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コーチ物語 クライアント32「恋、それとも愛」その3
「この前話した羽賀さんがいいよって言ってくれました。
できれば今日の午後時間がとれませんか?」
私は今日は特に何も予定が入っていない。ゆうとも五時までにお迎えに行けばいいのでわりとゆっくり話ができそうだ。
「じゃぁ、午後一時からいいですか?」
メールを送信。程なくして「了解」という返事。
ここでふぅっとため息。このまえ、恵子と話したことを思い出した。私はシュウと一緒になりたいのか。そう聞かれればそこまでの気持ちはない。ただ恋がしたかった。また燃え上がるような恋が。その気持を満たしてくれたのがシュウである。
じゃぁ、夫とはどうなのか? もうあのような燃え上がる恋は期待できない。私もだし、夫もそれを望んでいるとは思えない。なのにどうして一緒にいるのか?
それはゆうとがいるから。それだけ? このとき、また心の奥で何かが叫んだ気がした。けれどその声がなんなのか、私にはわからない。
そうしているともうお昼の時間。私は軽く食事をすませ、恵子の勤めるお店へと足を向けた。
あ、そういえばシュウにメールを送っていなかった。移動中のバスの中で私はシュウにメールを送った。
「返事が遅れてごめんなさい。今日は急遽知り合いのところに行くことになって。その準備でバタバタしていました」
なんてことはないメール。さすがにコーチングを受けるとは書けない。
シュウは私のメールにすぐに返事をくれた。並んでいるのは私のことを気遣う優しい言葉。夫にはそんな気遣いはない。だからシュウから離れられない。まるで麻薬のような、そんな感覚でもある。
約束の一時よりちょっと前に恵子の勤める花屋「フルール」に到着。
「いらっしゃいま……あ、優子!」
「こんにちは。よろしくお願いします」
私はペコリと頭を下げて恵子にあらためてあいさつ。
「舞衣さん、友達が来たから羽賀さんのところに連れて行くね」
恵子はお店の奥にそう声をかけて私をビルの二階へと誘導した。
「舞衣さんは私より若いんだけど、すごく頑張っているの。それにね、これから会う羽賀さんとも仲が良くて。あの二人、なんとかしてくっつけたいんだよなぁ」
恵子は根っからのおしゃべり。聞きもしないことを自分からよく話をしてくれる。まぁそれだけ私に対して気を許しているってことなんだろうけれど。
「羽賀さん、こんにちはー」
ドアを開くと、そこに待っていたのは長身でメガネを掛けた男性。この人が羽賀さんか。笑顔がとてもいい。どことなくシュウに雰囲気が似ている気がする。優しそうな感じだ。
「こんにちは。どうぞ中へ」
羽賀さんに促されて、私はソファに身を下した。
「じゃぁ、私は仕事があるから。またあとでね」
「吉田さん、ありがとうございます」
恵子はそう言うと部屋を出て行った。その瞬間、ちょっと心細くなる。不安も襲ってくる。見た感じは優しくて頼りになりそうな羽賀さん。しかし初対面の男性なので、どんなことが起こるのか不安でもある。
あ、この感覚、最初にシュウに会った時と同じだ。どんな人なんだろう、その気持でいっぱいだったあの時。まさかこんな事態にまで発展するなんて、あのときは考えもしなかった。
「じゃぁ、あらためて。羽賀純一といいます。コーチングと言って人の話を聴いていろいろな問題を解決していくのが仕事、と言ったほうがわかりやすいかな。まぁカウンセラーに近い仕事ではあるけれど。よろしくお願いします」
「あ、はい。北川優子といいます。今日はよろしくお願いします」
「北川さんってちょっと言いにくいから、優子さんとお呼びしてもいいですか?」
「えぇ、私もその方がいいです」
シュウも最初にそんなことを言ったな。北川さんだと他人行儀だから、優子さんと呼んでいいですか。初対面の時にそう尋ねてきた。もちろん私もそのつもりだったし。そもそも、家庭を離れたい気持ちがあるから、苗字では呼ばれたくなかった。
初対面の日だけ優子さんで、そのあとメールで優子に変わり、二回目からは私のことを優子と呼んでくれたシュウ。夫からはいつも「ママ」と呼ばれているので、それもまた新鮮だった。
「今回の相談内容は吉田さんからある程度は聞いていますが。今、とある男性とお付き合いをしているということですよね」
「はい。ここに来て隠しても仕方ないのでお話します。私、妻子ある男性とお付き合いをしています。いわゆる不倫です。もうこの関係を終わらなければと思っているのですが、でも……」
言葉に詰まった。しかし、その言葉の続きは私ではない人から出てきた。
「でも、お相手の男性と離れることができない。相手のことが好きになってしまったから。心地よさを感じてしまったから。そうではありませんか?」
「はい、そのとおりです」
私の心を見透かされたかのように、羽賀さんは私の言葉を補った。
「だから、私どうすればいいのかわからなくて……」
「わかりました。じゃぁこの答えを優子さんの心から引き出していきましょう。では一つ質問してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「優子さん、お相手の方のことを愛していますか?」
いきなり核心を突くような質問。これには驚いた。しかし、私は自信を持って言える。
「はい、私は彼を……シュウを愛しています。もちろん彼も同じ気持です」
「それはメールや言葉で何度もお互いにささやき合った、ということですね」
「えぇ、愛してるっていう言葉を何度もお互いに交わしました」
私は何のためらいもなくそう言うことができた。これは事実だし、実際にそう思っているのだから。
「ではもう一つ質問です。旦那さんのことは愛していますか?」
「夫、ですか?」
ここで言葉が詰まった。夫とはシュウと違う感情を抱いている。嫌いなわけではない。けれどシュウのような感情は持てない。夫とはもう慣れ合っているせいだろう。
「わたし……」
羽賀さんに夫とは愛はない、と伝えようと思った瞬間。心の奥でまた何かが叫んだ気がした。その叫びは今までよりも強く、そして強烈に感じる。
けれど、その叫びがなんなのか、私にはまだわからない。
私は再び言葉に詰まった。というより、心の奥の叫びが私が伝えようとしたことをジャマしている。そんな感じがする。
「無理なさらなくても結構ですよ」
羽賀さんの優しい言葉に救われた。
ここでドアからノックの音が。
「羽賀さーん、入るね」
入ってきたのはエプロンをしたまだ若くて可愛らしい女性であった。