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コーチ物語 クライアント38「ベースボールマン」その4

「佐久間くん、セカンドオピニオンを受けてみないか?」
「セカンドオピニオン? なんですか、それ」
 セカンドオピニオン、名前だけは聞いたことはあるけれど意味は知らない。
「セカンドオピニオンとは、主治医以外の別の医師から意見を求めることなんだよ。主治医の判断だけでなく、別の専門医師から意見を聞くことで、ひょっとしたら別の治療の方向性が見つかるかもしれない。県立病院の形成外科の先生って、スポーツの専門家じゃなかったはずだ。ボクが知っているスポーツの専門医師がいるから、そこに一度意見を聞いてみるのはどうだろうって思ったんだよ」
「そ、それってもしかしたら野球ができるかもしれないってことですか?」
「今の段階ではなんとも言えない。もし、ボクが紹介するお医者さんが県立病院の医師と同じ判断を下せば、残念ながら野球は無理かもしれない。けれど、そうじゃない可能性もある。佐久間くん、どうする?」
「も、もちろんそうします。可能性が少しでもあるのであれば、僕はそこにかけてみたいです!」
 希望の光が見えてきた。また野球ができるかもしれない。
「けれど、そうするには一つだけ条件があるんだけれど。いいかな?」
「はい、どんなことでしょうか?」
 どんな条件でもいい。また野球ができるのであれば。今ならどんなことでもやってやる。そんな気持ちになっていた。
「セカンドオピニオンを受けるには、できればスジを通しておいたほうがいい。今の主治医に黙って別の医者にかかることもできないわけではないけれど。それは今の医者を信頼してないということになる。そんなことが後からわかったら、今の主治医はイヤな気持ちにならないかい?」
 確かにそのとおりだ。自分の診断を信頼していないのか、と言いたくなるだろう。僕は黙って首を縦に振った。
「よし、ここまではいいね。じゃぁ、佐久間くんがやるべきことは、今の主治医にセカンドオピニオンを受けることを伝えることだ。そして、できれば診断情報と紹介状をもらうこと。これが条件だ。これ、できるかな?」
「はい、やってみます」
 そのくらいなんてことはない。このときはそう思った。きっと言えばわかってくれるはず。けれど、そんなに甘くないことがそのあと痛いほどわかった。
 羽賀さんと話をした翌日がちょうど診察日だった。
「うん、かなりよくなってきているね。ギブスがとれるのはゴールデンウィーク明けになりそうだが、そのあとは少しずつリハビリしていけば、軽いジョギングくらいなら問題なくなるだろう」
「あの……そのことなんですけど。僕、セカンドオピニオンを受けようと思っているのですが」
「セカンドオピニオン?」
 このとき、医者の眉間に深いシワができたことを見逃さなかった。
「どういうことか、もう少し詳しく聞かせてくれるかな? つまり、私の診断に不満があるということかい?」
 医者は黒縁のメガネのズレをなおし、椅子に深く座り直した。このとき、少し圧力的な感じを受けた。
「僕の知り合いから奨められたんです。スポーツに詳しい形成外科がいるから、その人の意見も聞いてみるのはどうかって」
「ということは、やはり私の診断に不満がある、ということか。こんなことを言うのもなんだが、形成外科の世界ではこのあたりでは私の評判を聞いてやってくる患者も多いんだよ。その私を差し置いて別の町医者の意見を参考にしようなんて。どれだけ思い上がっているんだか」
 あきらかに不満の態度を示す担当の医者。僕から見ればどれだけのものなんだって気はするけど。でも、今のままじゃ羽賀コーチの条件を満たせない。この医者から診断情報と紹介状をもらわなければいけないのだから。
「先生、僕は先生を信頼していないわけではないんです。ただ、野球をもう一度やりたいだけなんです。野球を諦めきれないんです。だから、別の医者の意見を聞いて、それで無理だと診断されたら諦めます。それまでは諦めきれないんですっ!」
 僕は必死になって、今の自分の気持ちを目の前の医者に打ち明けた。けれど、医者は腕組みをして黙ったまま。
「次の患者が待っている。また来週、診断をするから来るように」
 それだけを僕に告げて、カルテを看護師に渡す医者。僕は諦めるしかなかった。
 軽くお辞儀をして、診察室を出て行く。そして深いため息。さて、どうすればいいのだろうか。
 寮に戻ると、佐川が早速診察のことを聞いてきた。佐川には羽賀コーチからの条件の話はしてあった。やはりそれが気になったようだ。
「佐久間、どうだった? 紹介状はもらえたか?」
「それがダメだったんだ。あの医者、かなりプライドが高くて。自分の評判を聞いてやってくる患者もいるんだよ、なんてこと言い出しちゃってさ。自分のことを信頼できないのかって大怒りだよ」
「頭の固い医者だなぁ。そんな態度とられたら、よけいに患者の信頼をなくすっていうのがわかんないんだよなぁ。でも、それじゃ羽賀コーチの条件はクリアできねぇな」
「そうなんだよ。何かいい案ないかな?」
 二人して腕組みして考えていると、先輩がやってきた。
「どうしたんだ、二人で考え込んで」
「実は……」
 佐川がここまでの事の顛末を先輩たちに話してくれた。すると、今度はその先輩たちが寮のみんなにこの話をしてくれた。気がついたら、僕の主治医に対しての悪口と、どうすれば紹介状をもらえるのかの話で盛りあがっていた。
「佐久間、オレたちにもそれを手伝わせてくれないか」
 そう言い出したのは、僕にぶつかってケガをさせてしまった先輩。
「手伝うって、どうやってですか?」
「みんなで嘆願書を書こうって思ったんだ。ぜひ佐久間にセカンドオピニオンを受けさせてくれって。それを持って、来週の診察のときにオレが代表してその医者に嘆願書を渡すよ。佐久間、そのくらいはやらせてくれないか」
 先輩の気持ち、そしてみんなの気持ちが痛いくらいに僕に伝わってきた。みんな真剣な目で僕の方を見てくれている。
「みなさん、ありがとうございます」
 僕はそう言うのが精一杯だった。それ以上は言葉にならない。僕はみんなに支えられている。これでこそ野球を一緒にやっている仲間なんだ。僕はまだこの一員になって少ししか経っていない。なのに、こんなにも気持ちが一つになれるなんて。さすが、名門の野球部だけある。
 そうして、野球部員みんなの思いをつづった嘆願書が作成された。僕にもう一度野球をやらせて欲しい。みんなで一緒になって野球をやりたい。そんな気持ちの中で、佐川は僕の夢を知っているので、それについてもふれてくれていた。その文章がこれだ。
「佐久間くんには夢があります。それは、学校の先生になって軟式野球を子どもたちに広げていくという夢です。その夢を果たすためにも、ぜひもう一度野球を、悔いのないようにプレイして欲しい。自分はチームメイトとして、そして友人としてその夢を支えていきたいのです。佐久間くんに夢を諦めてほしくない。だからこそ、彼にセカンドオピニオンを受けさせてください。少しでも可能性があれば、そこにかけさせてください。よろしくお願いします」
 僕は佐川の文章を読んで、涙があふれてきた。

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