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コーチ物語 クライアント33「徳の積み方」その5

 オレが気づいたこと。それは「徳は自分のためだけに積むものではない」ということ。ひょっとしたら、母はオレのために徳を積んでいたのではないだろうか。オレに不自由な暮らしをさせたくなくて、だから自分を犠牲にして、人知れず徳を積んでいたのではないだろうか。
 けれど、それってただの自己犠牲じゃないか。それで本当にいいのだろうか?
「かずひろくん、どうしたの?」
 オレが黙っていたせいか、ミクさんは心配そうにオレの顔を眺めていたようだ。
「あ、いえ、ちょっと思うことがあって……」
「思うこと? どんなことかな。よかったら聞かせてくれない?」
「あ、そうですね。えっと……」
 オレは、今頭のなかで思い描いたことを口にしてみた。母が徳を積みながらもどうして不幸な人生を送っていたのか。そこがずっと疑問だったことも付け加えて。
「そっか、お母さんはかずひろくんのためにねぇ。でも、私ちょっと腑に落ちないのよね」
「何がですか?」
「たとえ、お母さんがそう願っていたとしても。神様って、幸せは公平に与えてくれるんじゃないかな。何かのカルマを背負っていれば、それを償ってしまわないと、プラスにはならない。私はそう思うの」
「カルマって?」
 この言葉、よく聞くけど意味はよくわかっていなかった。
「あ、カルマっていうのは以前行った行為が今の結果として現れること。因果の法則ってことかな。だから、悪いことを行ったら悪いことが起こるの。それを善い行いで埋めていかないと、プラスには転じないってこと」
 それ、飯島さんの言葉にあったやつだ。
「オレの同級生、といっても年上の人だけど。その人が同じようなことを言っていました。昔悪いことばかりしてたけど、子どもができて改心して。そこから徳を積むことを意識して行動したら、今では年商五億にもなる会社にすることができたって」
「へぇ、すごいね。きっとそうなんですよ」
「だったら、母がそうならなかったのは、まだ償わなければいけない罪が残っていたってことですか?」
「えっ、そ、それは……」
 ミクさんは言葉に詰まってしまった。今までの会話の理屈から言えば、母にはまだ償うべきカルマが残っているということになる。でも、それは本当にそうなんだろうか?
「ミク、カルマについてはまだまだ表面的なことしか理解していないみたいだね」
 いろいろと調べ物をしながら、羽賀さんが突然口を開いた。
「表面的なこと? でも、カルマについてはよくそうやって聞くじゃない」
「ま、カルマは仏教用語でその意味もかなり奥が深いからね。ボクも実はよくは理解できていないんだけど。ミクの言葉をもうちょっと深く追求すると、カルマというのは行い全てのことをいうんだよ」
「行い全て?」
「そう。どんな行いも、必ず結果が生じる。善い行いをすれば良い結果が。悪い行いをすれば悪い結果が。じゃぁ、その善い、悪いって誰が決めるんだろうね?」
「誰がって……それは……神さま?」
「じゃぁ、神さまって裁判官みたいなものなんだ。人の行いに対して、善いか悪いかを常に判断している」
「じゃないわよね。判断を毎回しているんじゃなくて……」
「あ、ひょっとしたら」
 オレは頭のなかであることをひらめいた。
「かずひろくん、今思い浮かんだことを話してくれるかな?」
「はい。もともと善いか悪いかって、なんらかの基準みたいなのがあって。わかりやすくいえば、青信号だと渡っていいけど、赤なら止まらなきゃいけない、みたいなもの。その基準に沿っているかどうかで決まるんじゃないかな」
「かずひろくん、いいところに気づいたね。ボクもそう思っていたんだ。それに加えて、もう一つ大事なことがあるんだ」
「大事なこと?」
 オレとミクさんは、羽賀さんの次の言葉を待つ。大事なこととは一体なんなのだろう?
「そもそも、カルマで受ける結果。これは目に見えるものとして受けるものじゃないんだよ」
「目に見えるものじゃないって?」
 ミクさんの疑問、オレも同じことを考えていた。
「たとえば、お金を得られるとか、いい人に巡りあうとか。それはあくまでも事象にすぎない。カルマで受ける結果、それは本当は人の心で受け取るものなんだよ」
「人の心で?」
 よけいにわからなくなってきた。羽賀さんの言葉は続く。
「そう。たとえお金という恩恵で受け取ったとしても、それを受け止めた人がそれを嬉しいと思うか、そうでないか。ここが大事なんだ」
「お金を受け取って嬉しくない人っているんですか?」
 これはオレの率直な疑問。オレはお金が欲しいからそう思うのかもしれないけれど。
「世の中のほとんどの人はお金を受け取りたいと思うだろうけれど。そう思わない人も中にはいるんじゃないかな。逆に迷惑だって人がいてもおかしくはないよ。そういう人にとってはお金は邪魔なものになってしまう」
「じゃぁ、そういう人にとってはお金は悪い結果ってことになるの?」
「そうなるだろうね。つまり、カルマによって得られる結果は、その人にとって嬉しいものであれば、良い結果。嬉しくないものであれば悪い結果ということになる。これは全て人の心が決めることだとボクは思っている」
 ここで思った。ひょっとして山口さんが言いたかったことはここなんじゃないかな、と。つまり、母はオレから見たら陰徳の恩恵を受けていなかったように思えるけれど。でも、母はそうは思っていなかったかもしれない。むしろ幸せな気持ちになっていたのかも。
「じゃぁ、母は本当は幸せだった……そういうことなんですか?」
「それは残念ながら本人にしかわからないこと。だからボクは今、そういった証拠がないかを調べているんだ。でも、ひょっとしたら、という手がかりがさっき見つかった。これを手がかりにもうちょっと調べてみたいんだけど。いいかな?」
「はい、よろしくお願いします」
 今は羽賀さんに託すしかない。母がどういう思いで生きてきたのか、本当に幸せだったと思っていたのか。オレの目から見たら不幸を背負っているようにしか見えなかったのに。その真実が知りたい。
 この日、羽賀さんが帰ってからもう一度自分について考えてみた。神さまが決めた善悪の基準、オレはそれに従って生きてきただろうか? そもそも、善悪の基準ってどこにあるのか?
 気がついたら、いつしか眠りについてしまった。

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