コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」2.日々好日 前編
羽賀さんから紹介された職場、それは小さな町工場。自動車の部品を作っているということだが、一見するとなんだかよくわからないもの。説明を受けたが、自動車には詳しくないので、今ひとつピンとこなかった。
工場を覗くと、油まみれで機械と向き合っている工員の姿が見える。その他にも、部品を洗浄して簡単な組み立てを行っているおばさんの姿も。合計十名くらいか。
「まぁ、小さな工場だけどそれなりにみんな頑張っているから。一度は倒産の危機に陥ったけれど、今は羽賀さんの指導のおかげでこうやって持ち直しているんだよ」
ちょっと小太りの磯貝社長が、自慢気に話してくれた。
「濱田さんの事情は羽賀さんからしっかり聞いているから。このことは私と工場長しか知らないから、気にせずに働いてくれよ。まぁ、給料は少ないけれど、そこは辛抱してくれな」
「は、はい。ありがとうございます」
今はこうやって、働く場所があるだけでもありがたい。けれど、私の頭の中にはあることが浮かんでいた。それは、私がだました人に対しての謝罪。西谷が詐欺でだまし取ったお金の総額は、億を超える。そして、私自身がだました金額は全部で2000万円。私自身が行った罪の償いとして、この金額をなんとかしてお返ししたい。そう思っている。
しかし、この工場で働いても、自分の生活費を最低限に切り詰めたとして、2000万円を貯めるにはどれだけの時間がかかるのだろうか。毎月10万円を積み立てたとしても200ヶ月。十七年もかかってしまう。これはさすがに長過ぎる。
幸いにして妻からは、離婚に際して慰謝料や養育費の請求はされていない。本来ならば、こういった費用を請求されてもおかしくないのに。これについては本当にありがたいとしか言えない。
「どうした? これから新しい門出だってのに。なんだか顔が暗いぞ。わはっはっは」
磯貝社長は明るく笑って、私の背中を叩いた。
「は、はぁ。一生懸命頑張らせていただきます」
この返事をするのが精一杯だった。
翌日から、この工場での私の仕事が始まった。機械の操作は無理なので、私は他のパートのおばさんと一緒に、部品の洗浄と簡単な組み立てを任された。
「濱田さん、あんたまだまだ若いんだから。もっとシャンとしなきゃ」
私と一緒に仕事をして、私に仕事を教えてくれることになった脇元さん。非常に明るいおばさんで、ハキハキしている。このおばさんだけでない、職場の皆さんみんながそんな雰囲気だ。
町工場といえば、なんとなく薄暗い雰囲気があった。事実、私が昔勤めていた電子部品の組立工場は、この会社の十倍も大きな規模であったが、なんだか薄暗い感じがしていた。みんな黙って、黙々と自分の仕事をこなす。誰一人笑顔なんてなかった。
ところが、ここは違う。無駄話はしないが、お互いに声を掛け合い、常にみんなが笑顔である。また、整理整頓がきちんとなされていて、初めての私でもどこに何があるのかがすぐにわかるようになっている。おかげで仕事もやりやすい。
この工場、これから伸びていくんだな。そんな感じはする。けれど、やはり何度考えてもここの給料だけで、償いのためのお金を貯めるのは難しい。さて、どうすればいいのか。
その週末、私の歓迎会が開かれた。みなさん、とても明るくて私も笑顔で過ごすことができた。また、誰ひとりとして私の過去について質問してこようとしない。これはとてもありがたかった。
だが、この言葉には詰まってしまった。
「濱田さんは、この先どんな人生を歩んでいきたいと思っているの?」
「えっ、この先ですか?」
この質問に対して、工場のみんなが私に注目。今考えているのは、償いのための返済、それしか頭にない。けれど、そんなことを言えるわけもない。
「あ、いやぁ……特には……」
「まぁまぁ、濱田さんをそんなにいじめなくても。濱田さん、ごめんな。羽賀さんの指導を受けてから、みんな未来のことに興味があって」
そう答えたのは、工場長の酒谷さん。ガッシリとした体格の頼れる兄貴といった感じがする人だ。
「へぇ、羽賀さんってそんな指導もしていたんですか」
「あぁ、あの羽賀さんの指導のおかげで、今はこうやってみんな笑顔で仕事ができるようになってね」
「すごいですね。みなさん、ご自分の未来像を持っているんですね」
「そうなんだよ。けれど、未来ばかり見てもダメ。大事なのは今そのとき、その瞬間。これもしっかりと学んだんだ。また、過ぎ去った過去を悔やんでもダメ。反省は必要だけれど、大事なのは今何をするのか。そこなんだ」
今なにをするか、か。私は今、何をするべきなのだろう?
私の歓迎会も終わり、みなさんは三々五々の解散となった。私と同じ、会社の寮に住んでいる若手は、二次会へと向かうらしい。私も誘われたのだが、久しぶりに飲んだお酒のせいでちょっと気分が悪くなって。一人、商店街を歩いて帰ることに。
「酒、弱くなってるなぁ。もともと強いほうじゃなかったけど。うっ、やべっ」
思わず吐き気が。こんなところで吐いては迷惑になる。どこかないか。あたりを見回したが、吐けるようなところはない。ダメ、ガマンできない。
「おぇぇぇっ、おえっ、おぅぇぇぇぇっ」
路地の隅のほうで思わず吐いてしまった。
「大丈夫ですか?」
そのとき、背中をさすってそう言ってくる女性の声が。
「だ、大丈夫です。す、すいません」
「飲み過ぎですか? しっかりしてください」
「ごめんなさい。道を汚してしまった」
「そんなふうに言う人は初めてですよ。私、この通りで占い師をしながらいろんな人を見てきましたけど。ほとんどの人は、酔っ払っても平気で吐いて行っちゃうんですから」
「いや、申し訳なくて。ありがとうございます」
「あの……大変失礼ですが、今あなた、大きな悩みをお持ちではないですか?」
占い師の女性からそう言われてドキッとした。
「ど、どうしてそれがわかるんですか?」
「そりゃ、占い師をずっとやっていればわかりますよ。よかったら生年月日を教えていただけませんか? あ、お金はいただきませんので」
「は、はぁ」
占い師の言葉に乗せられ、私は自分の生年月日を伝えてしまった。そして、タロットカードというのだろうか、それを使って何やら呪文のような言葉をぶつぶつと唱えながらカードを引いていく。
「なるほど、そういうことですか」
「えっ、どういうことなのですか?」
「あなたが今悩んでいること。それが解決するには長い時間がかかる。けれど、あることをすればもっとその期間は短くなる……」
「そ、そのあることって?」
「うぅん、はっきりとはわからないけれど……今はまだ動く時期じゃない。時を待て、と」
「その時期はいつなんですか?」
私は興奮して、その時期を知りたくて声を荒げてしまった。
「そうねぇ……ごめんなさい、まだ残念ながら私にもわからないわ。けれど、一週間後にもう一度ここにいらしてください。そうすればわかるわ」
「わ、わかりました。一週間後ですね」
こうして、この占い師のもとに一週間後に訪れることとなった。