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コーチ物語 クライアント34「同じ朝日を」その3
「さて、ここまでは知識編です。これからが本番ですよ。では早速、みなさんの理念の言葉をつくっていきましょう。この作業、一人でやると大変です。なので、今回は二人組をつくっていっていきましょう」
ということで、私は隣りに座っている宗像源蔵さんと組むことになった。この方、年齢は七十二歳。今、細々と趣味で作っている木工細工を仕事にしたいと思ってやってきたそうだ。
「私は北川雄一といいます。今はまだ会社勤めですが、もうじき早期退職を考えていまして。そこで、コンサルタントの仕事をしようと思っています」
「ほう、コンサルタント。なんか難しそうな仕事ですね」
「まぁ、傍から見るとそうかもしれませんね。私は会社の仕事で行政書士の資格と、税理士の知識は持っているので。これを活かしたいと思っています」
「なんかワシにはわからん世界じゃが。がんばってください」
宗像さんにはわからない世界、か。確かに、そういったものとは無縁の世界で生きている人のほうが多いんだろうな。本当にこれが仕事になるのか、ちょっと不安になってきた。
「では自己紹介も終わったようなので、そろそろ本題に入ります。まずお一人が聞き役になって、相手にこう尋ねて下さい。『どうしてその仕事をしようと思ったのですか』と。このときの回答を、聞き役の方がお手元の付箋紙に記入してあげて下さい。時間が来たら役割を交代します。ではスタート」
まずは私が聞き役になることに。宗像さんに「どうしてその仕事をしようと思ったのですか」と、セリフ通りのことを聞いてみた。すると宗像さんは間髪入れずにこう答え始めた。
「ワシは、趣味で二十年前から木工細工を始めてな。そのときは糸のこを使って、いろいろな形を切り抜いていただけなんじゃが。あるとき、ふと思い立って人の名前を切り抜き始めたんじゃよ。そしてそれをプレゼントしたら喜ばれて。そこからスタートして、今では木のパズルなんかもつくっておる」
なるほど、面白そうなことやってるな。けれど、肝心の「どうしてその仕事を始めようと思ったのか」までなかなかたどり着かない。
私はペンを構えて、宗像さんの話に聞き耳を立てるだけ。宗像さんは私の思いなんて考えずに、話を続けた。
「そうやってプレゼントし始めたらな、みんな喜んでくれて。特にパズルなんかは、幼稚園にプレゼントしたら大好評でな。このときの相手の喜ぶ顔を見るのがとても嬉しくてなぁ」
宗像さん、目はあさっての方向を向いている。よほどそのときのことが嬉しかったんだろうな。おっと、そのことを付箋に書かなきゃ。
「つまり、宗像さんは自分が作ったものを使ってくれる人の喜ぶ顔が見るのが嬉しくて、それを仕事にしようと思ったんですね」
私は確認するように、宗像さんにそう伝えた。すると、宗像さんは予想外の答えを返してきた。
「いやぁ、趣味でやる分にはそれでいいんだろうけど。それじゃ、費用も持ち出しになっちまうから。今は年金暮らしだから、そんなにお金もかけられないだろ。だから、これでお金を稼がないと暮らせないと思って」
さっきまでいい話を聞かせてもらったと思っていたのだが、予想外の答えに私はとまどった。だが、ここはちゃんと付箋に記録をとらないと。
「えっと、木工細工でお金を稼ぐため、と」
違和感を感じながらも、それを記録したところで時間になった。ここで役割交代。今度は私が話す番だ。
「じゃぁ、北川さんはどうしてそのコンサルタントをやろうと思ったんだい?」
ここで、今私が思っている理念を思い切って言葉にしてみた。
「私は、今までさまざまな取引先を見てきて、特に零細企業が潰れていくのを目の当たりにしてきました。こういった小さな会社を救うことができれば。ちょっとしたことを知っているだけで、なんとかなるのに。だから、大手のコンサルが相手にしない、小さな会社を救うためにこの仕事を始めようと思いました」
この言葉は、コンサルタントの仕事をやろうと思った時から考えていたことだ。だからスラスラと出てきた。
だが、宗像さんは私の言葉を付箋に書こうとしてくれない。それどころか、なんだか眉をひそめている。そして、私の目を見ておもむろにこう言い出した。
「北川さん、あんたそれ、本心で言ってるの?」
どの言葉に思わずドキッとした。宗像さんの言葉はさらに続く。
「あんたの今の言葉、なんか作文を聞いてるみたいだったな。本当にそんなことしたくて起業しようと思ってんのか?」
「本当にって、本心に決まっているじゃないですか」
私はちょっとムキになって言葉を返す。だが宗像さんはこう切り返す。
「さっき早期退職と言っておったが。奥さんいるんじゃろ? それで奥さんを幸せにしてあげられるのかい?」
「妻のことは関係ないんじゃないですか? 私は小さな会社のために……」
「そのキレイ事で、本当にあんたは幸せなのかい?」
宗像さんの言葉は私の胸にぐさりと突き刺さった。私は自らの身を呈しても、この仕事に使命感を持ってやり遂げたいと思っていた。だが、妻の幸せのことを言われると、独立に反対している妻の顔が浮かんできた。
私は妻を犠牲にしてまでこの仕事がしたいのだろうか?
「なにバカなこと言ってるの!」
そう言う妻の顔が浮かんでくる。その言葉を無視して、私が独立をして。それで何が残るのだろうか?
「すまんすまん、つい言いすぎてしもうたわ。実はな、あの羽賀さんからワシも同じことを言われたんじゃよ。じゃから、ついそれを伝えたくてな」
「羽賀先生から?」
「あぁ、この講座は羽賀さんから薦められて参加したんじゃが。その前に羽賀さんと知り合ってな、木工細工でお金を稼ぎたいことを相談したんじゃ。そのときにワシも最初は理想論ばかり口にしておった」
「理想論、ですか」
「あぁ、その時に羽賀さんはワシにこう言ったんじゃ。『それで奥さんは幸せになれますか』って。ここで気づいた。カミさんにいつも迷惑かけて好き勝手なことばかりさせてもらって。もっと大切なことがあったはず。じゃから、ワシはカミさんにも孝行したくて、お金を稼ぎたい。それに気づいたんじゃ」
妻のこと、まったく考えていなかった。というよりも、むしろ犠牲になってほしいとすら考えていた。だが、それで幸せといえるのだろうか?
「はい、お時間です。ではここで、今付箋に書かれてあることが次の三つを満足しているか、ぜひチェックして下さい」
羽賀さんは3つのことをホワイトボードに書きだした。それがこれ。
『お客様』『社会』『社員(家族)』
「ひょっとしたらどこかに偏っていませんか? おそらく多いのは、お客様のためを思って、というのではないでしょうか」
まさに私だ。
「もう一歩進んで、それが社会貢献や地域貢献に繋がる。こういう人もいるでしょう」
私もここまでは考えていた。だが最後のこの言葉が私には効いた。
「この二つだけじゃダメなんです。その事業に関わる人、さらにはその家族、そして自分自身。ここも満足する目的でなければ、事業はうまくいきません。この三者が満足する目的。何のために。これをもう一度考えてみませんか?」
私が、家族が犠牲になってはいけない。まずはここを満たすこと。この思いを大事にしなければ、事業はうまくいかないのか。