コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」4.運命自招 前編
羽賀さんから教わった「苦難福門」。トラブルは自分の至らない点を気づかせるためにある。この言葉のおかげで、私はまず会社のトラブルに対して正面から立ち向かうことができた。
今まで面倒だった検査の作業、これをなんとか簡素化できないかと工夫を重ね、一週間後には誰にでも簡単にできるものに改善できた。
「濱田さん、これならバッチリだね。にしても、今までこんなふうに改善をやるだなんて、誰も思わなかったなぁ。ありがとう、濱田さん」
社長直々に、私に対して感謝の言葉を伝えられた。
だが、この頃から工場長の西谷さんの私に対しての態度が変わってきた気がする。なんとなく視線が冷たく感じるのだ。
西谷さんだけではない。旋盤加工の飯山さんも私に対して冷たい態度を取るようになった。
飯山さんは機械加工グループのボス的な存在。威張っているわけではないが、経験が一番長いので、若手メンバーを指導する立場にある。機械加工の技術は見事なものだが、酒癖が悪いのが難点。
「ったく、こんな給料じゃやってられねぇよなぁ」
お酒を飲むと、いつもこんなグチをこぼす。確かにこの工場の給料は高いわけではない。だが、社長も社員のために日夜頑張ってくれているのはよくわかる。だが、飯山さんはそんなことを無視して、いつもグチばかりこぼす。
そのグチに乗ってくるのが西谷工場長。仕事中はいい人なんだけれど、お酒を飲むと飯山さんに同調して、一緒になって会社のグチをこぼす。
私は社長に対して恩義があるので、そのグチを聞くことが耐えられなかった。
そんな二人が私に対して冷たい態度を取る。おそらく、私が行った改善活動が、社長のご機嫌取りに見えたのだろう。私はそんなつもりはないのに。
これも苦難福門。私の何かが足りないからだろう。そう自分に言い聞かせて、他に改善するところはないかを探しながら、日々の作業に明け暮れた。
同時にもう一つの問題である息子の太陽のこと。友達にケガをさせてしまい、相手の親が賠償金を支払えと言ってきた問題。これについては羽賀さんも動いてくれたため、先方の親も落ち着いてくれたようだ。
そのおかげで、今度の日曜日に久しぶりに妻の紗弓と太陽と会うことができる。ただし、羽賀さんも同伴である。というより、羽賀さんにお礼を言うために会うのだが。
こちらの方は、ちょっとウキウキしている。おかげで今週は顔がにやけてしまって。
「濱田さん、なんか最近調子いいっすね。今日もやたらと笑顔だし」
工場の若手メンバーやおばちゃんから、そんな声をかけられる。私、そんなに顔に出てるかな?
「いやぁ、今度の日曜日に、久しぶりに別れた妻と子どもと会えるんですよ。これも羽賀さんのおかげです」
私は正直にこのことを伝えた。だが、この言葉がこんなことにつながるとは。
金曜日。突然工場長に呼ばれた。
「はい、なんでしょうか?」
「濱田さん、あんたが考えたこの改善案件、月曜までにやっといてくれんか?」
「えっ、月曜までですか?」
「そや。とはいうても、工場は明日も稼働するさかい。作業するのは日曜日になるわなぁ。社長にかけあって休日出勤扱いにしといたるから、よろしくな」
「ちょ、ちょっと待って下さい。日曜日は私も用事があって……」
「でけん、ちゅうことか? それは困るがな。あんたがやるって言い出した案件やろ。それを見越して、月曜からのシフト組んでしもうたがな。ほな、頼みまっさ」
困った。私が出した改善提案、これを行えば間違いなく作業効率は上がる。会社側もこの改善に対して費用をかけてくれるということ。だからこそやらなければいけない。けれど、これをやると日曜日はつぶれてしまう。
せっかく紗弓と太陽と会えるチャンスなのに。どうすればいいのだ。
途方に暮れているときに、さらに私に追い打ちをかける出来事が。
「濱田さん、ちょっと」
そう言われて呼ばれたのは、あの飯山さんのところ。呼びに来たのはパートのおばちゃん。ただならぬ顔つきで私を呼びに来た。
「はい、なんでしょうか?」
「なんでしょうかじゃないよ、あんたのせいでケガしそうになっちまったじゃねぇか」
「えっ、何がですか?」
「ほれ、これを見ろ」
飯山さんが指差したのは、加工した製品を積んでおくパレット。このパレットの製品を、先ほど私を呼びに来たパートのおばちゃんが次の行程へと運ぶという段取りになっている。
私はこのパレットに積まれた製品を、もっと安定して安全に運べるように、仕切り板の工夫を行った。通常であれば、前よりも扱いやすくなっているはず。事実、このおばちゃんからは好評なのだが。
「これのどこがまずいんでしょうか?」
「オレはなぁ、前のパレットに慣れてんだよ。加工した製品を並べるときの感覚、あれがずれちまってやりにくいんだ。おかげで製品を落としそうになって、あやうく怪我するところだった。元に戻してくれ!」
言いがかりもいいところだ。むしろ、誰が見ても前の状態のほうが危険なのに。この改善、始まってまだ二日目だから、飯山さんが作業にまだ慣れていないのは仕方ないことかもしれないが。
「これについては工場長の許可もとっているので、もうしばらく待ってくれませんか?」
「いや、待てねぇ。オレはオレのやり方がいいんだ。悪いけど、前のパレットに戻させてもらうぞ」
そう言っておばちゃんに前のパレットに戻すように指示する飯山さん。私は嘆きと怒りがこみ上げてきた。どうしてわかってくれないのだろうか。こっちのほうが間違いなく安全だし、品質も向上するのに。
そんなことがあったせいか、工場の雰囲気がどんよりと見える。これは私の気持ちのせいかもしれないが。だんだんと、この職場環境が嫌になってきた。工場長から無理難題を押し付けられるし、リーダー格の飯山さんからは文句を言われるし。
「私って、いつもこんな運命なんだ。いくら苦難福門だからといって、次から次にこんなことが起きたら、やる気もなくすよなぁ」
金曜の夜、私は寮の部屋でボーッとテレビを見ながらついそうつぶやいた。そして、自分自身の運命というものを嘆き始めた。
そんなとき、ふとテレビに目をやると、若手のセレブお嬢様タレントが出ている。確か彼女は資産家の家に生まれて、見た目もかわいらしく、さらにコメントもするどい。おかげで、テレビウケもよく、最近見ることが多い。
世の中には、こういう恵まれた運命の人もいるんだな。それに引き換え、自分の親は大したこともなく、私自身何か特別な才能があるわけでもない。
それどころか、いろんなトラブルに巻き込まれて思ったような人生を送ることができない。
神さまって、どう考えても不公平だよな。最初から良い人生を歩めるような人もいれば、私のような人もいる。どうしてこんなに人生に差をつけさせてくれるのだろうか。
それよりも、日曜日にどうするべきか、これを考えないと。ここでふとある人の顔が頭に浮かんだ。もうこの人に頼るしか無い。
そう思ったら、私は小銭を握りしめ、寮の食堂にある公衆電話へと足を向けていた。