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コーチ物語 クライアント27「見えない糸、見えない意図」その3

「ねぇ、私もあんなふうに人の心が読めるようになるのかな?」
 隣にいるミクに小声でそんなことを伝えた。
「まぁコーチングの目的は人の心を読むことじゃないけど。でも、あのくらいならちょっと訓練すればできるようになるよ」
 ミクも小声でそう言ってくれる。すごい期待感。それができるようになれば、新しくできる彼氏の気持ちもわかるだろうし。課長にもお小言をいわれなくなるよね。
「ちなみに、あのくらいになるまでにはどのくらいの時間かかるの?」
「うぅん、特にどのくらいってわけじゃないけど。私も気がついたらわかるようになってきたし」
 そうかぁ。とりあえずしばらくはしっかりと学んで訓練しなきゃね。
「あ、羽賀さんのコーチング終わったみたい。羽賀さん、ちょっとちょっと」
 ミクが羽賀さんのところに駆け寄り、どうやら私の話をしてくれているみたい。私は期待を込めて羽賀さんの方を見る。
「わかった。えっと、真澄さんでしたよね。よかったらこっちへ」
 羽賀さんに促されるまま、私はソファに座っているみずきの横に位置した。期待を込めた目で羽賀さんを見る。
「私にコーチングを習いたい、ということですね」
「はい、ぜひお願いします」
「えっ、真澄、羽賀さんのコーチングを受けるの?」
「受けるんじゃなくて、コーチングが使えるようになりたいの。ぜひよろしくお願いします」
「じゃぁ真澄さん、ちょっと確認させてください。何のためにコーチングを習いたいと思ったのですか?」
「なぜって、えっと、それは人の心を読み取りたいからです。今の羽賀さんのコーチングを見たり、ミクのコーチングを受けた時に思ったんです。こうやって人の心が読めれば、もっと私の人生って楽になるのにって」
「楽になる、ですね。具体的にはどう楽になるんですか?」
「はい。私、今まで何人もふられてきました。その度に言われるのが、私の思いが重たいって。私はもっと彼のことを知りたいと思っていたんですけど、そういうこともわからずに一方的に思いを寄せていたんだなって。でも、そういう彼の心が読めればもっと付き合い方も楽になるって、そう思ったんです」
「なるほど、彼の心を読んで付き合い方を楽にしたい、ということですね。他には?」
「あと、上司からよく相手の意図を読み取りなさいって言われるんです。それでこの前も大きな発注ミスの失敗をしてしまって。でも、もっと相手の言いたいことを読み取ることができれば、仕事でもそんなミスはしなくなると思うんです」
「そうか、仕事のミスを減らしたい、ということなんですね」
「はい。だからこそ、人の心を読み取る術を覚えたいんです。よろしくお願いします」
 私は深々と頭を下げる。するとみずきがこんなことを言い出した。
「真澄、あんたコーチングを誤解しているんじゃない? コーチングって別に人の心を読み取る術じゃないし」
「でも、現に羽賀さんもミクも人の心を読み取っていたじゃない。あれはどう説明するの?」
「うぅん、まぁそうなんだけど……」
「まぁまぁ、確かにコーチングの目的は人の心を読み取ることじゃありませんけれど。でも、そういうこともできるようになるのは確かですよ」
「ほら。じゃぁ、教えてもらえますか?」
「そうですね。じゃぁ一つだけ条件をつけてもいいですか?」
 条件って、一体なんだろう? ちょっとドキドキしながら羽賀さんの言葉を待つことにした。
「その条件とは、コーチングを私ではなくミクに教わること」
「えぇっ!」
 その声は私とミク、二人のものだった。まさに二人同時にその声をあげてしまった。
「ちょ、ちょっと、羽賀さん、私が真澄さんにコーチングを教えてもいいの?」
「うん、ミクもそのくらいのレベルには達しているからね。ぜひやってごらん。その代わり、費用はこのくらいにしておくから」
 そう言って出された額は、ミクから聞いていたものよりも数段に安い価格であった。これは私にとってはとてもありがたいことではあるけれど。
「ミクが教えるとなると、時間はこのくらいになるけれど。それは大丈夫ですか?」
「はい、よほどの残業でも入らない限りは。でも……」
 でも、本音は羽賀さんから習ってみたかった。本場のコーチングがどんなものかを体験してみたいという気もしていた。けれど、羽賀さんが言い出した条件なんだから、ここは飲むしかない。
「わかりました。じゃぁミク、よろしくお願いします」
「うん、わかった。じゃぁ細かい打ち合わせをしようか」
 そこからコーチングを習いに行く曜日と時間を決定。できればみずきに合わせたいので、同じ曜日と時間にすることにした。来週からいよいよスタートだ。これは楽しくなりそうだぞ。
 その日、みずきと食事に。今日はパスタのお店にいくことにした。
「それにしても、真澄がコーチングかぁ。まだなんかピンとこないけどな」
「いいじゃない。私だってやるときはやるのよ」
「でも、コーチングって真澄が思っているように人の心を自由自在に読み取るようなものじゃないんだけどな。確かに羽賀さんの言葉にドキッとさせられたりすることは多いけど。どうしてそれがわかるのって」
「でしょ。だからこそ私はコーチングを活用してみたいのよ。これで私の人生もバラ色になりそうだなぁ」
 私はコーチングというものが実はよくわからないまま、勝手な幻想を抱いていた。その幻想が打ち崩されたのは、翌週のミクのコーチングレクチャーのしょっぱなであった。
「じゃぁこれから始めるね。まずはコーチングっていうのがどういうものなのか、そこから説明するね」
 ミクはパソコンの画面に映し出されたスライドを使って私に「コーチングとは?」という初歩的なことからレクチャーをし始めた。正直なところ、そういうのは別にどうでもいいんだけど。
 とりあえずミクの説明を聞きながらスライドに目をやる。でも、ちょっと退屈に感じてきて。少し眠気が……
パシッ!
 手の甲に痛みが走る。
「痛っ!」
「ほら、居眠りしない。ここはとても大事なところだから。しっかり聴く!」
 急に先生ぶるミク。ミクはプラスチックの定規で私の手の甲をパシっと叩いたのだ。今までにない厳しさを感じる。
「はい、今日の講義はここまで。で、次回はここが理解できたかをテストしますからね」
「えぇっ!」
 なんだか思っていたのと違う内容になってきた。これは失敗したかなぁ……

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