
コーチ物語 クライアント26「閉ざされた道、開かれた道」その3
職場に戻ると、私の代わりに現場に入っていたのはなんと社長であった。
「おぉ、かんちゃん、もう終わったのか?」
「え、えぇ。社長、作業変わります」
「おぉ、そうしてくれるかな。それにしても、久しぶりに現場に入ってみたが。こうやって体を動かすのもいいもんだな」
社長はそう言ってくれるが。周りの目はあきらかに私を非難するものである。なにしろ社長に働かせて、私は羽賀さんのコーチングを受けていたのだから。いくら小さな町工場でも、そんなことをさせる社員なんて許されるわけがない。
「じゃぁ、こいつを最後に……」
そう言って社長が不良品の入った箱を持ち上げようとした瞬間。
「アイタタタっ!」
「しゃ、社長!」
突然大きな悲鳴。社長は腰を押さえて座り込んでいる。
「大丈夫ですか?」
私のその声に、社長は苦しい顔をして答える。どうやらぎっくり腰になったようだ。とてもつらそうな表情。
「だ、誰か、誰か来てください!」
私の声にたくさんの人が手を止め集まってきた。その中にはさっきまで社長室にいた羽賀さんの顔もある。
「急いで救急車を。それとタンカはありますか?」
羽賀さんのその声に、一人は事務所で電話をかけ、また別の人はタンカを持ってきた。
「社長、おちついて、ゆっくり、ゆっくり……」
羽賀さんの介添えで社長はタンカの上に横になる。そのまま工場の入口付近まで運ばれていく。私はただ、その姿を呆然と眺めるしかなかった。
ほどなくして救急車が到着。急いで病院に搬送されることとなった。
「さぁ、みんな仕事に戻った戻った」
ざわついていた工場内は、工場長の言葉でいつもの作業に戻ることに。
「塩浜くんも、元の持ち場に戻りたまえ」
「はい……」
そう言われても責任を感じる。私の代わりに作業をやっていた社長が、こんな重たいものを持とうとしてぎっくり腰になってしまったのだから。これは明らかに私のせいだ。
その日の作業はこの騒ぎのお陰で、一時間ほど残業となってしまった。これもみんなに迷惑をかける事になった。今まで以上に私を見る目が厳しく感じる。私はこの工場にいていいものだろうか? そんなことまで考えてしまう。
その日の夜、私は早速社長を見舞いに行くことに。聞けば自宅に戻っているらしい。しばらくは安静にしておかなければいけないとか。
「こんばんは」
「あ、かんちゃん。うちのがお騒がせしちゃってごめんね。しばらく身体を動かしていないのに、年甲斐もなくはりきって重いものを持とうとするからなのよ。ホント、ごめんなさいね」
社長の奥さんはそう言って私を慰めてくれる。もともとあっけらかんとした性格なのは知っていたが。そう言われると少しは気持ちが落ち着く。
「それで、社長は?」
「とりあえず鎮痛剤で落ち着いているみたいだけど。もともと腰は良くなかったからね。ホント、そのくらいのこと自分でわかりそうなものだけど」
そう言って通されたのは奥の部屋。そこには布団の上で横向きになって寝ている社長の姿が。それともう一人、そこにいる。
「羽賀さん……」
「あ、かんちゃん。今回はいろいろとお騒がせしました」
なぜか羽賀さんがそういうことを言う。羽賀さんはまったくの第三者なのに。
「どうして羽賀さんが?」
「ボクも社長が心配になって来てみたんですよ。今は落ち着いて眠っていますが。もともと腰がよくなかったから、しばらくは長引きそうです」
「そ、そうですか……私が社長に仕事を変わってもらったせいですよね」
「いやいや、そんなことはないですよ。まぁ社長が張り切りすぎてムリをしてしまったというのが一番の原因ではありますが。でも、思うんです。これってチャンスじゃないかって」
「チャンス?」
羽賀さんの言うことがよくわからない。どう考えてもこれは会社のピンチであり、また私にとってもピンチなのだが。特に私はさらに周りからの見る目が厳しいものとなっている。私が羽賀さんのコーチングを受けていなければ、こんなことにはならなかったのに。
羽賀さんの言葉は続く。
「まず、社長がしばらく不在になることで、会社の中がどのように変わるか。誰が指揮を取り、誰がまとめていくのか。そこを見ることができるし、育てていくことができます」
「誰がって、やはりナンバーツーの工場長がやることになるんじゃないでしょうか?」
「果たしてそうでしょうかね。見たところ工場長の石井さんは現場の経験は長いけれど、管理職としては能力は今ひとつのように思えます。おまけに数字を見る力がない。実際に仕入れや製造原価、さらには人件費といったものを抑えているのは……」
「総務の山下さん、ですね。けれど彼女は数字は把握しているけれど、指示をだすような立場でもないし、おまけにそういう性格でもなさそうだし」
「そうなんですよ。そうなると、誰が社長がやっていた現場管理指示を出すことになると思いますか?」
言われて悩んだ。これといった適任者が思いつかない。それぞれがそれぞれの分野でのプロフェッショナルではあるけれど。トータルしてそれを見るリーダー役が、今のところ社長以外に思いつかない。
そのことを素直に羽賀さんに伝えてみた。
「だからチャンスなのですよ。大きな組織改革のためのね。実はこのことは社長から以前から相談されていたことなのです。自分に続く後継者が育っていない。いつまでたっても自分が陣頭指揮をとらなければいけない、と」
たかが二十人程度の小さな町工場。だが、それでも組織としてきちんとした形を取らなければならない。それは私も感じていたところだ。
「さらにもう一つ、今回チャンスが訪れました」
「もう一つ?」
羽賀さんの言葉に耳を傾ける。
「はい、今回の社長の事故は、あのままだと誰がそうなってもおかしくないという事例です。たまたま今回は社長だったけれど、他の社員がそうなる可能性もあったのでは?」
「確かに、あの不良品を入れた箱は重たいんですよね。私もあれを運ぶのはちょっと一苦労していました。もっと楽に運べるような改善をしないと」
「ひょっとしたら、あの工場にはそういった改善が必要な箇所がもっとあるのではないでしょうか?」
「確かにそうですね。私ももう少しどうにかならないかと思っているところは多々あります。けれど、それを言いたくてもなかなか言い出せなくて」
「そこです、そこなんです!」
羽賀さん、急に興奮してそう言い出す。一体どういうことなのだろうか?