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コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」1.はじまり 前編
冬にしては暖かい日だった。頬にさす日差しが、ちょっと痛くも感じる。
いつも浴びるそれと違うのは、ここが塀の外であることも影響しているのだろう。
「大変お世話になりました」
制服姿のその人に、私は深々とおじぎをする。目の前のその人は何も答えてはくれない。が、目はにこやかである。おそらく、これからの私の人生に対して期待の眼差しを送ってくれているのだろう。私はそう解釈した。
こうして私は塀の外へ出ることが出来た。ここにいた期間は一年ほどではあった。その前の期間も含めると、一年三ヶ月くらいは不自由な生活を送ったことになる。
その門を出て歩き始めると、目の前に一人の男性が立っていた。その姿を見て、私は思わずこう言葉にした。
「あ、ありがとうございます、羽賀さん」
羽賀さん、私がこの塀の中に入るきっかけを作った人である。が、恨んではいない。恨むどころか、感謝すらしている。私をまっとうな道に導いてくれた人。そう思っている。
「長い間、おつとめご苦労さまです」
羽賀さんは大きな声で、深々とお辞儀をしながらそう言う。
「なんか、仁侠映画みたいなセリフですね。それって、刑務所から出てきた兄貴分に対していう言葉でしょ」
私が笑いながらそう言うと、羽賀さんも笑いながらこう答える。
「いやぁ、一度言ってみたかったんですよ」
「あはは、まぁ、実際に刑務所から出てきたのは確かではありますが。あのときは本当にお世話になりました」
「いやぁ、濱田さんが根っからの悪じゃないのはわかっていましたから。だからボクは濱田さんのお手伝いをしただけですよ」
羽賀さんは私の手伝いをしてくれたと言っているが。私から見れば手伝いなんて言葉ではすまされない。それだけのことを羽賀さんは私にしてくれたのだから。
「話したいこともたくさんあります。まずは食事にでも行きましょうか」
「はい」
羽賀さんの誘いに対して、私は笑顔で元気な返事で応えた。
私が犯した罪、それは詐欺罪。いわゆる特殊詐欺の片棒を担いだ罪で、一年ほど刑務所の中にいた。逮捕されて告訴されるまでは警察署の留置所の中。そのあと、裁判で有罪判決が出るまでは拘置所の中で、合計三ヶ月ほど過ごすことになり、あわせて一年間は塀の中で過ごしたことになる。
逮捕されるきっかけを作ったのは、今私の横を歩いている羽賀さん。
「濱田さん、まだ若いんですから。これからもう一度一緒に人生をやり直しましょう」
それが私を決意させてくれた言葉だった。
私は塀の中で三十歳を迎えることになった。どうして特殊詐欺の片棒をかつぐことになったのか、これも私が意図して行ったことではない。
「濱田、ちょっと仕事を手伝ってくれないか。金になる仕事だから」
私にはすでに家族がいた。高校を出てすぐに勤め始め、そのときに出会った女性と恋に落ち、二十歳という若さで結婚。すぐに子どももできた。
そんなときに、勤めていた会社が傾き始め。その影響で私が勤めていた工場を潰すことに。そこで働いていた工員は、有無をいわさず解雇となった。
そんな状況の中で私に声をかけてきたのは、高校のころの同級生の西谷である。金になる仕事、と聞いてそのときは正しい判断ができなかったのは確かだ。
西谷は昔から要領のいいやつで。勉強もろくにしていないのに、周りのノートを借りてテストを切り抜け、常に上位の成績を保っていたという不思議なやつだ。
西谷は親分肌で、面倒見がいいというのはあったが、根っからのめんどくさがり屋で、やっかいな仕事はいつも人まかせ。そのあおりを受けていた一人が私だった。
そんな西谷が、どこから聞きつけたのか私が職に困っていることにつけ込んで、自分の仕事を手伝えと言ってきたのだ。
「仕事って、どんなことだ?」
「まぁ、テレアポみたいなものだ」
最初にそう言われて、営業の仕事かと思っていたのだが。実態を知ってびっくり。私が頼まれた仕事、それは名簿に並んだ家に決まったセリフを話すというもの。その内容は……
「税務署のものですが。あなたの税金が戻ってくるので、ぜひ手続きを……」
というもの。つまり、税金還付詐欺である。特殊詐欺の手口の一つだ。
「これ、詐欺じゃないのか?」
「とんでもない。うちは税務署から委託された仕事をこなす、まっとうな企業だから」
うそつけ。そのくらいすぐにわかる。税務署が民間にそんな仕事を委託するはずがない。だが、私はその詐欺の片棒を担ぐことになる。どうしても生活費が必要だったから。
その結果、私はリストにあったお年寄りから合計二千万円ほどの現金を騙しとってしまった。そのうちの二割、四百万円をわずか三ヶ月の間に手にすることになる。
妻には「高校のころの友人の会社で、営業の仕事をしている」とウソをついていた。が、心の奥では人を騙しているという気持ちが拭えなくて。しかし、家族を養うためにお金は必要だし。その葛藤で苦しんでいる時に、羽賀さんと出会った。
あの日、私はいつものように税務署の職員を装って、とある老人宅へと電話をした。
「税金が戻ってくるので、ぜひ手続きを……」
そのとき、突然電話の声が変わった。
「あ、税金が戻ってくるってホントですか?」
さっきまでおばあさんの声だったのが、突然若い男性に変わったので、さすがに私も驚いた。
「え、あ、は、はい。ち、ちゃんとした手続きをしてもらえば……」
やばい、バレたか? けれど、電話の向こう側は私の声に素直に反応した。
「それはありがたいです。では、具体的な手続きを教えていただけますか?」
「あ、あの……失礼ですが、あなたは先程の方とはどのようなご関係で?」
「あ、ボクですか? さっきのおばあちゃんのお友達です」
「お身内の方でなければ、ちょっとお教えすることは……」
こんな場面、想定していなかったので口からでまかせで答える。すると、電話の向こう側の男性は、突然こんなことを言い出した。
「ちょっとお聞きしてもよろしいですか? あなた、今後悔していませんか?」
後悔、その言葉を聞いた瞬間、本当はドキッとするべきところなのだろうが。私は逆に安心を感じてしまった。この人、私の気持ちをわかってくれている。
「後悔……な、何に対してですか?」
心の中ではわかっているのに、ついそう反論してしまった。ここでさっさと電話を切ってしまえばいいのに、私はこの人と話したいという衝動に駆られた。
「今行っていることに対してです。あなたの声の調子から、ひょっとしたらそうじゃないかと思って」
「ど、どうして後悔なんて……」
「しているんですね」
私は思わず、自分の心の声に従って、こう答えてしまった。
「……はい」