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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第六章 決断した男 その8
「今日の午後六時、佐伯孝蔵の自宅にてお会いするとのことです。和雄さんは佐伯孝蔵の自宅はご存知ですか?」
「えぇ、住所が変わっていなければ」
「それとくれぐれも、今回佐伯孝蔵と会って話した内容および知り得た事実については口外無用とのこと。万が一それが漏れた場合は命の保証はしないとのことです」
「はい、わかっています」
私の胸の鼓動はさらに激しさを増した。佐伯孝蔵にあって、私はまず何を言えばいいのだろうか。そして何を望めばいいのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなってきた。
「とりあえず、ボクは事務所でお待ちしています。ご都合のいい時間にこちらにお越しください」
そこで羽賀さんの電話は切れた。だがなんとなく違和感を感じる。羽賀さん、昨日の一件からどうも態度がよそよそしい。これはどういうことなのだろうか?
とにかく、私が佐伯孝蔵と会ってどのようなことを話すべきなのか。その整理をつけたい。ここはやはり羽賀さんのコーチングを頼るべきだろう。
そう思って私は早速羽賀さんのところへ足を向けた。
その道中、私は妙な視線を感じることとなった。誰かが尾行しているのか? そう思って尾行をまくような形で少し不自然な行動をとってみた。だがそのような尾行がついているようには思えない。なのに視線だけは常にどこかで感じる。
羽賀さんのところに行く前に、少し心を落ち着けよう。そう思って裏通りの喫茶店に入ってみた。
「いらっしゃいませ」
ひげを生やした、いかにもマスターという感じの店主がカウンターでにこやかにお客の入りを待っていた。
「ホットコーヒー一つ」
「はい、ホットコーヒーですね」
ふぅ、ここなら視線も感じないだろう。そう思った矢先に、ちょっと驚く人物と遭遇してしまった。
「あーっ、ったく眠いなぁ。マスター、コーヒー頼むわ」
そう言いながら入ってきた人物。それはなんとジンさんであった。
「あれっ、和雄さんっ!? なんでここに?」
「ジンさんこそ、どうして?」
「いやぁ、ここはオレの行きつけの喫茶店なんだよ。まさかこんなところに客が入っているとはなぁ」
「おい、ジン、こんなところにはねぇだろう。お客さん、すいませんね。こんな騒がしいヤツで」
「いえいえ、とんでもない。へぇ、ここはジンさんの行きつけなんですか。ちょっと落ち着く空間ですね」
「だろう。コーヒーの味はイマイチだけどよ、まぁなんちゅーかオレたちの秘密基地って感じでここを使っているんだよ」
「おい、ジンっ」
マスターが何かを静止するような形でジンさんにそう言った。
「おっといけねぇ、よけいなおしゃべりが過ぎたな。で、和雄さんはこれから羽賀さんのところに行くのかい?」
「えぇ、そのつもりだったのですが、なんだか今日は妙に視線を感じてしまって。尾行されているのかと思ったのですがどうもそうじゃないみたいで。だから心を落ち着けようと思って、手近なお店であるここに入ったんです。この視線って一体なんなのでしょうね?」
ここでマスターとジンさんは顔を見合わせた。
「お客さん、コーヒーです。ゆっくり飲んでいってくださいね。ジン、悪いがここを頼む」
「あいよ」
そう言うと店のマスターはバックヤードに姿を消した。
「あれ、マスターはどうしたんですか?」
「ちょっと調べ物を思い出したみたいでね。それより、その視線ってのはいつから感じているんですか?」
「えぇ、ホテルを出る時からです。いや、ホテルの部屋を出た時からと言った方がいいですかね」
「なるほど………和雄さん、確か今日佐伯孝蔵と会うんですよね?」
「えぇ、羽賀さんから聞いていたんですか?」
「あぁ。だからかな………」
「だから?」
ほどなくしてマスターがバックヤードから戻ってきた。そしてジンさんに耳打ち。
「うん、わかった。和雄さん、これからオレと一緒に羽賀さんのところに行きましょう。その道中でお話ししますよ」
そう言うとジンさんはコーヒーを一気にのどに流しこみ、席を立ち上がった。私も慌ててコーヒーを飲み干し、お金を払ってジンさんの後を追う。一体どうしたのだろうか?
ジンさんは道中で話すと言ったにもかかわらず、何も言わずに私の前を歩く。私はその後ろを急いで追いつくようについていく。何がどうなっているのかさっぱりわからない。
そして細い路地を曲がったところでようやくジンさんが口を開いた。
「ここなら大丈夫だ。カメラはこの路地にはないからな」
「カメラ?」
「あぁ、街中やホテル、ビルには防犯用のカメラがあちらこちらについているのは知っているかい?」
「今はそんな時代なんですか?」
「あぁ、そして和雄さん、あんた今朝からそのカメラでずっとその姿を追われていたんだよ。だから視線を感じていたんだ」
「でも、誰がなんのために?」
「リンケージ・セキュリティ、いや佐伯孝蔵があんたの情報を得るために、だよ」
「私の情報を? どうして?」
「その謎はあとで教えてやるよ。ただひとつ言えるのは、佐伯孝蔵は今のあんたの情報を欲しがっている。そのためだよ」
何かを知っているような口ぶりでジンさんは私にそう言った。そのときの空気感は羽賀さんと同じようなものであった。
そして羽賀さんの事務所に到着。羽賀さんはにこやかに私を迎え入れてくれたにも関わらず、昨日からある違和感はぬぐえない。
このあと、羽賀さんのコーチングで佐伯孝蔵とどのような話をするのかの段取りを決めることとなった。
「じゃぁ、こういう段取りで会話をするということでよろしいですね」
「はい、ありがとうございます。そろそろ出る時間ですね」
「えぇ。佐伯孝蔵の自宅まではボクは同行できます。しかし対面するのは和雄さん、あなた一人ですから」
「わかりました」
違和感がぬぐえないまま、私と羽賀さんはタクシーに乗って佐伯孝蔵の自宅まで行くことに。そのとき見送ってくれたジンさんの複雑な表情が目に焼き付いている。
「お待ちしていました」
玄関先で私たちを出迎えてくれたのは、佐伯孝蔵の秘書長である飯島夏樹。彼が直々に私たちを迎え入れてくれた。
「しばらくこちらの部屋でお待ちください」
私にとっては懐かしい家屋だ。昔ながらの日本家屋で、長い廊下といくつも重なる畳の間が佐伯孝蔵の権力を象徴していた。彼の部屋はこの一番奥。そこにいるのか。
「では蒼樹様だけ、私に続いてください」
私は覚悟を決めた。いや、決断したといっていい。佐伯孝蔵に会い、そして今までの思いを彼にぶつける。その上で彼にも決断させる。今後、日本を私物化するような動きを止めるべきだと。今の政府のやり方に協力し、よりよい日本を作っていくべきだと。それが羽賀さんとコーチングをして出した私の答えなのだ。
そして謁見の間に到着。目の前には障子で仕切られた私の知らない新たな部屋が作られていた。そこに佐伯孝蔵のシルエットだけが映し出されている。
「蒼樹、よく来たな」
その重苦しい声に私は一瞬にして潰されそうになった。が、そのプレッシャーに押しつぶされないように私は声を発した。
「佐伯様、お久しぶりです」
「うむ。で、蒼樹よ、おぬしわしに何をして欲しいと思っておるのかな?」
障子の向こうで重い声が響く。このとき、私はふと思いたち障子の向こうを睨んだ。
「佐伯様、どうして私にそのお姿をお見せにならないのですか?」
声が止まった。それをフォローするように飯島夏樹がこう発言した。
「佐伯様は今ご病気で、誰にもお会いできないのです」
だが私の心の違和感は拭えない。何かおかしい。それは直感としか言えなかった。だがそれは間違いない。
私は突然立ち上がり、思い切って障子を開こうとした。それを静止するように飯島夏樹は私に体当たりをしようとした。が、私はそれを避け、そして思い切りその障子を開けた。
そして私は見た。佐伯孝蔵の本当の姿を。
「ま、まさか………これが………佐伯………さま」
私は言葉を失った。そして、これが今の日本を裏で動かしている現状であることを悟った。