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コーチ物語 クライアント17「届け、この想い」その4

「トシくん、ミクの代わりに出てくれたんだね。ありがとう」
 電話の主は羽賀さん。その声を聞くとなぜか気持ちが落ち着く。
「いえ、たまには恩返しできればと思いまして」
「その気持ち、ありがたく受け取るよ。ここからは呼吸にも影響するだろうからしゃべらなくていい。簡単な返事だけでいいからね」
 さすが、自転車乗りの羽賀さんならではの配慮だ。正直なところ、全力ダッシュしているときに電話で話をするのは結構つらいものがある。
「クライアントさんの家のおおよその位置はつかんでいるね。山下公園の入り口はわかるかな?」
「はい」
 ボクは吐く息と一緒に返事をした。山下公園の位置はさっきミクと見た地図で位置を把握している。
「公園の正面入口を通過すると、コンビニが見える。そこでボクと落ち合おう」
「はい」
 これは助かる。さっき見た地図では、クライアントさんの家は住宅街の中。そこまで行くとなると、道に迷う可能性が高い。羽賀さんが分かりやすいところまで来てくれれば、時間短縮にもなるし。
 そんなことを考えながら、ボクはペダルをひたすらこいだ。今はとにかく目的地である山下公園前のコンビニを目指すだけ。
 だがここでふとあることが頭に浮かんだ。
 羽賀さんのクライアントは子どもと仲違いをしてしまい、親子断絶状態だったんだよな。けれど母親のほうが子どもにアプローチをかけてきた。そんな状態で子どもは母親からの贈り物を素直に受け取るだろうか?
 ボクはひょっとしたら無駄なことをやるのかもしれない。受け取りを拒否されれば、それは仕方のないこと。けれどそうなってしまっていいのだろうか?
 そんなことをさせてはいけない。無理矢理にでも母親からの贈り物を受け取ってもらわないと。
 そもそも母親は何を渡そうというのだろうか? もらってうれしいものなのだろうか? 親の思いと子の思い、それは違ってあたりまえ。親の一方的な思いを押し付けてもいいのだろうか?
 今度は逆の考えがボクの頭の中を占めてきた。
 そうしているうちに目的地の山下公園にさしかかった。正面入口の先のコンビニだったな。それはすぐに目に入った。と同時に、大きく手を振る羽賀さんの姿も見えてきた。
「おぉい、こっちこっち!」
 羽賀さんはまるで子どものようにジャンプをしながら両手を大きく交差させながら手を降っている。
「お待たせしました」
「いやいや、さすがトシくんだね。ボクが思ったより早く到着してくれたよ。早速だけど、これがクライアントから預かったものだ」
 羽賀さんは紙袋に包まれた、何か冊子のようなものを手渡してくれた。
「中に手紙が入っている。それを読んでくれれば、娘さんもお母さんの気持ちがわかるとは思うんだけど。難しいのはそこなんだよ」
「難しい、というと?」
「娘さん、お母さんとかなりの大げんかをしてね。まぁ原因はお互いにあるんだけど、やはり娘さんはかなりお母さんに対して腹を立てていたみたいで。おかげで今も絶縁状態なんだよ」
「となると、素直に手紙を読んでくれない可能性もあるってことですね」
「あぁ、そのとおりだ。そもそも就職で東京に行ってしまうのも、娘さんはお母さんから少しでも離れたいと思っているからなんだ」
 羽賀さんはいつになく気難しい顔でそう語った。それだけ今回のことが難しいことであるのを感じた。
「でも、そんな状態でよくそれだけの情報が入りましたね」
「あぁ。娘さんはクライアントの妹さん、つまりおばさんにあたる人に結構いろんなことを相談していたらしくて。おばさん、といってもかなり若くてね。娘さんの方が歳が近いくらいなんだよ。だからお姉さんみたいな感覚でいろいろと話しをしていたらしい。それがクライアントさん、お母さんにも情報として入ってきていたんだよ」
 ここでふとあることに気づいた。
「あれ、娘さんはおばさんに話せばお母さんにもその情報が伝わるって、当然わかっていたんでしょ? ってことは……」
「トシくんも気づいたかな?」
「えぇ、おそらく間違いないですね」
「あぁ、だからそこに望みをかけたんだ。トシくん、頼んだよ。これが娘さんの写真だ。名前は石上めぐみさん」
 羽賀さんは写真を手渡してくれた。そこに写っている笑顔。間違いない。この娘さんはそんなひねくれた人じゃない。ボクや羽賀さんが思っている通りならば、間違いなくお母さんからの贈り物を受け取ってくれるはずだ。
「はい、わかりました。任せておいてください」
 ボクは贈り物をメッセンジャーバッグに入れ、写真をウェアのポケットに突っ込みペダルに足をかけた。
「じゃぁ行ってきます」
 そう言って後ろを振り返ることもなく、行きと同じ、いやそれ以上の力を入れてダッシュ。行き先は駅。残り時間はおおよそ二十分。それまでに到着するのは当然だが、この娘さんを探し、さらにお母さんからの贈り物を手渡さなければならない。
 果たして間に合うのか? いや、間に合わせる!
 ペダルを踏む足には、さらに力をこめていた。
 ボクの計算だと、駅までは十五分かからずに到着できるはず。まずはどこに自転車を停めるか、だ。駅の駐輪場から改札まではちょっと距離がある。正面入口に一時的に自転車を停めたとしたら。これも注意されたり、下手をすると撤去される可能性もあるし。
 仕方ない、素直に駐輪場に停めるか。だがうまく停めるところが空いているか。この時間、結構満車になっているんだよなぁ。これは賭けだな。
 しかし、あと少しで駅につくというところで予想外のハプニングが起きた。
プシュッ、シューッ
 大きな音とともに、後輪がぶれた。
 うそっ、パンクだ。ちくしょう、どこかで尖ったものを踏んでしまったのか。
 駅は目の前。ここで自転車を置いて走るしかない。だがどこに停める?
 あたりをキョロキョロするが、自転車を停めておけそうな場所がない。駅前は昔自転車の無法地帯だった。が、今は整備されて決まった自転車置場に置くように指導されている。そこらへんに適当に停めてしまうと、すぐに警備員に注意をされるか、容赦なく撤去される。
 迷っている暇はない。
 ボクは自転車を抱えて走りだした。幸いロードレーサーは軽い。少しの距離なら抱えて走ることはできる。だがこの夏の熱い中、ただでさえここに来るまでに体力を消耗している。そんな状況で走ることができるのか?
 いや、走る!
 お母さんの思いを娘さんに届ける。それが今のボクに課せられた使命なのだから。羽賀さんはボクに全てを任せてくれたのだから。だからやるだけやる!
 ロードレーサーを肩に担ぎ、汗を拭くこともなく炎天下を走りだす。汗が目に入ってしみる。だが今は時間が最優先。
 なんとか自転車置き場に到着。どこか停める場所は……。
 やはりついていない時はついていないもの。見渡すかぎり停める場所が空いていない。ちくしょう。
 腕時計をちらりと見る。残り五分。やばい、時間がない。時間内に写真の石上めぐみさんを見つけることができるのか?
 このとき、一人の男性が自転車を出そうとしているのが目に入った。よし、ここに入れるか。ボクは急いでその場所へ移動。
 なんとか自転車を停めて、大急ぎで駅のホームへ向かう。入場券を買わなければいけなかったが、ここでも列ができていたため少しもたついてしまった。
 時計をみる。発車まで残り二分ほど。
 電車は特急で七輌編成。しかもホームに上がると手に荷物を持った乗客がずらりと並んでいる。この中から石上めぐみさんを捜せというのか!?
 ウェアのポケットに突っ込んだ写真を取り出し目に焼き付ける。そして並んでいる乗客を一人ひとり確かめる。
 いない、どこだ、どこにいる?
 すると電車がホームに到着。電車の扉が開いて乗り込まれてしまったらアウトだ。ここでボクは思い切って最後の手段に出た。
「石上めぐみさん、石上めぐみさんはいませんかー」
 大声で叫びながらホームを走る。
「石上めぐみさん、お届けものがあります。どこかにいませんかー」
 だが見渡すかぎり誰も反応してくれない。
 電車の扉が開き、降りる客が出てくる。これが終われば乗客は乗り込んでしまう。
 ボクはさらに力を込めて、大きな声で叫ぶ。
「石上めぐみさん、石上めぐみさんいませんかー!」
 このとき、一両先に並んでいる女性がびっくりするような顔でこちらを向いた。ボクはそれを見逃さなかった。
 間違いない、あの写真の女性だ。あの人が石上めぐみさんだ。
「石上めぐみさん、待って、お届けものがあります!」
 だがボクを不審者と思ったのか、逆に急いで荷物を抱えて電車に乗り込んでしまった。さらに発車のベルが鳴る。
 もう迷っている時間はない。
 ボクはとっさに一番近くの入り口から特急電車に乗り込んだ。

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