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コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」10.破約失福 後編

「羽賀さん、ご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ、私も楽しかったですよ。岸元さんって、前から人の約束を守る人ではなかったでしょう?」
「はい。時間にはルーズだし、自分が言ったことはやらないし、何かあるとすぐに人のせいにするし。私は嫌いでした」
「破約失福という言葉があります。約束を破るということは、人に不幸を与えるだけでなく、回り回って自分の幸せをも逃してしまう。そういう意味です」
 破約失福。まさに今の岸元さんがそうなのだろう。が、この言葉は私自身にも言えることだ。
「羽賀さん、私も昔、人の約束を破ってしまったことがあります。そのせいであのようなことを起こしてしまった……」
「どのようなことですか?」
「はい、まださっきの岸元さんと同じ工場に務めていた時のことです。私は出荷品の検査を担当していました。検査だから、品質を保持すること。これをお客さまに約束する部署です。けれど……」
「出荷してはいけない品質のものを出荷してしまった。そうじゃないですか?」
「はい、おっしゃるとおりです。けれど、これは上からの命令で。このくらいだったらわかるはずがない。それよりも検査落ちした商品コストのほうが問題だ、と工場長が言い出して。それで……」
 私の頭のなかでは、その当時のことが思い出されていた。私は出荷を止めるべきだ、そう主張した。しかし、工場長や岸元さん、他の社員もみんな
「このくらいだったら問題ない」
と言い出して。私は仕方なく、上の言うとおりに行動した。お客さまに申し訳ない。そう思いながら。
「でも、約束を破ると相手だけでなく、自分も不幸になるんですね。その商品が市場でトラブルを出して、火災を起こしたんです。幸い命まで奪うことはありませんでしたが。その責任を追求されて、結局工場は閉鎖に追い込まれました」
 このときわかった。約束を破るということは、どんなに小さなことでも不幸を招く。人を騙してお金を取るということ、これはもちろんいけないことであり、最後は自分の不幸を招くことは、身を持って体感している。
「そうだったんですね。話していただきありがとうございます。では、ついでに一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょうか?」
「濱田さんは、奥さんやお子さんに対して何か約束していることはないですか?」
「約束、ですか?」
 そう言われて、何か約束したかを思い出そうとした。が、すぐには思い出せない。
「うぅん、ちょっと思い出せないです……どこかに連れて行くとか、プレゼントをするとか……でも、そんな約束はしていないと思うけれど……」
「濱田さん、思い出してください。私と最初に出会った日のことを。その約束は、奥さんとお子さんに直接言ったわけではありません。私に言ってくれたものです」
「羽賀さんに……」
 私は羽賀さんと最初に出会った日のことを、一生懸命思い出そうとした。
 羽賀さんと出会ったのは、私が詐欺で騙そうとしたおばあちゃんの代わりに羽賀さんが電話に出たとき。あのとき、電話口でなぜか羽賀さんに心を開いてしまって。そして直接会うことになった。
 会ったのはその日の仕事が終わった後の人気のない公園。そして、羽賀さんに今の状況を一通り話した後、こんな質問をされた。
「濱田さんはこれからどうしたいと思っているのですか?」
 思い出した。私はこう答えたんだった。
「どうしたのか……家族を、妻と子どもを幸せにしたい」
 そうだ、そうなんだ。私は妻と子どもを幸せにする。そう約束したんだ。だから、その第一歩として罪の償いを行う。騙してきた人にお詫びをしてお金を返す。そう誓ったんだった。
「羽賀さん、思い出しました。私は妻と子どもを幸せにする。そう約束しました。けれど、紗弓はストレスを抱えて、クモ膜下出血になってしまった……私が約束を守れていないから、だから周りの人を不幸にしてしまった……」
「濱田さん、まだ約束を破ったわけではありませんよ。濱田さんは約束を守ろうとしていた。それはボクも、そして奥さんも知っていることです」
「でも、現に紗弓はああなってしまった」
「確かに、奥さんは病気になってしまいました。けれど、奇跡的にすごく軽い症状で済んだじゃないですか。逆に、私はこれは神さまが起こしてくれた、濱田さんへのプレゼントだと思っています」
「ど、どうしてそれが言えるんですか?」
「濱田さん、聞いていませんでしたか。奥さんの入っている保険のこと」
 そういえば西谷工場長もそんなことを言っていたな。そのことを伝えると、羽賀さんが資料をバッグから出してきた。
「実は、私も先日西谷さんからその話を聞いて。失礼ながら奥さんに会って、保険のことを聞いてきました。そうしたら、三大疾病になったときに五百万円一括で下りるという保険に入っていたそうです」
「ご、五百万円!?」
 私にとっては途方も無い金額。それだけあれば、生活もかなり楽になる。
「そして奥さん、濱田さんに内緒で、とある経営者と会っていたことはこの前お話しましたよね」
「はい。横山まことさん、とかいう人でしたよね。会社名は横文字だったので覚えていませんが……」
「このことも、奥さんから了解を得ましたので、私の口から話させていただきますね。実はこの横山まことさんは、GrowCreativeBrainという会社の社長さんで、主に右脳開発の教育を手がけている方です」
「右脳教育、ですか。なんか難しそうですが。でも、なぜ紗弓がそんな人と?」
「濱田さん、奥さんと出会ってすぐくらいのときに、奥さんからこんなこと言われたの覚えていないですか? あなたは自覚していないかもしれないけれど、すごい才能を持っているって」
「すごい才能……そんなこと言われたかなぁ。それに、私にすごい才能なんてないですよ」
「やはり、覚えていないようですね。奥さん、そのあとこう言ったそうです。私があなたの才能を必ず引き出してあげるって。そう約束したから、今奥さんはその約束を果たそうとしていたんです」
「紗弓がそんな約束を私に? うぅん、覚えていないけれど……でも……」
「でも?」
「でも、なんか嬉しいですね。けれど、それと横山まことさんとはどんなつながりが?」
「奥さん、保険のお客さんで右脳開発の横山さんの存在を知ったそうです。そこで濱田さんのことを横山さんに話しに行って。そこで横山さんは一つの事業を考えついたそうなんです」
「事業って、そもそも私にそんな才能なんてないし」
 そう口では言いつつも、紗弓が気づいた私の才能というのにとても興味は惹かれる。
「濱田さん、横山さんに会ってみませんか?」
「は、はぁ……まぁ、そこまで言うのなら……」
 気乗りがしない、というよりは半信半疑といったほうが正しい。紗弓も羽賀さんも、ひょっとしたら私を騙しているんじゃないか。よくテレビなんかで見る、どこかにカメラが仕掛けてあるドッキリものじゃないか。そうとさえ思えてきた。
「実は、今日濱田さんにお話したかったのはこのことだったんです。これがうまくいけば、濱田さんも奥さんも、お互いに約束を守ることができます」
「羽賀さん、先ほど教えていただいた『破約失福』、これは約束を破ると相手も自分も不幸になるってことでしたよね。じゃぁ、約束を守るとどうなるんですか?」
「それはもちろん……」
 その答えは、羽賀さんの笑顔で言われなくてもわかった。
 そうなんだ。約束を守ること。これは人として当たり前のこと。でもそれだけじゃない。約束を守れば、決め事を守れば、どんな問題でも解決して、幸せの扉を開いてくれる。
「もう一つ、約束について付け加えさせてください。約束とは他人にするだけではありません。自分自身に課した約束、これもきちんと守ることが大事です。濱田さん、それができますか?」
「はいっ!」
 私は大きな声で、自分に対して約束をした。この先、どんなことがあっても約束は守り続けることを。

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