はそのことを言葉にしてみた。
「なるほど、由香ちゃんの意見はもっともだね。じゃぁ、このイベントでお得感を出すにはどんなものがあればいいかな? まずは予算とか考えずに意見を出してみましょう」
羽賀さんの促しでどんどん意見が出てくる。気がつけば縁日みたいな感覚のものがたくさん意見として並び始めた。それだけじゃない。動物と触れ合ったり、一緒に写真を撮ったり。さらには映画上映なんてのもアイデアで出てきた。
「いいね、たくさんのアイデアが出てきましたね。とはいっても、全部やれるわけじゃないし。特に今回のイベントはあまり予算がありませんからね。まずは予算軸を中心に優先順位を付けてみましょう」
こうやって羽賀さんの仕切りで話し合いは順調に進んでいく。後で聞いた話なんだけど、こういうのをファシリテーターっていうらしい。最初に羽賀さんの事務所に行った時にいた女性がこういう仕事を専門にしているとか。
私も将来、こんな感じで仕事ができたらなぁ。なんかかっこいいし。こういった社会勉強ができるのも、羽賀さんと出会ってこの施設に出入りするようになったからだ。ホント、ありがたい。