コーチ物語 クライアント17「届け、この想い」その5
「確か一両前に乗り込んだはずだ。どこにいるんだ、どこに」
とにかく今は石上めぐみさんを探すしかない。さっき見た姿を頭の中でもう一度思い出させる。確か白のワンピースに大きな赤いスーツケースだったな。小走りでまだごったがえしている人をかきわけ、ボクは石上めぐみさんを探すことに意識を集中させた。
この車両にはいない。もう一両前か?
車両の扉が開いた瞬間、お目当ての姿を目にすることができた。
「あの人だっ!」
ボクはすぐにそこへ掛け寄った。
「あの、石上めぐみさんですよね」
「あなたっ、さっきホームで私の名前を呼んだ……。なんなんですか?」
「先ほどは失礼しました。私、あなたのお母さんから頼まれてた者です」
そういった瞬間、石上めぐみさんは怒った顔付きで立ち上がり、デッキの方へと向かっていった。
「ちょ、ちょっと。話を聞いてください。ねぇ、めぐみさん、石上めぐみさん」
スタスタと歩いていく彼女の後を追いかけて、ボクもデッキの方へと向かった。
デッキに出た瞬間、彼女はクルリと向きを変えてキツイ表情でボクにこう言ってきた。
「あなた、お母さんの回しもの? だったらなおさら、あなたには用は無いわよ。これ以上しつこくつきまとうと、車掌さんを呼ぶわよ」
まいったなぁ。このままじゃらちがあかない。どうする?
「とにかく、落ち着いて話を聞いてください。実は私も人づてに頼まれてここまでやってきたんです。直接お母さんとは面識がないんですよ」
このとき、一瞬彼女の表情が変わったのを見逃さなかった。
「えっ、なんでそんなあなたが私を追いかけてきたのよ?」
「さぁ、何ででしょうね。ただ私は人の役に立ちたい。そう思ったから必死になってここまで自転車をこいできたんでしょうね」
「あなた、自転車でここまできたの!? どうりで普通の格好じゃないと思ったわ」
彼女が言うとおり、ボクは自転車用のジャージにパンツ、そして手にはヘルメット、肩からはメッセンジャーバッグという、とうてい電車に乗るような格好ではない。
「で、あなたお母さんから何を預かってきたのよ?」
彼女は腕組みをして、フンとした態度でぶっきらぼうにそう言ってくる。まぁ無理もないか。その態度は気に入らないけれど、今は羽賀さんから預かったものを渡すのが先決だ。
「これなんですよ」
ボクはメッセンジャーバッグから紙封筒を取り出す。そしてそのまま手渡そうとした。が、彼女は腕組みをしたまま受け取ろうとはしない。
さて、どうしたものか。ホント困ったな。
ボクはあきらめムードで、車両の壁に体をあずけた。そしてボソリとつぶやいた。
「まぁ、気持ちはわからなくはないけどさ……」
「なによ、あんたに何がわかるっていうの!?」
彼女は怒鳴るようにボクにムキになってそう言ってきた。彼女の言葉はさらに続く。
「あれだけ信頼していた実の母親に、あんたのやっていることは無駄だって言われた私の気持ちがわかるわけないじゃないの」
あんたのやっていることは無駄。その言葉がボクの感情に火をつけた。
「ボクだって、ボクだって同じなんだよっ。実の両親から妙な期待ばっかかけられて。ほんのちょっと親の言うことから外れたら、いろいろと攻撃されて。それが嫌で家を飛びだしたのに。また無理やり連れ戻されそうになって。もっとボクを、ボク自身を見てくれたっていいじゃないかっ」
ボクは目の前にいる彼女ではなく、父さんと母さんに対してその言葉を投げている自分に気づいた。
「あんたも親に反抗しているクチなのね」
彼女の口調がさっきより穏やかになったのがわかった。けれどそれとは逆に、ボクの気持ちのほうが熱くなっている。特にあの策略家の母さんに対しては、いつもやられてばかりで腹がたつ。
「私もね、お母さんのあの言葉は許せないのよ。どうしても。腹がたって腹がたって。だから家を飛びだしたの」
彼女はちょっと覚めた口調でボクにそう言った。
「どんなことを言われたの?」
今度はボクの方から彼女に尋ねてみた。すると意外にもすんなりとその答えが彼女の口から飛び出してきた。
「私ね、高校のときにちょっと荒れてたんだ。なんだか面白くなくて。でもね、お母さんは私のことを信じて守ってくれてたの。高校を卒業するときに、そのことに対してすごく感謝できた。だから、お母さんのためならなんでもやってあげよう、そう思ったの」
「それで?」
「それからね、専門学校に通ったんだ。美容師になりたくて。そして、いつかは一人前になってお店を持って、そんでもってお母さんに楽をさせようと思ったの。でも……」
「でも?」
「お母さん、私にこんなことを言ったのよ。美容師になんかならなくてもいいって。それよりももっと堅実な仕事につきなさいって。私の思いなんかわかっていないんだから。それに腹がたって腹がたって……」
彼女、最後は涙目になっていた。ボクは彼女の背中をポンポンと叩き、なぐさめるような形をとった。けれどそこからどう扱っていいのかわからない。これがミクだったら、ギュッと抱きしめてあげるところなんだろうけど。今やってしまうとセクハラになるかもしれないな。
「大丈夫か?」
そう声をかけるのが精一杯だった。しばらく黙り込んでいた彼女も、ようやく顔を上げることができた。
「大丈夫、ありがとう」
このとき、ボクはあることを思い出した。羽賀さんにこの荷物を預かったときに交わした会話。この石上めぐみさんは、おばさんにはいろいろと話しをしていたということ。つまり、自分の今の状況を自分の母親にも知らせたい。母親に自分のことを見てもらいたい。そうに違いないとあのとき感じたのだ。
「一つ聞いてもいいかな?」
ボクはここで賭けに出た。
「なに?」
「今の自分を一番見てもらいたい人って、誰なの?」
「今の自分?」
「そう、今の自分」
ボクは力を込めて、もう一度そのセリフを伝えた。ここでしばらくの沈黙が続く。彼女は最初はボクの目をじっと見ていたが、そのうち目をそらし始めた。だがそれは、ボクの目を見ることができなくてそらしたものではない。何かを考え始めたがゆえに、眼の焦点が定まらなくなってきたというのが正しい。
「それは……」
彼女が何かを言いそうになった。ちょうどそのとき、車掌がボクたちの方へと近づいてきた。
「何かございましたか?」
「え、いえ、大丈夫です」
「先ほど別のお客様から、こちらの女性の方が嫌がらせをされていると聞いたものですから。失礼ですけどどのようなご関係でしょうか?」
「あ、あの、その……」
しまった、どのような関係と言われても簡単には説明できない。どうしよう。このままだと不審者扱いされてしまう。さらにボクは切符を持っていない。無賃乗車になってしまうじゃないか。
「すいませんが、車掌室までおいでいただけますか?」
やばい。なんとかごまかして次の駅で降りないと。
「あの……ごめんなさい。私の彼なんです。どうしても別れられなくて。ついこんなところまで……」
彼女の方から意外な言葉が出てきた。
「すいません。私、つい感情的になってしまって。大丈夫ですから。何もありませんので。ご迷惑をおかけしました」
「あぁ、そうですか。まぁあまり周りのお客様の御迷惑にならないようにお願いします」
セーフ。車掌はそう言うと別の車両へと歩いていった。
「あ、ありがとう。助かったぁ」
ボクは急に腰の力が抜け、その場に座り込んでしまった。
「あらぁ、意外とだらしないのね」
いたずらに微笑む彼女。ふと目を見合わせ、お互いに笑いあった。
「さっきの答えだけどさ」
彼女の方から語りかけてくれた。
「やっぱ、お母さんになるんだろうね。なんだかんだ言っても、私、お母さんに認められたかったんだって思うの。あんなことを言ったお母さんの鼻を見返してやろうって。あんたが役に立たないって言ったことが、今こうして花開いたんだぞって。でも、本音は違うのよね。誰よりも私のことを思ってくれていたお母さんに、私の姿を見て欲しいの」
「そうか」
ボクはそれ以上の言葉が思いつかなかった。