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コーチ物語 クライアント28「せめて少しはカッコつけさせてくれ」その5

 矢吹医院の院長マダムの話はこうだった。旦那さんに話をする前に、オレがどんなことをしてくれるのか、さらにはどんな効果が期待できるのか、それを聞きたいとのこと。自分も病院の経営には一部携わっているので、全てを院長だけの判断にはしていないから、とのことだった。
 まぁそういうのだからそうなのだろう。オレは素直にその言葉に従うことにした。だが会う時間がちょっと微妙だ。なんとオレをディナーに誘うとのこと。
「夜は旦那さんは大丈夫なのですか?」
「いいのいいの、私、時々夜に友達と食事に出かけたりしているし。それにあの人も自分の好きなように食事したいって言っているから」
 うぅん、時間的に危険な香りがするが。ここは仕事と割りきって行ってみることにしよう。だが、ちょっとだけ予防策を張っておこう。オレは堀さんに一言この件を伝えておこうと思って携帯へ電話を入れた。
 が、仕事中なのか移動中なのかわからないが、残念ながら携帯は留守電へと切り替わる。仕方ないのでその旨を伝言だけ残しておくことにした。
 矢吹医院のマダムとの待ち合わせは7時。場所はロイヤルホテルのステーキハウス。この店はステーキハウスとしては老舗でもあり、VIPクラスの人達が使うところでもある。そのため、個室完備。その個室を何に使うかは客次第ではあるが。
「こちらです」
 オレが通されたのはその個室。すでにマダムはそこに位置していた。しかも、先日よりもやたらと胸を強調するような服を着ている。前回はあまり気にしないようにしていたが、ここまであからさまにアピールされるとさすがに目がそこにいってしまう。
「待ってたわよ。まずはワインで乾杯しましょ」
 慣れた雰囲気でオレを誘うマダム。オレはとにかく冷静を装い、ポーカーフェイスを通すことに。
「矢吹さん、今回はご招待いただきありがとうございます」
「矢吹さんだなんて、ちょっと他人行儀ね。麗子でいいわよ」
 やばい、完全にオレはこのマダムにロックオンされたようだ。このマダム、年齢は四十半ばか後半といったところなのだろうが、化粧と服装、そして肌の手入れのせいで若く見える。十歳は若いオレと並んで歩いても違和感はないだろう。
 ここからはしばらく、前回会った時のネタについての話ではずんだ。病院においてはこれからいかにして患者さんに魅力のあるものを見せていくのか。そのためには攻めの営業も必用になっていく、といった仕事の話にとことん終始してみた。マダム麗子もその話には興味深く耳を傾けてくれたのだが。
「なるほど、ますますあなたに興味が湧いてきたわ。ぜひうちの病院にあなたの考え方を取り入れてみたいわ」
「ありがとうございます」
「ところで、私の話も聴いてくれるかしら?」
「え、えぇ、よろこんで」
 この瞬間、オレの中のマダム麗子に対する危険度がさらに増した。こういって切り出してくる話は予想が付いている。おそらく旦那さんに対する愚痴だ。
「実はね、ウチの旦那は……」
 ビンゴ! こういう話は友達にはなかなか言いづらかったりする。特にセレブ層の女性たちは他への見栄もあるから。表面上は夫婦仲が良いように見せているが、実は、といったケースは少なくない。さらに旦那は金持ち、おそらく外に女性の一人や二人いてもおかしくはない。今回のマダム麗子の話もまさにそうであった。
「だからね、私、夜は寂しいのよ」
 そういって色目を使ってくるマダム麗子。この手でおそらく何人もの若い男性を食ってきたのだろう。なにしろ相手はお金持ちだから。若い男もうまくいけばお小遣いくらいもらえる程度の相手はできるだろう。
 が、オレはそうはいかない。なにしろこういったコンサル商売は信用が第一である。下手にクライアント関係者に手を出してしまったら。それこそあとあと信用問題に発展しかねない。女性とは遊ぶけれど、オレは後腐れないつきあい方しかしない。ここで下手なことをしてしまうと、取り返しの付かないことになりかねない。
 さて、ここをどう乗り切ろうか……。
「で、私に何を要望されているのですか?」
 今回はズバリ、そこを聞いてみた。
「あなた、もうわかっているでしょう」
 両手でほおづえをつき、妖艶な笑みを浮かべてそう応えるマダム麗子。このとき、さらに胸の谷間がオレの目に強調されて飛び込んでくる。相手が人妻でなければ間違いなくオレの方から誘ったに違いない。
「残念ながら、私のポリシーとして奥様のお相手をするのは控えさせていただきます」
 ここはズバリ断ったほうがいい。そう判断したオレは冷静な態度でそう言い放った。だがここは相手も上手だ。
「そう言うと思ったわ。ますますあなたが気に入っちゃった。多分、こういうのが世間にバレるのを恐れているんでしょ。心配しなくていいわ。夫は私がこういうふうに若い男性を誘っているの、知っているから。そこはお互い様なの。だから心配しなくていいのよ」
 いやいや、旦那さんにバレるとかそういう問題じゃないし。
「ここで私の言うことを聞いてくれたら、あなたへの顧問契約を結んであげる。それならどう?」
 今度は仕事を盾にしてきたか。そりゃ、ここで顧問契約が取れればオレとしてもありがたい話だ。だが、この手でおそらく何人かの若いセールスマンが毒牙にかかっていることは容易に予想できる。
 オレはしばらく黙りこむ。
「ねぇ、あなたにとっても悪い話じゃないでしょ」
 そう言ってまたニコリと微笑むマダム麗子。その仕草がまた妙に女っぽくて。思わず理性が飛びそうになる。
「今夜はここに部屋をとってあるの」
 そう言ってバッグから部屋の鍵を取り出すマダム麗子。
「女からの誘いを断るつもり?」
 ちょ、ちょっと。や、やばい。本気で毒牙にかかりそうだ。旦那さんとそういう協定が結ばれているのなら、仕事に支障はないのかもしれない。それに、ここで気に入られれば安定した仕事が一つとれるし。
 オレの頭の中で打算的な考えが浮かんでくる。やばい、このままだとマダム麗子に傾きそうだ。
「す、すいません。ちょっと考えさせてください。トイレに行ってきます」
 そう言ってオレは立ち上がり、一旦この部屋を出て行くことにした。このままマダム麗子の前にいると、間違いなくその毒牙にかかるだろうから。それに、本当にトイレにも行きたかったし。
 トイレで用をたすオレ。その間、気持ちを冷静に落ち着かせることに。ここで打算的な考えで行動を起こしてしまうと、取り返しの付かない事態に発展しかねない。ここは一人クライアントを失っても、やはり自分のポリシーを貫くべきだ。よし、思い切って断ろう。
 そう思いつつも、もう一方でもう一人のオレが囁く。
「ここは思い切って相手に飛び込んでみるのも手だぞ」
 頭が混乱してきた。オレはどうすればいいんだ?

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