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コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」15.心即太陽 後編

 紗弓に連絡をすると、電話の向こうでとても喜んでくれたのがわかった。久々に手の込んだ料理をつくると大張り切りのようだ。
「ところで雄一、あの羽賀さんという人はとても不思議な、そして素晴らしい人だね」
「えっ、羽賀さんのこと、どうして?」
 父と羽賀さんは、あの墓参りのあとの一件でしか顔を合わせていないはずなのだが。
「実はな、羽賀さんの方から私に連絡をしてきてくれて。あのときに名刺は交換していたんだが、まさかあの方から連絡してくれるとは思わなかった」
「で、どんな話をしたんだい?」
「羽賀さんから、雄一が今まで苦労してきたことを聞かされたよ。確かにお前は罪を犯した。けれど、今はそれを償おうと一生懸命になっている。父親として、力になってやれなくて本当に申し訳ない」
 申し訳ない、と言ってもこれは自分がしでかしたことだ。私だっていつまでも子どもではない。自分のやったことくらい自分で責任を取る。
「父さん、その気持ちはありがたいんだけど。だからといって、自分がやったことくらいは自分で責任を取るよ。といっても、羽賀さんには甘えっぱなしだけどね」
「そうそう、その羽賀さんなんだけど。あの人と話をすると、なんだか勇気が湧いてくる。いろいろな気付きも得られる。実はさっき伝えた言葉もそうなんだ」
「さっき伝えた言葉って、人は上手くいかないから望みを失うのではない。望みを失うからうまくいかなくなるのだ。だから、希望は必ず持ち続けること。これだよね?」
「そう、それだ。思えば私の人生がそうだった。一度はすべてを投げ出そうと思っていた。自殺することも考えてしまった。上手くいかないから望みを失っていた。自分ではそう思っていた」
 私は父の目を見ながら、真剣にその話を聴いていた。
「けれど、さっき話したとおり。情熱を持って、希望を持ってことに臨めば必ず成果は出る。望みを失えば何事もうまくいなかくなる。望みを持っていさえすれば、人生はいつでも逆転できる。その話も羽賀さんにさせてもらった」
 羽賀さんなら、父の話をそうやって引き出すのは得意だろうな。あの人はいつも、周りの人に希望を与えてくれる。
「そのときに、さっきの言葉をもらったんだ。羽賀さんから」
「えっ、じゃぁさっきの言葉は羽賀さんの……」
「ははは、申し訳ない。人の受け売りでさも偉そうに言ってしまったが。羽賀さんいわく、心即太陽ということらしい。意味はさっき伝えたとおりだ」
「心即太陽、か。あ、そうか、そうだった!」
「ん、何か思い出したのか?」
「息子の太陽、その名前の由来をすっかり忘れていた」
「太陽か。いい名前だと思っていたが、どんな由来があるんだ?」
「太陽は、その名の通り明るく元気にという意味もある。けれど母さんがこんなことを言ってくれた。太陽というのは、私たち生きているもの全てが頼りにしているものの象徴。まさに希望の象徴だって。だから、太陽には常に周りに希望を与えてくれるように成長して欲しいって」
「そうか、母さんがそんなことを言ってくれてたのか。そうか、母さんが……」
 母のことを思い出したのか、父は急に涙ぐんでしまった。けれど、その涙は決して悲しみからくるものではない。私も母のことを思い出し、急に懐かしみが湧いてきた。
 その後、自宅へと招待して紗弓の手料理を楽しむ。太陽も父に「おじいちゃん、おじいちゃん」と言ってなついてくれる。この時間がこのままずっと続けば。こんな幸せな時間が。
 そのためにも、まずは自分が希望を持って、情熱を持ってことに臨まねば。あらためて気持ちを引き締める。
 そして月曜日、設計士の北川さんにもう一度本来の目的を取り戻して、一から考え直す提案をすることにした。
「北川さん、ちょっとお話したいことがあるのですが」
「なんだよ。もう時間がないってのに」
 北川さん、かなりイライラしている。こんな状態で私の話が通じるのだろうか。不安はあるが、ここは情熱をもって話すしかない。
「北川さんは、この仕事をどんな思いがあって引き受けたのですか?」
「どんな思いって、そりゃ自分の力が試されるから、自分の実力で成果を得られるから、かな。濱田さんもそうじゃないのか?」
「確かに、私もその一面はあります。けれど、もっと大きな目的があってこの仕事を引き受けました」
「大きな目的? なんだい、そりゃ?」
「私は工場で働く人が、もっと働きやすく、そして喜んで楽しんで働く環境を作りたい。そうすることで生産性も上がり、工場の利益も上がっていく。みんなが喜んで働ける、そんな環境づくりのお手伝いをしたい。だから、この仕事を引き受けたのです」
「ずいぶんと大きな目的だな、そりゃ」
「はい、大きな目的です。だからこそ、目の前の小さなことにとらわれてはいけない。そう思ったんです」
「目の前の小さなこと?」
「えぇ、やれ実現性がどうだとか、コストがどうだとか、確かにそれも必要なことですが、そこにとらわれすぎて、本来失ってはいけない目的を見失っていた。それが今までだったと反省しました」
 北川さんは急に黙りこんで、腕組みをして私をにらみ始めた。けれど私は言葉を続けた。
「先日、知り合いからこんな言葉をいただきました。反始慎終、本を忘れず末を乱さず。これは大元の目的を忘れずにことを進めなさい、という意味があります。北川さん、もう一度お尋ねします。北川さんはどんな目的があってこの仕事を引き受けたのですか?」
 北川さん、しばらく目をつぶって黙り込んでいた。が、パッと目を開けてこんなことを話し始めた。
「オレもね、濱田さん、あんたと同じ想いは持っていたよ。オレの持っている技術で、多くの人が助かれば、もっといい仕事になれば。そう思っていた。けれど、欲に目がくらんじまってたんだよなぁ。早く収入にしなきゃ。早く成果を出さなきゃ。それしか見えてなかった」
 そして北川さん、さっきまでの険しい表情から一転して、目尻が下がってにこやかな顔つきに。
「濱田さん、思い出させてくれてありがとう。そうか、そうだった。もう一度きちんと本当の目的に沿った仕事をしなきゃな。そうと決まれば、早速アイデアの練り直しだ。濱田さん、図面持ってきて!」
「はいっ!」
 この前までとは雰囲気が大きく変わった。この事務所自体が急に明るくなった気がする。いや、実際に明るくなったのだ。今までは未来に対して暗くて見えなかったのだが。見通しがついて前が見えてきた。そして、進むべき方向がわかってきた。
 この日、私と北川さんで二つの試作品の図面を完成させることができた。早速試作の手配、そして次のアイデアの具体化へと仕事をすすめることができた。
 心即太陽。希望があればものごとはうまくいく。希望をなくしていたから、今まではうまくいかなかった。このことが実感できた一日だった。

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