
コーチ物語 クライアント41「夢、その奥にあるもの」 第一幕 夢やぶれて その3
翌日、午前中におたけさんのもとを尋ねた。おたけさんは近くのボランティア施設にいるが、いつもいるわけではない。聞くところによると、別の仕事を持っていてその合間に私達のような人間の救済活動を行っているとのこと。とにかくおたけさんに会いたいということを伝えないと始まらない。
「こんにちはー」
恐る恐る施設の扉を開ける。すると、そこには意外な人物が待っていた。
「よぉ、博士じゃないか。待っておったぞ」
なんと、あの桜島のジイさんがソファに座っていた。
「あら、博士。いらっしゃい」
桜島のジイさんの正面に座っていたのはおたけさん。私の方からは背中を向けていたので、だれだかわからなかった。
「今ね、ちょうど博士の話をしていたところなの。桜島さん、どうしてもあなたが気になって仕方ないんだって。だからなんとかして会わせたいと思っていたのよー」
いつものような調子で、おたけさんはそう言ってケタケタ笑う。この笑いに私たちは何度も助けられている。
「この桜島さんって人ね、コーチングのコーチをやっているの。あ、コーチングって知ってる?」
「えぇ、まぁ。確か以前いた会社で、それを専門にやる部署を立ち上げようとした人がいたって聞いています。その人、営業マンとしては凄腕だったのに、コーチングに出会ってから会社を辞めて、今はその仕事をやっているとか」
話しながらおたけさんが自分の横に座れと指示をしてきたので、私はソファに腰を落とした。
「ほう、なるほど。博士はコーチングを知っておったか」
「まぁ詳しくは知りませんが。そういうのがあるという程度なら」
「じゃったら話は早い。どうじゃ、ワシのコーチングを受けてみらんか?」
「私がコーチングを受けて、どうなるんですか? 私はもう元の生活には戻りたくない。今の生活で満足しているんです。落ちるところまで落ちた。だからもうこれでいいんです。今さら元に戻ろうなんて考えていません」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。何か勘違いしておるようじゃの。ワシはなにも昔に戻れと言っておるわけではない。博士が本来の博士らしく生きる、そのお手伝いをしたい。そう思っておるのじゃよ」
「私が私らしく生きる? 今の生き方が私らしいんです。放っといてください」
「本当にそうかな? 明日生きるのも精一杯で、心から満足した生活を送っておると言えるのかな?」
「そ、そりゃ、食べ物を探すのは大変だし、ほんのちょっとした小銭稼ぎでも、丸一日あるきまわってようやくって感じですけど。でも、これでいいんです、これで」
「なるほど、そうじゃったか。じゃったらワシが何も言うことはない。ぜひ今のまま生きていくとよい。今の生き方を、本当に後悔しておらんのであれば、の話じゃがの」
「今の生き方に後悔……」
後悔をしていないわけではない。妻と子どもが今、どのように暮らしているのか、それは心配だ。放ったらかして全てを捨てて逃げ出した会社の仕事、これだって気がかりではある。
とはいっても、妻は一緒にいるときから私には無関心だった。妻は自分で事業を興し、それが軌道に乗ってきて家庭どころではなかった。私の食事もろくに作らずに、自分のことで頭がいっぱい。子どもは子どもで、高校生になってから私のことを「オヤジ臭い」「なんか汚い」「一緒にいたくない」と言って敬遠していた。だから、私がいなくなっても本気で探そうとも思わなかったに違いない。
会社は会社で、私一人がいなくても勝手に動いているはずだ。なにしろ日本を代表する大きな商事会社、四星商事なのだから。グループ全体で何万人といる従業員が、たった一人いなくなったところで痛くも痒くもないだろう。
だから、私は今の生活がいい。よっぽど今のホームレスの仲間のほうが私のことを心配してくれる。おたけさんのような人のほうが人間味があって温かさを感じる。
「ちょっと話を変えるとしよう。博士、お前さんは子どもの頃何になりたかったのかな?」
「子どもの頃、ですか? 私は子どもの頃はアクションヒーローに憧れていました。仮面ライダーや戦隊モノ、ああいった特撮ヒーローが大好きで、一時期はフィギュアも集めていましたよ」
「なるほど、アクションヒーローか。ワシの頃は月光仮面なんてのがあったのぉ。ああいった、悪を倒す正義の味方、これは痛快じゃろうなぁ」
「えぇ、確かに。けれどあれは所詮テレビの中の世界です。現実を見れば、そんなことができるわけないって、どこかで冷めたところがありましたね」
「けれど、心の中では特撮モノのヒーローは無理でも、現実の世界でヒーローになりたかった。違うかな?」
「桜島さん、私の心を見抜いていますね。だから私は四星商事に入ったんです。この会社なら、みんなの役に立つヒーローになれるかもしれない。そう思ったんです。けれど、それも無理でした」
「ほう、無理とな。どうしてかな?」
「私よりも優秀な人達が山ほどいるんです。そんな連中のほうが会社の中ではヒーローでした。大きな案件を受注してくるやつ、大会社とのM&Aを成功させてくるやつ、大きな資源開発のプロジェクトを任されるやつ、こういった連中が花形で、私みたいな小さな案件でしか動けない人間は、並の人間でした」
「それでヒーローを諦めて、今ここにおる。そういうことかな?」
「まぁ、そうなりますね。せめて家庭の中だけでもヒーローになりたかったのに。むしろ主役は妻に奪われていましたからね。彼女のほうが稼ぎもよくなって、逆に私は邪魔者扱いですよ」
「ではそんな博士にワシから一つ提案してもよいかな?」
「はい、なんでしょう?」
桜島さん、さっきまでソファに背中をもたれて話をしていた。けれど今度は前のめりになって、私の目をジッと見ている。何が始まるんだ?
「もう一度、別の道でヒーローになってみらんか?」
「冗談はよしてください。さっき、もう昔に戻りたくない。そう言ったばかりじゃないですか」
「何度も言うが、昔に戻らんでもよい。全く違うヒーロー像をつくりあげるのじゃ。そうさのぉ、ワシから一つ提案させてもらうと、今の仲間、その人達のヒーローになるんじゃ」
「今の仲間のヒーローって、具体的に何をすればいいんですか?」
「あら、簡単よ。私と同じことをすればいいんじゃない」
おたけさんが会話に入り込んできた。確かに、言われてみるとおたけさんとここのスタッフたちは、私達にとってはヒーロー、いや女性ばかりだからヒロインってところだな。
おたけさんがヒロイン。自分でそう言っておきながら、頭の中でおたけさんがミニスカートを履いて、派手なアクションをしているのを想像して思わず吹出してしまった。
「あら、なによ。急に吹き出しちゃったりして」
「い、いや、失礼。ちょっと妙なものを想像しちゃって」
けれど、おたけさんのような活動も悪くはない。皆を助けるヒーローか。けれど、どうやったらそんな存在になれるのだろうか?