見出し画像

コーチ物語 クライアント38「ベースボールマン」その6

「相手が強ければ強いほど、本当の意味でのチームワークが必要になると思います。チームの中でのポジション争いは、単なる個人対個人の争いであって、目的が自分のためになる。けれど、それでは強いチームには勝てない」
「なるほど。強いチームに勝つためには、チーム内で争っている場合じゃないということだね」
「はい。といっても、お互いに切磋琢磨して自分を磨き上げることは必要です。けれど、あくまでもその目的はチーム内の力を上げることであって、みんながバラバラの方向を向いていたのでは絶対に勝てません」
「うん、いい答えだ。ボクも同じ考えだよ。それにもう一つ加えてほしいものがある」
「なんでしょうか?」
「それを今、佐久間くんは体験しているのではないかな?」
「僕が、ですか?」
 僕が体験していること。それは僕がケガをしたことでチームのみんなが僕のことを助けてくれている。その恩にどうやって報いるか、それは僕が復帰をして野球を始められるようになること。それは強く感じている。
 このことを羽賀コーチに話してみた。
「そうだね、まずは佐久間くんがみんなの恩に報いること。これは大事だね。ボクはこう思っている。本当に強いチームは、個人の強みを活かして他の人の弱みを補完しあっている。そんな関係があるからこそ、本当に強いチームになれるんだ。スター選手が一人で活躍しても、残念ながらチーム競技は勝つことはできないからね」
「はい、そのとおりですね。羽賀コーチ、今の僕にできることってなんなのでしょうか? 見たとおりまだ体を動かすことはできません。けれど、みんなに何か恩返しがしたいんです」
「恩返しか。佐久間くん、みんなが君に期待していることってなんだろう?」
「みんなが期待していること……それはやっぱり、僕が野球に復帰すること、じゃないですかね」
「そのために、まず何をしなければいけないかな?」
「まずはやっぱり、セカンドオピニオンを受けて復帰の可能性を探ること。そのためには、県立病院の医者から紹介状をもらうこと……」
「紹介状をもらうために、佐久間くんはどのような行動を起こすかな?」
「僕の行動……」
 ここで考え込んでしまった。僕ができることってなんだろう? 来週の診察でもう一度きちんと医者に頼み込むことくらいしか思いつかない。けれど、あの医者が簡単に紹介状をくれるとは思えない。
「質問を変えよう。どうして県立病院の石本先生は、君に紹介状を書いてくれないと思うかな?」
「それはやっぱり、あの人が堅物だから。プライドが高くて、他の医者への紹介なんてしない人だから、じゃないですか?」
「本当にそう思うかな? 石本先生の考えをきちんと聞いたことがあるかな?」
 そう言われると、一方的に診断を下されるだけでどうして紹介してくれないのかをきちんと聞いていない。でも、他の医者への紹介が嫌いみたいなのは伝わるけれど。
「先入観を持たずに、もう一度石本先生と接してみるといいよ。ボクがアドバイスできるのはここまでだ。今回のことで、自分が何を得たのかをもう一度考えて行動してごらん」
 羽賀コーチの言葉で、ボクはさらに考え込んでしまった。この日の夜、佐川が僕に羽賀コーチとの会話のことを聞いてきた。
「なるほど、羽賀コーチって禅問答みたいなのが好きだからなぁ。オレも散々考えさせられたよ。でも、今回のことって確かにあの医者のことを先入観で見ていたかもしれねぇなぁ」
 このことはあっという間に寮の中で広がった。先輩たちも、もう一度作戦を練り直そうということを勝手に話し始め、一つの結論が出た。
「今度はキャプテンのオレが代表して佐久間についていく。すでに自分たちの要望は伝えたので、どうして紹介をしてくれないのかを医者の口からきちんと聞くことにしよう」
 なんと、キャプテンまで出てくることになるとは。それだけみんなが僕の復帰を願ってくれているということだ。このとき、恥ずかしかったけれど思わずみんなの前で泣いてしまった。
 そして迎えた診察日。予定ではそろそろギブズが外れる頃だ。いつものようにレントゲンを撮り、いよいよ診察室へと向かう。
「うん、経過は順調だね。とりあえず足のギブズは外せそうだから準備してくれ」
 医者は看護師にそう伝える。そして僕ではなくキャプテンの方をじろりと睨む。
「で、今度は私に何をお願いしに来たのかね?」
 キャプテンは一度深呼吸をして、こう切り出した。
「今回は石本先生の意見を聞きに来ました。佐久間は本当に復帰ができないのか。そして、どうして他の医者に診てもらうことをそんなに拒まれているのか。その理由をお聞かせ下さい」
「なかなかストレートにものを言うやつだな。まぁ話をしないと君たちも納得しないだろうから、きちんと話すよ。まず佐久間くんにもう一度聞こう。君は本気でもう一度野球をやりたい。そう思っているんだね?」
「はい、もちろんです。僕の夢は将来軟式野球の指導を中学生たちにすることです。そのためにも、もう一度きちんと選手としてプレーをしたいと思っています」
「なるほど。で、君たちは佐久間くんの夢を応援したい。そう思っているんだね?」
 今度はキャプテンに向かってそう言う。
「もちろんです。チームのみんなが佐久間の復帰を願っています」
「そのせいでチームの中で醜いポジション争いが起こったとしても、かな?」
「ポジション争いはあって当たり前だと思っています。チームの力が向上するためにも、選手同士が競争し、磨き上げていくことはとても大切です」
「けれど、下級生が上級生を抜いてしまったら。どうなるのかな?」
「そんな小さなことでもめていたら、大きな目標を達成することはできません。それは上級生の選手の努力が足りなかっただけのことです。けれど、私たちはみんなで勝利を勝ち取る、そのためにみんなが一丸となって野球をやっているんです!」
 キャプテンの力強い言葉。それはまさに、僕と羽賀コーチが話したことそのものだった。
「まったく、今回は私の負けだな。はっ、はっ、はっ。君たちは強いチームになるよ。おい、例のものを渡してあげてくれ」
 そう言うと、看護師が茶封筒を手にして持ってきてくれた。
「これは君たちが欲しがっていたものだ」
「えっ!?」
 先ほどまでの険しい顔つきから一転して、急に優しい顔になる医者。これは一体どういうことなのだろうか?

いいなと思ったら応援しよう!