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コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」8.疾病信号 後編
「奥さん、危なかったです。もう少し遅れていたら……」
「えっ、ど、どういうことですか?」
医者が言うには、クモ膜下出血の一歩手前だったという。すでに脳内に少量の出血があったとか。そのせいで頭痛がひどくなったのだという。
「失礼ですが、奥さんはタバコはお吸いになりますか?」
「いえ、それはないはずです」
「では、お酒をたくさん飲まれるとかは?」
「おそらくないとは思いますが……」
医者にそう言われて、私は不安になった。私が知らないだけで、実は隠れてタバコやお酒を大量に摂取しているかもしれない。けれど、タバコだと匂いでわかるだろうし。この一週間お酒を飲んだような気配もない。仮に飲んだとしても、身体に影響をおよぼすほどではないだろう。
「だとしたら……ストレスを抱えている、とか?」
この言葉にドキリとした。先ほど羽賀さんも同じことを言っていたから。ひょっとしたら、羽賀さんのいうように私と一緒に住むようになったことが原因で、紗弓の心を圧迫していたのかもしれない。
「ひょっとしたら、それはあるかも……」
「まぁ、いずれにしてもしばらくは安静にしていただくことになります。最低でも二週間ほどは入院していただくことになるかと」
「に、二週間もですか……」
「まぁ、まだ軽い方ですので。ひどい方になると一ヶ月以上は入院していただくことになります」
「そ、そうですか……」
この事態に、さすがに落胆せざるを得ない。それにしても、そこまで紗弓を追い詰めていたなんて。
入院の手続きを終え、私は一度アパートに帰ってきた。入院の準備をするためだ。太陽やお向さんにも事情を説明しないと。時間はすでに夜中となっていた。
翌朝、一番で社長に連絡。
「それは大変だったね。わかった、落ち着くまでは休んでいいから」
「ありがとうございます。助かります」
そして太陽に紗弓のことを説明する。
「ということだから、お母さんはしばらく入院になる。今日、学校から帰ってきたら一緒に病院に行こう」
「うん、わかった」
太陽もさすがに事態を重く見たようだ。そのあと、太陽の担任の先生に連絡を取り、事情を説明。先生も出来る限りフォローをしてくれるとのこと。
そしてお向かいのおばさんにも、昨日のお礼がてら報告に。
「あらまぁ、それは大変ねぇ。じゃぁ、太陽くんのご飯とか大変じゃない? よかったら晩ごはんくらいは私が面倒見てあげるから。我が家はダンナと二人暮らしだから、そのくらいまかせてよ」
気のいいおばさんで助かる。私も自分では何もできないので、この際このおばさんにお世話になろうと思う。
あ、紗弓の仕事先にも連絡をしなきゃ。えっと、確かここに名刺があったよな。そう思って、紗弓のバッグをあさる。すると、一枚の名刺が目についた。
「なんだ、これは……」
そこには聞いたことのない横文字の会社の名前。そして「代表取締役 横山まこと」と書かれてある。この人と紗弓とはどういう関係なのだ? 紗弓は保険会社勤めではあるが、営業ではない。だから、外部の人と会うことはあまりないはず。ゼロとは言わないが、この名刺だけどうしてこんな形で保管されているのか。
「おっと、電話をかけなきゃ」
本来の目的を忘れるところだった。紗弓の勤めている会社に電話をしたら、かなり驚かれた。最低でも二週間は入院することを伝え、私は紗弓のいる病院へと足を運んだ。
病院に付くと、紗弓はまだ眠っている。医者が言うには、意識を取り戻すにはまだ時間がかかるとのこと。今は麻酔で眠っているそうだ。命には別状はないが、まだ無理はできないということ。
「そうですか、ありがとうございます」
医者にお礼を言って、病院の休憩所で一息つく。するとそこに見慣れた顔がやってきた。
「濱田さん、よかった。会社に電話をしたら、奥さんのことを聞いて。たぶんこっちだろうと思って駆けつけたんですよ」
「羽賀さん、ご心配をおかけしました。ありがとうございます」
「早速なんですけど、ボクがちょっと調べたことをお話してもよろしいですか?」
「えぇ、お願いします」
「奥さん、例の太陽くんともめたご家庭と、まだしっかりと和解できていなかったみたいです」
「えっ、そ、そうだったんですか……そんなこと、一言も言っていなかった……」
「おそらく濱田さんに心配をかけさせたくなかったんだと思います。そしてもう一つ、奥さんは今頻繁に会っている人がいるみたいです」
「えっ、そ、それって、浮気?」
「ではありません。心配しないで下さい。相手は素性のしっかりした経営者です。さすがにどのような要件で会っているのかまではわかりませんが。やましいことはありません。何かを相談しているようなんです」
「何かをって、何を?」
「残念ながらそこまでは」
ここで結びついた。あの名刺の人と会っているのか。帰ったらもう一度名刺を確認しておこう。
「ともかく、奥さんにはさまざまな要因のストレスがかかっていたのは間違いなさそうです。疾病信号。気持ちの持ち方でそれが病気に出てしまいます」
「疾病信号? まぁ、病は気から、というのは判りますが。それにしても、こんなに紗弓を圧迫させていたなんて……」
「濱田さん、ここからの話は信じてもらえるかどうかはわかりませんが。実は、奥さんがこうなった原因、それは奥さんが受けたストレスだけが原因じゃないんです」
「ど、どういうことですか?」
「濱田さんにもかかっているストレス、気持ちのひずみ、こういったものがまわりの人を通じて出てしまうこともあります」
「つまり、私自身が受けているストレスが紗弓に影響した、と?」
「ボクはその危険性もあると思うんです。よくあるのは、親の抱えている精神的な圧迫が、子どもの病気となって出てくるというもの。今回は奥さん自身もストレスを抱えているところに、濱田さんのものまで乗ってきてしまったということも考えられます」
「私が抱えているストレス……」
ひょっとしたら、新しい家族になって一番ストレスを感じていたのは、紗弓ではなく私だったのかもしれない。
一年間塀の中で暮らし、そのあとしばらくは独り身で暮らしていた。やっと家族を取り戻したつもりだったが、それに対して知らず知らずのうちに受けていた、これから家族を支えなければというプレッシャー。
「心に不自然なゆがみがあると、それは肉体へ現象として現れます。だから、まず濱田さん自身の心のゆがみを取ること、これも考えて下さい」
「けれど、家庭を支えなければというプレッシャーをどうやって取り除けばいいのか……」
「苦難福門。そこには必ず意味があります。この奥さんの病気もまた、その意味を知らせてくれるものです。まずは笑ってみませんか?」
「笑う? こんなときに、ですか?」
「はい。こんなとき、だからです。奥さんが目を覚ました時に、濱田さんの神妙な顔つきを見るのと、笑顔を見るの、どちらが元気になれるでしょうね」
「そりゃ、笑顔、ですね」
「ボクもそう思います。笑顔はまわりの人も、自分も元気にさせてくれます。ぜひ笑顔で対応してみてください」
「はい、わかりました。ありがとうございます。でも、気がかりがまだ……」
「太陽くんがケガをさせてしまったご家族のことですね。大丈夫、これについては私もお手伝いさせていただきます」
「あ、ありがとうございます」
今は羽賀さんの言葉を信じるしかない。ともかく、一日も早く紗弓が元気になれるよう、まずは私が笑顔にならなければ。
そしてそろそろ麻酔が切れるころだと看護師に教えられ、私は再び病室へ。よし、笑顔だ、笑顔だ。
「ん、あ、あなた」
紗弓の目が覚めた。ここで私は一番の笑顔でこう言った。
「紗弓、おはよう。気分はどうだい?」
紗弓も私につられて、微笑んでこう返してくれた。
「うん、なんだかすっきりした。ありがとう、あなた」
疾病信号。悪いものを抱えれば悪い症状が出る。逆に良い物を抱えれば症状は良くなる。今それを心から実感できた。