コーチ物語 クライアント31「命あるもの、だから」その3
「こんにちはー」
私は恐る恐る、羽賀さんの事務所の扉を開いた。もしかしたら子犬ちゃんを預かってもらったのが迷惑だったかもしれない。
だが、扉を開けると笑い声が。そしてそこには数人の人の姿があった。さらに驚いたのが、その人達の中心にいるのが……
「子犬ちゃん!」
私の声にみんなが反応。一番反応したのがあの子犬ちゃんである。子犬ちゃんは私の方に一目散に駆け寄ってくる。その目はとてもキラキラしていて、思わず抱きしめたくなる。
「由香ちゃん、いらっしゃい」
羽賀さんがにこやかに私を迎え入れてくれた。
「この人がこの子犬ちゃんを拾った高校生の子だよ」
私のことをみんなに紹介してくれる羽賀さん。そこには羽賀さん以外に四人の姿があった。
「へぇ、あなたがこの子犬ちゃんを拾ってあげたのね。命を一つ、救ってくれたんだね。ありがとう」
そう言ってくれたのはちょっと年齢が上のヤセ型の女性。
「堀さんが言った通り、この子がこの子犬ちゃんの命を救ってくれたんだよ」
堀さんっていうのか。私のお母さんと同じくらいの年齢かな? でもお母さんより優しい目で子犬ちゃんを見てくれるのがうれしい。
「オレもこんな犬が飼えればなぁ。残念ながらうちのマンションはペット禁止だからなぁ」
「うちも唐沢くんと同じなのよね。ペット禁止じゃなければ飼ってあげたいところなんだけど」
堀さんがそう言った相手が唐沢さん。羽賀さんと同じくらいの年齢かな。スーツ姿の大人の男性って感じがする。
堀さんも唐沢さんも残念ながらマンションでは飼えないのかぁ。
「私のアパートも無理だし。それに昼間は学校、夕方からここだから飼えたとしても子犬ちゃんにかまってあげられる時間がないからなぁ」
「ミクには動物を飼うのは無理だろ。お前のほうが飼われる立場になりそうだな」
「唐沢さんこそ、同じようなもんじゃない。今まで女性に飼われったんじゃないの?」
ミクと呼ばれた女性。年齢は私に近いのかな。活発そうな女の子って感じ。どうやらアパートで一人暮らしをしているようだ。ここのアルバイトさんかな?
「ミクにはまだ無理よ。まずは自分の生活をきちんとしないとね」
「舞衣さんにそう言われると、ちょっと厳しいなぁ」
舞衣さんと呼ばれた女性はミクさんよりもうちょっとお姉さんだな。エプロン姿をしているけれど、羽賀さんの奥さんなのかな?
「私も子犬ちゃん飼ってあげたいところだけれど。お花やさんの仕事があるからかまってあげられないし。お父さんにお願いしても、お父さんそのものが家にいることが少ないからなぁ」
あ、一階のお花やさんの人なんだ。確かにお花やさんをしていたら犬を飼うどころじゃないだろうなぁ。
「ボクも子犬ちゃんを飼ってあげたいところだけど……」
羽賀さんがそう言うと、みんなの目線が羽賀さんに集まった。最後の期待ではあるんだけど。でも……
「でも、ご存知のようにボクもなかなか子犬ちゃんにかまってあげる時間が無いのが実情だからね。数日はなんとかなるけれど、ずっと飼うのは難しいかな。由香ちゃん、実はここにいる人たちのつてを頼ってみようと思って集まってもらったんだよ。みんな顔が広いから、なんとかなるんじゃないかと思って」
「あ、ありがとうございます」
私は深々と頭を下げる。本当にいい人達ばかりだ。
「でも、こんなにかわいい子犬ちゃんを捨てるなんて、どうにかしているわよ」
「堀さん、犬を飼うってそんなに簡単な事じゃないんだよ」
「羽賀くん、それはわかっているわ。だからこそ、飼い主はちゃんとしたお世話ができるような体制を整えてあげないと。子犬を捨てるくらいなら、ちゃんとした去勢手術をうけさせるとかね」
「堀さんの言うとおり、それって大事なことですよね。飼えなくなったから捨てる。そんないい加減な気持ちでペットを飼ってほしくないな」
「舞衣さんの言い分もわかるけど。でも私はもっと大事なことがあると思うのよね」
「ミク、どんなこと?」
「ペットって家族の一員だっていうじゃない。本当にそういう気持ちを持っている人はたくさんいるとは思うの。でも、捨てられた犬達にどんな現状が待っているのか。それを知らない人たちのほうが多いんじゃない?」
このとき、石垣先生の顔が浮かんだ。あの先生はその現状を知らない。保健所に引き取られた犬達が待つ末路のことを。私はそれを知ったからこそ、必死になってこの子犬ちゃんの飼い主を探そうと思った。けれどもう一つ別の思いが頭に浮かんだ。
そういう犬は子犬ちゃんだけじゃないんだ。もっと大きな犬達も同じ。一見すると凶暴な犬達も同じ運命をたどる。野良犬だから保健所の人が捕獲して処分していいってわけじゃない。この子犬ちゃんも凶暴な野良犬も、命は同じ。
「保健所に引き取られた犬達が待つ運命はさっきボクが話した通り。ガス室に送られてしまうんだよ。本来はそういう犬達を減らすべきなんだろうけれど。でも現実はなかなか難しい。だからせめてペットを飼う以上は責任をもってほしいとは思うけどね」
羽賀さんの言うとおりだ。やはり私は子犬ちゃんに対して無責任なことをしてしまったのだろうか。我が家では飼えない。だから他の人を探す。これって責任を他になすりつけようとしている行為じゃないのか。
また私の頭のなかがグルグルと回り始めた。私は一体どうすればいいのか。
「でね、ボクが一つ思ったことがあるんだけど」
「えっ、どんなこと?」
「ボクも、ボクのセミナーで子犬ちゃんのことを伝えてみるけれど。それ以上にこういう野良犬たちの現状や末路をしっかりと伝える活動も必要じゃないかって。実は今、そういう犬達を保護している人とつながっててね」
「あ、山下さんね」
ミクさんがすかさずそう言った。
「うん、山下さんっていう女性なんだけど、この人もやはりそういう現状を知って、何とかならないかって思いで犬の保護を始めたんだ。そして里親を探す活動をしているんだよ」
このとき、私の心の奥で何かが動き始めた。でもそれが何なのかはまだよくわからない。
「さすがに山下さんのところに子犬ちゃんをもっていくのは迷惑だけど、こういう活動を知ってもらうことも必要じゃないかと思って。だから、子犬ちゃんを題材に、捨てられた犬達が待っている末路を知ってもらうようなキャンペーンかイベントを開いてみるのはどうかなって思って」
「羽賀、それナイスアイデア! オレも力を貸すぜ」
「羽賀くん、私も協力するわよ」
「私も、花を買いに来たお客さんにアピールはできるわ」
「もちろん、自称羽賀さんの一番弟子のミク様も頑張るわ!」
ここにいるみんなの意志がひとつになった。そして……
「私もそれ、やらせてください!」
私の声に、みんな笑顔で応えてくれた。
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