コーチ物語 クライアントファイル14「名探偵、登場」その3
時計は日付変更線を越えていた。しかし眠気は全くない。むしろ興奮している。
自分のことのはずなのだが、今は推理小説のトリックを考えているような気持ちになっている。ホワイトボードに書かれた事実から何が読み出せるのか。単なる推測ではなく、事実に基づくさらなる事実を探る。
しかも今回は羽賀さんという、自分とは別の頭脳までかり出している。そのおかげで、推理が憶測ではなく確実にパズルをはめていくような感覚で展開していく。
並べられた事実から言えること。それは
・冬美は部屋で殺害されたのではなく、殺害されてから部屋に運び込まれた
これは玄関に冬美の靴がないこと、殺害に使われたと思われるひも状のものが見あたらないこと、部屋で暴れた形跡や荒らされた形跡がないこと、などから推測される。
そしてこれも言える。
・冬美が会っていたのはわりと親しい顔なじみ
冬美は自分と会うときは、お店に出るような露出度の高い服装や派手な化粧をしている。が、今回は冬美にしては地味な服装と軽い化粧しかしていない。あらたまった誰かと会うような格好ではない。
・タレコミをしたのは犯人、もしくは犯人と共犯者
これは当然のことと思える。なにしろ自分を犯人にしようとしていたのだから。しかし、それにしては中途半端な部分が多すぎる。さきほどの靴にしても、服装にしても。緻密な計画にするのであれば、もっと自分を陥れるための罠が必要だと思うのだが。
そこから考え出されたのは
・計画的な犯行ではなく、突発的にやってしまったこと
どこでどうやって自分の部屋に冬美の死体を置こうという考えに至ったのかはわからないが。とにかく死体をなんとかしようと思って、自分の部屋を放置場所に選んだのは間違いない。
しかし、こうやって立てた仮説にも疑問は残る。
まず、冬美の死体を人に見つからずにどうやって部屋まで運んだのか。うちのマンションは1つの階に3部屋しかない。しかも自分の部屋はエレベーターのすぐそば。なんとかエレベーターに乗せてしまえば、人に会うこともなかなかないだろう。だが危険性は高い。よほどタイミングがよかったのか、それとも何かの工夫をしたのか。
そしてなにより、自分の部屋の鍵をどこで手に入れたのか。うちのマンションは結構古い。鍵はよく見かける普通のタイプ。鍵屋さんで複製してもらおうと思えば簡単にできる。たぶんピッキングができる空き巣なら簡単に忍び込めるだろう。だからといって特別な防犯対策もとっていない。なにしろ家賃が安かったからなぁ。
ってことは、ピッキングで開けたのか。それとも冬美がこっそりと自分の部屋の合い鍵を作っていたのか。そこはまだ不明。
そして一番の問題点。なぜ冬美は殺されたのか。これは根本となる問題点だ。こればかりはいくら頭をひねっても出てこない。
「羽賀さん、これ以上はお手上げですね。もう少し手がかりがないと」
「そうですね……新城さん、これにあとどんな手がかりがあればもう少しハッキリしたことがわかると思いますか?」
「う〜ん、そうだなぁ……」
ボクはホワイトボードを眺めて考え込んだ。欲しい手がかりは山ほどある。犯人の指紋、目撃者、冬美の靴、凶器のヒモ、複製の鍵、などなど。が、どれもそれが出てくるとは思えないものばかり。
「じゃぁ逆の視点でいきましょう。新城さんが犯人なら、絶対に残したくないものって何ですか?」
「残したくないもの……自分の指紋、冬美の靴、殺害に使った凶器のヒモ、部屋の鍵、もしくはピッキング道具……あ、あと自分の姿を見られること」
これらはさっき頭に浮かんだものばかり。
「他にありませんか?」
「他に、他に……あ、もう一つある」
「何でしょうか?」
「通話記録です。警察にタレコミしたときの。警察だってバカじゃない。自分が殺害を否定すれば、容疑はタレコミを行った人物にも及ぶはずです。そうなると通話記録を調べるでしょう。ボクがタレコミをするのなら、自分の携帯電話や自宅の電話は使わない。どこか関係ない街の公衆電話を使うでしょうね」
「通話記録か……これ、なんとかなるかも」
羽賀さんは夜中にもかかわらず、どこかへ電話をかけ始めた。そして一旦事務所の外へ。自分に聞かれたくない話か相手なんだろうな。ここは企業秘密ってところか。
しばらくして羽賀さんは部屋に戻ってきた。
「新城さん、いいところに目をつけてくれました。竹井警部からさっき聞いたんですけど、タレコミ電話は警察署に直接かかってきたそうだから。これなら調べは早いです。例え公衆電話からでも、時間と場所が特定できればなんとかなりそうですよ」
こんな遅くまで竹井警部は働いていたのか。警察って大変だなぁ。でも竹井警部に電話をかけたところで、それがわかるのかな? それに竹井警部、羽賀さんによくそんなことを教えてくれたな。普通はそんなこと教えるはずないのに。
「これ以上考えても仕方ありませんよ。とりあえず今夜は寝ましょう。新城さんは明日会社へは出勤されるのですか?」
「いやぁ、正直こんなことがあったでしょう。会社には正直に話をして有給を取ろうかと思っています。まぁ自分は容疑者でもあるし。どうせ明日も警察から事情徴集を受けるでしょうから」
「そうですか。じゃぁ朝はゆっくりでいいですね。じゃ、奥のベッドを使って下さいね。おやすみなさい」
半ば強引に羽賀さんに追いやられ、奥のベッドを使わせてもらうことになった。しかしこの事件、真相はどうなっているのだろう。冬美をどこで殺害し、どうやって自分の部屋まで運んだのか。冬美を殺害した理由は何なのか。そして殺害したのは誰なのか。タレコミをしたのも誰なのか。皆目見当がつかないことばかり。これじゃ推理小説作家失格だな。
そんなことを考え込んでいたら、いつしか夢の中に落ちていた。
気がつくと翌朝。うっすらと明るくなっていることに気づき、体を起こした。今何時なんだ……ポケットに突っ込んだままの携帯電話で時間を確認する。表示は6時6分。まだこんな時間か。
すると、カーテンの向こうではガタンという音が。羽賀さんかな。そっとカーテンを開け、事務所の中をのぞき込む。
するとそこにはエプロン姿の一人女性がいた。その女性がソファに寝ている羽賀さんにそっと毛布をかけている。誰だ、この人?
「あ、おはようございます」
顔だけカーテンから出している自分に気づいて、そうあいさつをする女性。若くてかわいらしい。あ、これがひょっとしたらうわさの舞衣さんか。確か羽賀さんの事務所の一階で花屋をしていて、このビルのオーナーの娘さん。周りのうわさでは羽賀さんのいい人だということだが、羽賀さん自身がそれを否定している。
「えっと、新城さんでしたっけ。推理作家希望の。羽賀さんから聞いていますよ。昨日の夜、突然連絡があって、人を泊めることになったから朝食をお願いって言われて」
「あ、すいません。なんかお気遣いさせちゃって」
「いえ、いいんですよ。こういうの好きですから。新城さんは納豆は食べますか?」
「あ、はい。大好物です」
「よかった。羽賀さんにも言っておいて下さいよ。納豆は完全食で体にいいんだから食べなきゃダメだって」
「羽賀さん、納豆嫌いなんですか?」
「そうなのよ。でも今は無理矢理食べさせてるの。コーチって商売は体が資本なんだから。健康にも気遣ってもらわないとね」
舞衣さん、完全に羽賀さんの奥さんみたいだな。これで何も関係がないなんておかしいよ。でも羽賀さんの裏側を知ることができて、なんだかうれしかった。
「さてと、もうちょっとしたら朝ご飯できますから。その間に羽賀さんを起こしてもらってもいいですか?」
「あ、はい」
舞衣さんに言われて羽賀さんを起こそうとした。そのとき、一瞬頭の中に何かがひらめいた。が、眠っている羽賀さんをどうやって起こそうかという考えが次に出てきて、そのひらめいたものがなんなのがわからなくなった。
事件に関するとても重要なことのはずなのだが。一体なんだったっけ。
その場で考え込んでしまう自分がいる。ちくしょう、とても大事なことなのに。どうして思い出せない。何かが頭の中にひっかかったんだ。
そう、舞衣さんの言葉、さっきの会話の中にそのヒントが眠っていたはず。なんだったかなぁ。
「新城さん、そろそろ羽賀さんをお願いしまーす」
「あ、はい」
仕方ない、また後で考えるとするか。とりあえず羽賀さんを揺さぶって起こしにかかる。だが、頭の中ではさっきひらめいたことがなんなのか、それを追っている自分がいた。
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