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コーチ物語 クライアント25「カフェ・シェリーの物語」その2

「メールありがとうございます。私もぜひお会いしたいです」
 なんと、羽賀さんから返ってきたメールはぜひ会いたいとのこと。私は早速場所をセッティングし、日時の候補をいくつかメール。まもなく羽賀さんからもメールが返ってきた。
「では来週の水曜日の夜七時に、レストラン巴里の市でお待ちしています」
 当時、私は実家で暮らしていた。実は以前結婚していたのだが、とある事情で離婚。私立高校の一教諭の給料なんてたかがしれいているが、生活には困らないし、お金をかける趣味も持っていなかったので、そこそこは余裕のある生活を送っていた。
 趣味も経歴も年齢も違う私と羽賀さん。なぜか一目あった時から気が合うな、という感じがした。そして話が進むにつれて、これは間違いないと感じることができた。それが何なのかはわからない。まるでこういう出会があることが運命づけられていた、としか言い様がない。
「よかったら一度コーチングを受けてみたいんですけれど。もちろんお金はお支払いします」
 私の申し出に、羽賀さんはこんな言葉で返してきた。
「いや、実はコーチングを始めたとはいえまだまだひよっこで。私の師匠からはお前がお金をとるなんてとんでもない、なんて言われていまして。だから課題を出されていたんです。無料で五人、三ヶ月間のクライアントを持て、と。どうしようかと思っていたところなので、ぜひそれに協力してもらえませんか?」
「えっ、いいんですか? もちろん、喜んで!」
 まさか、無料でコーチングを受けさせてもらえるなんて。さらに羽賀さんは、知り合いでコーチングを受けたいという人がいれば紹介してほしいと言ってきた。そこはもちろん協力させてもらおうと思ったのだが。
 頭のなかでひらめく同僚達は、まずコーチングが何たるものかはもちろん知らない。それどころか、そんなところに価値を置くような人間ではない。できれば私と感性が似ている人。
 そこで一人浮かんだ。
「その人物って、若い女の子でもいいですか?」
「えぇ、もちろんどんな方でも構いません」
 そこでひらめいたのが、昨年までの教え子のマイ。彼女は今年から女子大生なのだが、ちょっと変わっている子であった。私の授業はちょっと変わっていて、英語の合間に私が本で読んだ知識やうんちくを生徒たちに教えている。特に精神世界のことについてはよく話すのだが。マイはそこに一番食いついてくる子である。なので先日も、とある講演会に誘ってみたところ、喜んでついてきた。
 翌週、マイを羽賀さんに会わせることに。そこから奇妙な三人の関係がスタートした。傍から見ればオジサン二人に女子大生という、どう考えても分けの分からない組み合わせ。しかしお互いのコーチングの時以外はよく三人で食事をしたり、羽賀さんからコーチングを教えてもらったりすることが多くなってきた。
 私が受けたコーチングのテーマは将来の夢。実は私は密かに「成功者」になることを夢見ていた。お金持ちにもなり、さらに人にたくさん貢献できる。そんな人物になりたいと思い、有名な人の成功者になるための教材を取り寄せたり、東京にまでセミナーを受講しに行ったりしていた。けれど現実は厳しい。いくら目標を明確にしても、アファメーションをやってもそこに近づいている実感が湧かない。
「先生、ズバリ質問していいですか?」
 何度かコーチングをした時に羽賀さんがいきなりこんな質問をしてきた。当時は私は先生と呼ばれていた。マイがそう呼ぶので羽賀さんもそう呼んでいたのだ。
「はい、なんでしょうか?」
「成功を求めるって、楽しいですか?」
 成功を求めるのが楽しいか、だと? もちろんです、そう答えを口にしようとしていた自分がいた。が、もうひとりの自分がその言葉を制した。
「お前、それ、義務に感じていないか?」
 頭の中でそんな言葉が響いたのだ。
 義務に感じている、だと。どうして? なりたくてなろうとしているし、やりたくてやろうとしているのに。どうしてそれを義務なんて感じるんだ?
 けれど、もう一人の自分にそう言われて初めて気づいた。今が苦しい。成功していないから苦しいのか? いや、違う。成功しないといけないと思っている自分に対して苦しい。こんなにお金をかけて、こんなに知識を持って、こんなに生徒たちに話をして。そういう自分が成功者になっていないのはおかしい。だから成功者にならないといけない。
 そんなことが頭の中でグルグルと回り始めた。
「先生、今頭の中で巡っていることを一度言葉にしてみましょうか?」
 羽賀さんの促しで、私はポツポツと言葉を発し始めた。私は成功を義務に感じていた。成功に押しつぶされそうになっていた。どうして他の人にできて私にできないのか。その気持ちが私を支配していた。
「そうだったんですね。話していただきありがとうございます」
「いえ、自分の本当の気持ちに気付かされました。けれど、私はこれからどうしていけばいいんでしょうか?」
 成功を求めない。それは私の心のなかにポッカリと大きな穴を空けてしまった。
「先生、先生が夢中になれるものって何なのですか?」
「私が夢中になれるもの? そうですね、成功を求めること、だったのですが。それ以外では身体を鍛えること。そして本を読むこと。あとはコーヒーを淹れることですね」
「なるほど、体を鍛える、本を読む、そしてコーヒーを淹れる、か。一つ一つ聞いてもいいですか? 体を鍛えて、どうしたいのですか?」
「私は武道をやっていて、学校でもその顧問としてやっていますが。といっても同好会みたいなものですけど。体を鍛える事の中にある、心を鍛える。ここを続けていきたいのです」
「なるほど、心を鍛えるために身体を鍛えているんですか。すごいな。では本を読むことは?」
「これは成功のためにやっていたようなものですけれど。でも本を読む行為自体は好きでやっていますね。これもいろんな知識を得られて、とても心地良いものです。読書はやめられませんね」
「なるほどなぁ。では最後のコーヒーを淹れるというのは?」
「コーヒーは、コーヒーは……」
 そこで言葉が詰まった。私はどうしてコーヒー好きになったんだろうか? その理由を思い出してみた。そして思い出した。あのコーヒーとの出会いだ。
「私が若いころ、とあるペンションで飲んだコーヒー。これとの出会いから私はコーヒーにのめり込みました。あんなに美味しいコーヒーがあるなんて。人を感動させるようなコーヒー、これを淹れてみたい。そう思ったんだった」
 すっかり忘れていた、その気持を。私は、私が淹れたコーヒーで人に感動を与えたい。そして人を幸せな気持ちにさせてみたい。そのために珈琲道を極めようと思い始めたんだった。
 早速そのことを羽賀さんに伝えてみた。
「すばらしい! ぜひ私にそういうコーヒーを飲ませてくださいよ」

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