コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第三章 真実とともに その5
「あなた、あなた」
私が次に目を開けたときに目にしたもの、それは今にも泣きそうな妻の顔だった。そしてその向こうは知らない天井。
消毒液の匂いがする。ここは病院か。
「あなた、意識が戻ったのね。よかった」
泣きそうな顔から一転、安堵の顔に変わる妻。そうか、私は刺されたんだったな。なんとか命は助かったのか。
「あいたた……一体どうなっているんだ?」
私は意識が遠のく前のことを思い出そうとした。が、まだ頭の中がごちゃごちゃしてよく思い出せない。
しばらくして医者が登場。
「坂口さん、意識が回復しましたね」
「あの……私は一体どうなったんですか?」
「背中を刃物で刺されて。幸い内蔵は避けられていたのでそれほど大きな致命傷にはなりませんでしたが。しかし、出血がひどくて非常に危なかったです。ところで、警察の方が事情をお聞きしたいとのことですが。対応は大丈夫でしょうか?」
「えぇ、まぁ」
そうか、やはり何者かに刺されたのか。でも一体誰が。警察からはそのことを聞かれるんだろうな。
やってきたのは、顔がブルドッグそっくりの刑事さん。若手を引き連れてきているが、どう見てもこちらのブルドッグ刑事のほうが犯人にしか見えない。
「捜査一課の竹井ってもんだ。坂口さん、早速で悪いが刺されたことに何か心当たりは?」
ありきたりの質問だ。心当たりはある。が、これを素直に話すわけにはいかない。
「いえ、私もなぜこんなことになったのか、まったくわからないんです」
「刺されたときは坂口さんは何をされていたんですか?」
「はい、毎日の日課にしている瞑想をしていました。アロマキャンドルに火を灯して、部屋の灯りを消して静かに自分を見つめる。そんな時間をつくることを日課にしているんです」
「奥さん、それに間違いはありませんか?」
「はい、その時間は邪魔をするなと言われていますので」
「なるほど。しかし坂口さんを刺した人間はいつの間にか部屋に入り込んでいましたよね。窓に鍵はかけていなかったのですか?」
「そこは私も記憶があいまいなんですよ。家に帰って自分の部屋に入ったときに、ときどき換気のために窓を開けますから。鍵は出かける前は気にしますが、このときはどうだったのか」
「なるほどね。それともう一点。坂口さん、あなた部屋で何か燃やしましたか?」
「えっ!?」
この質問にはドキリとした。羽賀さんからもらったQRコードの書かれた紙。あれを燃やした後、灰は集めてゴミ箱に入れた。それを見られたのだろうか。もしくは、灰がまだ机の上に残っていたのか。
「いえ……あ、そうだ、領収書を燃やしました」
「領収書?」
「えぇ。刑事さんちょっと」
そう言いながら刑事をこちらに呼び寄せ、小声で話をする。
「実は妻にはナイショなのですが、知り合いの女性と食事に行きまして。そのときの領収書を燃やしたんです。証拠隠滅ですよ」
もちろん、とっさについた嘘である。だが、こんな小手先のウソしか思いつかなかった。
「なるほどね。ま、それなら気持ちはわかります。まぁ捜査はこれからなので、また何かありましたらお聞きに伺います。では」
今回は警察もあっさりである。しかし、どうして私が刺されなければいけなかったのか。可能性があるといえば、私たちの活動がリンケージ・セキュリティかロシア側にバレて、その口封じに。いや、今現在私たちが口封じをされるような情報は持っていない。だったらなぜ?
今の時点ではそれを知る手段はない。こんな状況じゃ身動きも取れない。
翌日、会社から数名が私のお見舞いに訪れた。そのなかの一人に私の部下であり例の仲間でもある兵庫の姿もあった。
「坂口さん、なんだかとんでもないことになってますね」
私が何者かに刺されたという話は、社内には広がっているらしい。この話はリンケージ・セキュリティの大磯の耳にも入っているとか。
「坂口さんの業務は私が引き継いでいますので安心してください」
兵庫が力強くそう言ってくれた。こいつなら信頼できそうだ。こいつに託してみるか。
彼らが返った後、私は兵庫にメールを送った。
「この人に連絡をして、私の今の状況を伝えて欲しい。このことは他言無用」
そう言って送った連絡先、それはコーチの羽賀さんのところである。兵庫ならそれなりに状況を察知してうまくやってくれるはずだ。
だが驚いたことに、私がメールを送った直後に羽賀さんが私の病室にやってきた。いくらなんでもこれは早過ぎる。
「あ、羽賀さん。どうして?」
ありがたいことに、妻はちょうど席を外している。いや、おそらく妻が席を外したのを見計らって羽賀さんは登場したのだろう。
「まずはちょっと失礼」
そう言って羽賀さんは手にした装置をベッド付近にかざしている。すると、ある一点を差したところで表情が険しくなった。
羽賀さんはポケットからメモ用紙を取り出し、さっと走り書きをした。そこにはこんな文字が書かれてある」
『盗聴器』
なんと、いつの間に。羽賀さんが手にした装置は電波を測定するものだ。よく見たら同じものが私の職場にもある。
「いやぁ、坂口さんの会社の方にお聞きしてびっくりして飛んできましたよ。お体は大丈夫ですか?」
羽賀さん、言葉ではそう言いながらもメモ用紙にはこう書いて見せた。
「相手を特定するために、しばらくこのままにします』
私はこっくりとうなずいた。
「私も驚いているんですよ。一体何があったのか。警察にもいろいろ聞かれたのですが、心当たりがまったくなくて」
私も同じようにメモに走り書きをした。
『やはり例の件で刺されたのでしょうか?』
羽賀さんは私の言葉にこう答える。
「それは困りましたね。警察といえば、私の知り合いにブルドッグみたいな顔をした刑事さんがいるんですよ」
「えっ、その人ですよ、私の事情聴取にきたのは。確か竹井さんとか言っていましたね」
「そうそう、竹井警部です。ああ見えても結構頼りになる刑事さんですよ」
次に羽賀さんが見せたメモはこうだった。
『二人の石塚さんの謎が解けそうです。もうしばらくお待ちください』
私はそれに素早く文字で返事をした。
『わかりました』
「あ、そうだ。食べるのは大丈夫なんでしょ。いいものを持ってきましたよ」
そう言って羽賀さんが出してきたのはケーキの箱である。
「おいしいシュークリームなんですよ。特に真ん中のはおいしいですから。ぜひ召し上がってください」
箱をひらくと、三種類のシュークリームが入っていた。右はイチゴ、左はキウイで飾り付けがしてある。そして真ん中のシュークリーム。これは何の飾り付けもない普通のもの。私はさっそくそれを手に取る。すると妙に軽い。
中をひらくとマイクロSDカードが入っている。
「これはおいしそうだ。では早速いただきますね」
私はそう言ってマイクロSDカードを一旦ポケットに入れる。そしてガワだけの味気のないシュークリームを口に入れる。ホント、シュークリームってガワだけだとこんなに味気ないものなんだな。
「では私はそろそろこのへんで」
そう言いながら、羽賀さんは最後にこんなメモを書いた。
『今回の件は私の方でも調査中です。坂口さんは渡した情報を元に意見をください。また顔を出します』
それを見せると、私たちが書いた一連のメモを全てポケットに入れて、羽賀さんは病室を去った。
ちょうど入れ替わりで妻が戻ってきた。
「あら、お客様だったの?」
「あぁ、仕事でちょっとお世話になっている人でね。あ、シュークリームをもらったんだ。よかったら食べないか?」
そう言って私は二つのシュークリームを妻に手渡した。
妻の嬉しそうな顔を見ながらも、私の頭の中は羽賀さんから受け取ったマイクロSDのデータのことで頭がいっぱいだった。この中には一体どんな情報が入っているのだろうか?
そして盗聴器。誰がいつ仕掛けたのか? 今は慎重に事を進めるしかない。
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