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コーチ物語 クライアント33「徳の積み方」その2

「おぉ、青葉じゃないか。まだいたのか?」
「いや、先生のお客さん連れてきました」
 そう言ってオレは羽賀さんを紹介した。
「羽賀純一といいます。以前よりメールとお電話でお話させて頂いていた者です」
「おぉ、あの羽賀さんかぁ。こんな時間に本当にすいません。ささっ、中へどうぞ」
 三輪先生、どうやらこの羽賀さんの登場を待っていたようだ。オレはもう用なしだよな。
「じゃ、オレはこれで」
 帰ろうとした時に、三輪先生がオレを引き止める一言を発した。
「青葉、よかったらお前も一緒にどうだ。このあとよかったら飯もおごるぞ」
 飯をおごると言われると弱いなぁ。今、オレの抱えている問題の一つがこれだから。母が死んで、いやその前からろくな飯は食べていない。かろうじて残してくれた母の保険金を、湯水のようには使えないし。オレがまともな職について稼げるようになるまで、節約しないといけない。
「は、はぁ……でも、お邪魔じゃないんですか?」
「いやいや、青葉がいてくれたほうが話が盛り上がるから。羽賀さんもいいですよね?」
「えぇ、ボクはかまいませんよ。それに今日お話することは、ひょっとしたら青葉さんに関わることになるかもしれませんから」
 オレに関わること? どういう意味だろう。とにかくわけもわからず、オレは三輪先生と羽賀さんの話に同席することになった。
「早速ですが、今、子どもたちの間でどうやったらもっとやる気を出して、学業と仕事に向かうことができるのか。これをずっと考えていまして」
 ソファに座るやいなや、三輪先生はそうやって話を切り出した。
「そのことはメールやお電話でいろいろとうかがっています。私なりにコーチング的な見地から考えてみたのですが」
 三輪先生はオレたちのことを言っているんだな。確かに、定時制高校というのは通っている生徒の差は激しい。まじめに勉強しようという気持ちを持ったヤツもいれば、とりあえず来ているだけっていうヤツもいる。普通の高校とは違って、それぞれが事情を抱えているだけに、無理な押し付けもできないし。
「では、羽賀さんのお考えをぜひ聞かせていただけないでしょうか?」
「はい、これはこちらに通っている学生さんだけに当てはまることではないのですが。人がやる気を出す方法というのが、原則的に二つしかありません」
「二つ? どういう方法ですか?」
「まずは相手の話をしっかりと聴いてあげること。今、腹の中に渦巻いている思いや考えを吐き出させるのです。そうすることで、気持ちがすっきりして、足かせが外れたようになることが多いです」
 それはよくわかる。今のオレの状態、人に話したくても話せない。話せる人が少ないんだ。三輪先生はその話せる人の一人である。だから、オレはつい三輪先生に甘えてしまうことがある。
「なるほど、話を聴く、ですね。で、もう一つは?」
「もう一つは承認です。つまり、相手のことを受け入れて認めてあげる、ということです。人は誰しも認められたいという欲求を抱いています」
 あ、それはあるな。今までオレは、母からしか認めてもらえるような言葉をかけてくれなかった。逆にオレは、周りに対して反発心しか持っていなかった。
 どうしてこんなに苦しい目にあわなければいけないのか。どうしてオレら親子だけがこんな扱い方をされなければいけないのか。だからオレは世間に対してツッパッていた。
 それを救ってくれたのが、三輪先生だ。三輪先生はオレの愚痴を反論することなく聴いてくれる。それだけではない。今まで苦労してきたことに対して
「それは大変だったなぁ。青葉、お前の体験したことは私は体験はしていない。しかし、その思いはとてもよくわかるよ」
 そう言われた時には涙がでそうになったくらいだ。これが認める言葉なんだよな。
「なるほど、もう一つは承認ですね。これは私も心がけていることです。相手を否定せずに、きちんと受け入れる。これが大切なんですよねぇ」
「はい。その二つをきちんと先生たちが理解し、実践をすれば。この学校だけでなくどんな学校でも生徒たちは、子どもたちは目を輝かせてやる気を出してくれます」
 うん、この羽賀さんっていい事言うじゃない。でも、それでもオレはまだまだ納得いかないことがある。それは、いくらいいことをしても世間がなぜ認めてくれないのか、だ。
 オレの母は、コツコツといいことを積み上げてきた。そんなに大きなことではない。街のゴミを拾ったり、はきものを揃えたり、席を譲ったり。どれも小さなことだ。こんな小さなことは誰も認める価値がない、そういうことなのだろうか?
「青葉、なんだか納得いかないような表情をしているが。何か言いたいことはあるのか?」
「え、あ、いえ。別に……」
 別に、と言ったものの、本当は母のことを話したい。そこで母がどんな思いをしていたのかを伝えたい、知ってもらいたい。
「大丈夫だよ。ここで話したことは誰にも言わないし。それにボクも三輪先生も青葉くん、君の味方だ」
 この言葉にはホッとした。会ったばかりの羽賀さんなのに、妙に親近感が湧いてくる。頼れる兄貴って感じだ。
「実は……」
 そこからオレは母のことを話し始めた。ろくでもない父親と一緒になったせいで、いわれのない借金を背負ってしまったこと。女手ひとつでオレを育ててくれたこと。いつも陰ながら、人の役に立とうとしていたこと。そんな母なのに、誰も認めてくれなかったこと。その挙句、無理がたたり癌になって死んでしまったこと。
 そして一番話しながら苦しかったのは、そんなお金に困っていたにも関わらず、自分の死亡保障の保険金を残されたオレのためにかけてくれていたこと。そのおかげで、オレは今生活ができている。
「そうだったんだ。青葉くん、とても大変な思いをして今まで過ごしていたんだね」
 羽賀さんの言葉は、オレの心を溶かしてくれた。この人なら信頼できる。こんなふうに思わせてくれたのは、三輪先生についで二人目だ。
「母はどうしてこんなに苦労しないといけなかったんでしょうか。母が何か悪いことをしたんですか? どうして世間は母のことを認めてくれなかったんですか?」
 オレの質問に対して、三輪先生も羽賀さんもすぐには答えられなかった。そうだよな、そんな答えを知っているのは神様くらいだ。いや、神様がオレたち親子を見放したんだ。そんな思いすら抱き始めた。
「青葉くん、ボクに少しだけお母さんのことを調べさせてもらってもいいかな? ひょっとしたら、という思いもあるから」
「ひょっとしたら? なんですか、それは?」
「ごめん、確証が持てるまではまだ話せない。でもボクを信頼して欲しい。一度、青葉くんの家にうかがって、調べさせてもらえないかな?」
 羽賀さんが何をしたいのかがよくわからないけれど。でも、羽賀さんが調べてなにかわかるのであれば、オレの思いもすっきりするかもしれない。

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