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コーチ物語 クライアント31「命あるもの、だから」その8

 さらにもっと驚いたことが。石垣先生の車の助手席から降りてきた人。とてもきれいな女性。しろいワンピースに長い髪。ちょっときゃしゃな体つきだけど、笑顔がとても素敵。
「わぁ、この子ね」
 そう言ってその女性はおばあちゃんが抱っこしている子犬ちゃんを抱きかかえた。子犬ちゃん、最初はクンクン匂いをかいでいたけれど。そのうちその女性の鼻をペロペロと舐め始めた。もう慣れた様子だ。
「石垣先生、どうして?」
「はは、あらためて進藤に紹介しよう。私の婚約者の由美恵さんだ」
「こ、婚約者!?」
 その言葉には驚いた。あの、とても女性とは縁がなさそうな、見た目体育会系の石垣先生に婚約者がいたなんて。しかも石垣先生とは対照的な。
「今回、あの子犬ちゃんのことを由美恵さんに話をしたら。快く引き取ってくれることになってな。といっても、実家の方にが」
 このおばあちゃんは石垣先生の婚約者のお母さんってことか。子犬ちゃんも、ここなら安心して暮らしていけるに違いない。
「この子、まだ名前がついていないって言ってたわよね」
 由美恵さんは私にそう尋ねてくる。
「はい、名前をつけると情が移っちゃうから。だから……」
「でも、あなたが見つけた子犬だから。ぜひあなたに名前をつけて欲しいの」
「え、でも……」
「進藤、由美恵さんがそう言うんだからそうさせてもらいなさい」
 石垣先生のアドバイスもあるから、私はこの子犬ちゃんの名前を考えてみた。
 小さいからチビとか、白いからシロ、なんていうのは安直だし。もっとこの子犬ちゃんには元気にすくすくと育って欲しい。なんか元気の出そうな名前がいいな。
 ふと周りを見ると、太陽が山に沈む光景が目に入った。
「太陽……うん、太陽。この子、男の子だから、元気に育ってほしいという意味と、みんなに元気を与えてほしいっていう意味を込めて、太陽って名前にしたいです」
「そうか、太陽くんか。よぉし、今日からあなたは太陽くんだからね」
 由美恵さんは子犬ちゃんに向かってそう言う。すると、子犬ちゃん、いや太陽もそれがわかったのだろう。
「ワン!」
 そう返事をして由美恵さんの鼻をまたペロペロと舐め始めた。
「あはは、太陽、くすぐったいよ」
 太陽、か。この先、元気に育ってかわいがってもらうんだよ。
「進藤さん、だったわね。ときどき太陽に会いに来てくれるかな?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。太陽もきっと喜ぶわよ」
「はい!」「ワン!」
 私の返事と一緒に、太陽も返事。私と太陽、つながっているんだな。
「じゃぁ、また遊びに来るね、太陽!」
 私は笑顔で太陽と別れることができた。この先、太陽はきっと可愛がってもらえることは間違いない。
 さぁて、今度は夏休みの宿題が待ってるぞ。これを終わらせないと、石垣先生にこっぴどく叱られそうだからな。それに、宿題を終わらせて山下さんのイベントのお手伝いもしなきゃいけないし。これから忙しくなるぞぉ。
 翌日、私は太陽のことを報告しに羽賀さんの事務所へ。
「そうか、あの先生の婚約者のところに引き取られたんだね」
「はい、今までこちらで本当にお世話になりました」
「子犬ちゃん、じゃなかった、太陽がいなくなるとボクも寂しいけど。でも、ちゃんと面倒を見てくれる人のところが一番だね」
「はい、私も大人になったら犬を飼おうと思います。もちろん責任をもって。まずは山下さんのところでもっと勉強しなきゃ」
「うん、そうするといいよ。ところで今日は山下さんのところに行くのかな?」
「そうしたいんですけど、溜まっていた宿題を終わらせないといけないから」
 ちょっと山下さんのところには未練があるけれど、まずは目の前のことを終わらせてしまわないと。
「そうか。じゃぁ、それが終わったらどうするのかな?」
「もちろん、山下さんのところのお手伝いに集中します」
「じゃぁ、宿題はどのくらいで終わらせるかな?」
「そうですね……とにかく集中すれば三日くらいでなんとかなるかも」
「三日か。なかなか思い切った決断だね。三日で終わらせるために、どんな工夫をするかな?」
「うぅん、まずは苦手な数学をなんとかしないとなぁ。これさえ終われば、あとはなんとかなりそうなんですけど」
「数学かぁ。終わらせるために、どうするかな?」
「うぅん、美優が数学が得意だから、教えてもらうかなぁ」
「なるほど、友達を使うんだね。じゃぁ、その友達にはどんなお礼をするかな?」
「美優は英語が苦手だから。そっちは私が担当して。お互いに教えあうと早く終わるかも」
「おっ、いい考えだね。じゃぁいつからやる?」
「そうですね、このあと早速美優に連絡をとってみます」
 羽賀さんと話すと、なぜかこうやっていいアイデアがどんどんひらめいてくる。実は後から知ったんだけど。これがコーチングというものらしい。自分の中にある答えをどんどん引き出してくれる。そういう会話をしてくれるのがコーチの羽賀さんの役目だって、山下さんから聞いた。
 こうして私と子犬ちゃんこと太陽との夏は終わろうとしている。けれど、命ある動物たちに終わりはない。
 命あるもの。だからこそ、私はその生命を大切にしてもらいたい。簡単に犬やネコを捨てるなんてことをしてもらいたくない。最後まで責任をもって飼うこと。将来的には、そういった放置された犬やネコをなくしていくことが大事なんだ。
 命は人間だけのものじゃない。私はこの夏を通して、太陽を通してそのことを学んだ。この気持を忘れないために、私は一つの作文を書いた。そして……
「ねぇ、この作文をイベントで発表してみない?」
 夏休み最後の日、山下さんからそんな提案をもらった。ちょっと恥ずかしかったけれど、でも、この思いをもっと多くの人に知ってもらいたい。私は思い切って作文の発表をやることにした。
 そして、九月のイベントは大成功。さらに、私の作文をもっと膨らませた小説を書きたいという人が出てきて。私の名前は原案者ということで、一冊の小説ができた。それがこの話。
『命あるもの、だから 〜私と太陽の物語〜』
 この小説は私の体験をさらに感動のストーリーに仕立てあげたもの。その中で、山下さんの活動のこともきちんと触れてくれている。こうやってもっと多くの人が動物たちの命のことを考えてくれるといいな。
 その願いを込めつつ、私は太陽のもとへと向かう。命あるものの大切さを教えてくれた、あの太陽のもとへ。

<クライアント31 完>

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