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コーチ物語 クライアント24「まるでドラマの出来事が」その3

 羽賀さんは一度電話を切った。いや、よく見ると電話を切ったふりをしただけだ。まだ通話はつながったままだ。
「もうしばらくしたらパトカーは銀行の前からいなくなりますよ」
 シャッターが閉まっているので外の様子は簡単にはわからない。しかし、外がにわかにがやがやして、車が走り去る音がする。
「だ、だれか外を見てこい」
 中年男は拳銃を構えたままそう指示する。みんな顔を見合わせる。すると支店長らしき男性が裏の出口から外を覗いに行った。
「えっ、パ、パトカーがいません」
 これには支店長も驚いたようだ。ウソは言っていない様子。
「ね、言ったとおりでしょ。これでボクのことを信用していただけますか?」
 羽賀さんは中年男にそう言ってゆっくりと近づいてきた。中年男は信じられないような顔で羽賀さんを見つめる。
「あ、あんた一体何者なんだ? 警察の関係者か?」
「いえ、ボクはただのコーチですよ」
「コーチ? スポーツかなにかのか?」
「いえ、わかりやすく言えば人生のコーチかな。だからあなたの……あなたじゃ呼びにくいですね。お名前を教えていただけないでしょうか?」
「お、おれは、おれは川口人志っていうんだが……」
「川口人志さんですね」
 羽賀さんは少し大きめの声で中年男の名前を復唱した。おそらくまだつながっている警察関係者に聞こえるように言ったのだろう。なかなか頭の良い人だ。きっとこれで警察側はこの男の身元を調査し始めたに違いない。
「腕も疲れたでしょう。そろそろ拳銃を下ろしませんか」
 羽賀さんはそう言ってそばのソファに腰を落とした。だが川口との距離は少し保ったまま。川口も少し安心したのか、拳銃を下ろして羽賀さんと少し距離を空けてソファに腰を下ろした。だが拳銃は依然私たちの方を向いたままだ。
「先程、いろいろなことで騙されてきたっておっしゃっていましたけれど。よかったらどんなことがあったのか話をしていただけませんか? どこまでお役に立てるかはわかりませんが、できるかぎり力になりますよ」
「ほ、本当にか?」
 この川口という男、よほど切羽詰まっていたに違いない。羽賀さんのその言葉にはとても乗り気になっていた。
「おれはな、おれは半年前までは小さいながらも雑貨屋をやってそれなりにうまくいっていたんだ。大きな儲けはなかったけれど、でも夫婦二人で暮らしていくには充分な稼ぎはあったんだよ。あいつらが店にくる前までは……」
「あいつら?」
「あぁ、インターネットでホームページを出しませんかって誘いだった。そんなのおれにはちんぷんかんぷんで。でも、今の時代はホームページは必需品だとか、これを見て新しいお客さんがやってくるとか、いいことばかり並べやがってよ」
「なるほど。それからどうしたのですか?」
「最初は半信半疑だし、おれもインターネットなんか見ないから相手にしてなかったんだけど。でもよ、あいつらがパソコンを無料で使ってくださいなんてこと言って置いていきやがったんだ」
「無料で?」
「あぁ、無料でな。そしてうちのカカァにインターネットショッピングなんてのを教えちまって。これならどこにいても日本中のものが安く手に入りますよ、なんて言うもんだから。カカァがそれにはまっちまって」
「なるほど、奥さんがインターネットショッピングに……」
「それから一ヶ月ほどして、ヤツらがまた来やがって。どうですか、おたくのお店もこんな感じでネットショップを始めれば、もっと受注がきますよ、なんて言いやがって。おれは反対だったんだけど、カカァが乗り気になっちまって。それで結局契約をしてしまって……」
「契約をしてしまったんですか。それから何が起きたんですか?」
「そこなんだよ、問題は。何も起きなかったんだよ。というより、ヤツら最初はこんなサポートをしますなんてことを言ったきりで、実際にはなにもしてくれねぇし。毎月五万円なんて支払はあるし。それもご年間契約っていうじゃねぇか。なにもしねぇのに五万円なんて、うちみたいな小さな商店じゃ死活問題なんだよ!」
「確かにそうですね。五万円は私にとっても大金ですよ」
 この男に同情もする。が、騙されたほうが悪いといえば悪い。ちゃんとした調査もせずにこういう美味しい話に手を出すから。しかしそれだけでこんな籠城をするほどの問題には発展しないと思うのだが。きっとここに人質としているみんなも同じように思っていることだろう。
「そりゃ、騙されたあんたが悪いよ」
 えっ、誰だよ、そんなこと言いやがったのは。声のする方向を見ると、あのスーパーの二代目ボンボンの高木が立ち上がって指をさしてそう言うじゃないか。おい、余計なことを言うんじゃない!
「うるせぇっ! おれだってそのくらいでこんなことをやりゃしねぇ。問題はここからなんだよ。黙って聞けっ!」
 川口は高木に向かって拳銃を向ける。さすがにそれには驚いたのか、高木はシュンとなって再び腰を下ろした。
「ここからが本題なのですね。一体何があったのですか?」
「あぁ、役に立ちそうにねぇから三ヶ月目で解約をしようと思って申し出たんだよ。そしたら……」
「そしたら?」
「残金をすべて支払わないと解約出来ません、なんて言い出しやがって。残金って五万円の六十ヶ月、全部で三百万円ってことだ。そりゃさすがにおかしいと言って食って掛かったんだけどよ……」
「契約書にそう書かれてあった。そうではないですか?」
「そのとおりなんだよ。おかげでうちのカカァとも喧嘩になっちまって。なんできちんと契約書を読まなかったのか、とか言われたけど。そんなの小さい字で書かれてあるし、他にもごちゃごちゃ書いてあるからわかるわけねぇじゃねぇかよ!」
「なるほど、典型的な詐欺の手口ですね。しかし契約書にそう書かれてあるのならなかなか反論できない」
「しかも、これは銀行ローンを組んだ形になっているってことがわかって。これを破棄すると銀行のブラックリストに乗るっていうじゃねぇか。そのことを前にこの銀行に相談に来たら、これは仕方ありませんねって言われて追い返されて……」
 これには同情するが。しかし巧妙な手口で騙されてしまったものは仕方ない。
「なぁ、おれなんか悪いことしたか? おれが悪いのなら素直に三百万円払うけどよ。でもおれは何もしてねぇんだよ。何もしてねぇのになんで三百万円も払わなきゃいけねぇんだよ。おい、どうにかしてくれよっ!」
 川口の悲痛な叫びが銀行内に響いた。私から見ればたかが三百万円でこんなふうに人生を棒に振るような事件を起こすなんて信じられない。が、この河口にとってはこの三百万円がとてつもなく大きな金額だったに違いない。
「銀行の信用がなくなったら、この先商売やっていけねぇんだよ。なぁ、あんた人生のコーチならどうすればいいかをおれに教えてくれよ」
 さすがの羽賀さんもどう言葉をかければいいのか迷っているようだ。

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