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コーチ物語 クライアント37「カミの言うことは聞いておくものだ」 その5
自分のことをそんなふうに言われて、とても恐縮している。おかげで、これ以上女の子に何かを話すこともなく、ただ淹れてもらったお茶をすするだけであった。
羽賀さん、早く戻ってこないかな……。するとノックの音が。羽賀さんか?
「おーい、羽賀ぁ〜、いるかぁ?」
「あ、噂をすれば。唐沢さんだ!」
えっ、唐沢さんだって!? 急に緊張してきたじゃないか。
「あれっ、お客さんだったの?」
慣れた感じで事務所に入ってくる唐沢さん。すると、オレの顔を見るなり驚く表情を見せた。
「えっ、し、白崎さん、ですか?」
「はい、白崎と申します」
あらためて名刺を取り出し、交換しようとする。すると唐沢さん、あわてて自分の名刺入れを取り出し始めた。
「いやぁ、まさかこんなところで尊敬するコンサルタントの白崎さんにお会い出来るなんて。びっくりです。よろしくお願いします」
「いやいや、私なんてうだつの上がらないコンサルタントですよ」
「そんなに謙遜しないでください。オレ、白崎さんのやったプロジェクトに憧れているんっすから」
「私のプロジェクトって、ひょっとしたら三橋電機のことですか?」
「そう、それなんです!」
唐沢さんが憧れていると言ってくれた三橋電機の再生プロジェクト。あのときは確かに自分の持っている力を全て注いだ。あの頃が自分のコンサルタント事業としてのピークでもあった。
地元の中小企業の中でも、注目されていた三橋電機。一時期は株式上場するのではという噂もあった。だが、景気の波とあわせて社員の不祥事による粉飾決算がマスコミに叩かれ、一気に倒産の危機に陥った。
そのときに、社内の体制を根本から変えて再生事業の指揮を取ったのが、当時の専務、社長の息子である。その指導を行ったのが、社長の息子と同級生だった自分なのだ。
たまたま同級生のよしみということで手伝い始めたプロジェクトだった。けれど、片手間ではなく本気でそのプロジェクトに携わり、わずか二年という短い期間で三橋電機は蘇った。いや、前よりもパワーアップして、新し会社に生まれ変わったといったほうがいいだろう。
「いやぁ、ぜひ今度、三橋電機再生プロジェクトの話を聞かせてくださいよ。オレ、それから同じコンサルタントとして白崎さんに憧れているんっすから」
「いやいや、過去の栄光ですよ。今は落ちぶれたただのコンサルタントです」
自分で言って、なんだか情けなくなってきた。今は仕事をなくし、妻にもなじられ、コンサルタントとしての自信も失いかけていたところ。だが、こうやって過去の栄光でもオレのことを尊敬してくれる人がいるだなんて。少しは自信が取り戻せそうだな。
「それにしても羽賀は遅せぇなぁ。白崎さんを待たせるだなんて、何様だってんだよ」
「いやいや、そんな大した者じゃないですって。それよりも唐沢さんのほうが活躍されているじゃないですか。いろんなところでお名前を拝見しますよ」
「いやぁ、オレなんてまだまだ小者ですよ。小さい仕事ばっかやってますから。数だけはこなしているから、名前が露出しているだけっす。それよりも、白崎さんみたいな大きな仕事をどぉんとやってみたいっすよ」
大きな仕事、か。今じゃ唐沢さんが言う小さな仕事を追っていくのがやっとの身なのに。人のイメージと現実とのギャップ、これは大きなものがあるな。
そのとき、ガチャリと扉が開いた。
「遅れてすいません」
現れたのは長身でメガネを掛けた男性。羽賀さんだ。
「羽賀ぁ、おめぇ、白崎さんを待たせるだなんてとんでもねぇやつだな」
「なんだ唐沢、来てたのか。ナイスタイミングだな。唐沢が会いたいって言ってた白崎さんと知り合うことができたから、ぜひお話を聞きたいと思ってお招きしたんだよ」
「だったらなおさら、待たせるなんてとんでもねぇ話だ。白崎さん、すいません。羽賀ってこういうヤツなんですよ」
「あら、どちらかというと羽賀さんは時間をきっちり守る方ですよ。ときどき約束をすっぽかすのは唐沢さんの方じゃない」
「ミク、それは言うなよ。仕事のときはちゃんと時間は守ってるって」
「ってことは、私たちのときには守らないってことなのね。まったく、裏表のあるコンサルタントじゃ信用出来ないわよ。ねぇ、白崎さん」
「え、あ、まぁそうですね」
裏表のあるコンサルタントは信用できない。この言葉はズキッときた。妻からよく言われる。あなたは外面はいいんだから、と。妻の前の顔と仕事の顔、これが違うのは自分でも自覚をしている。けれど、それがどうだというのだ。四六時中気を張って過ごすのは大変なのだから。家の中くらい、自分の好きにさせて欲しい。それがオレの言い分だ。
「お待たせしました。遅れてしまって、本当に申し訳ありません。クライアントがどうしてもこのタイミングじゃないとってごねるものですから」
「それは仕方ありませんよ。私たちのような仕事は、クライアントあってのことですから」
「いえいえ、やはり先約優先。きちんと約束は守るべきです。それが信頼となるのですから」
オレもそのつもりでいた。けれど、つい利益を優先して、お金にならないことは後回しにさせてもらうことが多くなっていた。特に、妻との約束については……。
「ところで、白崎さんちょっと元気が無いように感じるのですが。何か悩みをお持ちではないですか?」
羽賀さん、するどい。やはりコーチングをやっていると、人間観察力が高まるのだろうか。
「どうしてそう思ったのですか?」
あえてカマをかけてみた。すると、驚くべき答えが返ってきた。
「いやぁ、ひと言話すたびに下を向いているところが気になりまして。それと、声のトーンがちょっと沈みがちに感じました。あとは笑い方。大変失礼ですが、愛想笑いのような感じで、心から笑っていないという気がしました」
そこまで見抜くとは。羽賀さんの人間観察力には驚きである。
「ははは、バレてしまいましたか。もう恥を忍んで全てをお話させていただきます。私、今はコンサルタントとしてとても苦しい状況にあります。先日も仕事を一つなくしてしまいました。ずっと指導していた企業から、指導の打ち切りを宣告されたんです」
羽賀さん、唐沢さん、そして女の子の目つきが変わった。それは私の話を真剣に聴こう、そして力になろうという意志の表れでもあった。
「そんなときに、妻から羽賀さんの講演の話を聞きました。というより、実は家庭学級での講演は、私と羽賀さんのコンペだったんです」
「そうだったんですか。それは知らなかったです。もう一人候補がいるという話は聞いていましたが。それがまさか、白崎さんだったとは」
「私は最初は乗り気じゃなかったんです。報酬も安いし、労力だけは使うし。けれど、相手が羽賀さんということで、急遽考えを変えました。この人には負けたくない、そう思ったんです」
「ボクに負けたくない? ど、どうしてなんですか?」
しまった、ここまで言ってしまうと全てを暴露しなきゃいけないじゃないか。けれど、今更隠したって仕方ない。むしろ、すべてを話してスッキリしたい。そんな気持ちが高まった。