コーチ物語・クライアントファイル7 愛する人へ その7
「こちらです」
警察からの電話を受けて、市民病院に駆け込んだオレ。そして受付から案内された病室に入って、ベッドに横たわっている羽賀の姿を見て少し安心した。足は骨折しているが、その他は擦り傷程度で大したことはなさそうだ。
「唐沢さんですね。私は警察の者です。失礼ですが、羽賀さんとはお知り合いでしょうか?」
オレが会社で企画会議を続けていたときに、ふいになった携帯。そこからは今のようなセリフが聞こえてきた。
「はい、羽賀は私の同僚ですが……何か?」
「実は、羽賀さんが事故に遭いまして。所持品の携帯電話の履歴を拝見したところ、唐沢さんが一番最後に残っていたもので。とりあえずご連絡をと思いまして」
「は、羽賀がっ! そ、それで羽賀はどうなったのですか?」
「えぇ、今市民病院に救急車で運ばれたところです」
「わかりました。今すぐ向かいます」
「あ、それと同乗者……」
オレはあわてて、警察が何かをしゃべっている途中で携帯を切り、事情をメンバーに話して市民病院へと向かった。そして今、羽賀がいるベッドの前にいる。羽賀は麻酔が効いているのか、それとも事故の疲労のせいか、今はぐっすりと眠っているようだ。
ほどなくして、警官が病室にやってきた。一人は制服を着ているのですぐに警官とわかったが、もうひとりはブルドッグのような顔をして、どう見ても警官に連行されたやくざのような顔つきだった。
「君が唐沢さんか?」
そのブルドッグがオレにそう言ってきた。
「えぇ、そうですが……」
「こちらの羽賀さん、そして同乗者の畑田さんの両方のお知り合いかね?」
「え、畑田って……由美も一緒だったんですか?」
「そうか……両方ともお知り合いか……」
ブルドッグはそう言うと、急に伏し目がちになった。横にいた警官も、同じような態度を取っている。
「唐沢さん、ちょっとこっちに来てくれないか」
おれはブルドッグの言うとおりに、病室を出た。俺の前にはブルドッグ顔の刑事、後ろに制服の警官。オレは二人の間に挟まれた形で、病室を出て行きエレベーターへ。
「あのぉ……一体どこへ……?」
その質問に、警官二人からの返事はなかった。ただ、二人とも同じように下を向いてしまったことが、やけに印象深かった。
エレベーターは一階を通り過ぎ、地下へ。ドアが開くと、そこは薄暗い場所。そして目の前には大きな扉が一つ。
「こっちだ……」
ブルドッグが静かにその扉を開けた。そしてオレが見たもの、それは……
「な、ど、どうして……」
そこには、白い布で顔を覆われた、由美の姿があった。
果たしてどのくらいたっただろうか。オレは言葉を無くして、その場に呆然と立ちすくんでいた。その時間は、今思えばほんの十数秒だったと思う。しかし、オレの中ではとてつもなく長い時間に感じられた。そして、気がつくとオレの頬にはとめどなく冷たいものが流れていた。
「こちらの畑田由美さんが羽賀さんの車を運転していたときに、対向車がぶつかってきて、よけきれずにそのまま運転席側に衝突してね。幸い羽賀さんは助手席にいたため、足を骨折しただけで済んだのだが、由美さんは内臓破裂で……」
ブルドッグがそうオレに言ってきた。だが、オレはその言葉の半分も聞いちゃいない。どうしてこんな事態になったのか、どうして由美が羽賀の車を運転して、どうして対向車がぶつかってきたのか……どうして、どうして……。
ほどなくして、由美の父親である畑田常務が霊安室に駆け込んできた。駆け込むやいなや、あの厳格な畑田常務とは思えない表情で、大きな声で泣き始めたのが印象的だった。その横には、由美の母親。こちらは由美の死を受け入れられないと言った表情で、呆然と立ちすくんでいた。
オレはこの二人と入れ替わりに、また羽賀の部屋へと戻った。そして、羽賀が目を覚ましたときにどんな言葉をかければいいのか、その言葉を探していた。
気がつくと夜が明け、あたりがゆっくりと白くなる。病室にも太陽の光が差し込み、それとともに羽賀の目もゆっくりと開いた。
「羽賀……わかるか、オレだ。唐沢だ」
「ん……あ……あぁ、唐沢か。あれ、一体ボクはどうして……?」
「羽賀、ここは病院だ。おまえは昨日、由美が運転していた車で事故にあって、そして今病室にいるんだ」
「そうか……そういえばそうだったな……ゆ、由美は、由美はどうなったんだ? おい、唐沢、由美は無事なのか?」
「落ち着け、羽賀。今は安静にしていろ!」
由美のことを急に思い出した羽賀。そしてオレは真実をどうやって羽賀に伝えればいいのかわからずに、羽賀の興奮を抑えることだけしかできなかった。
ほどなくして、畑田常務夫妻も羽賀の病室にやってきた。このときの畑田常務の顔は、さっき見たものとは違い、怒りにあふれていた。
「おまえは何をやったのかわかっているのか! 由美を……由美を返せっ!」
常務はそう言うと、その場に泣き崩れた。常務の奥さんもわっと泣き出した。
「ゆ、由美は……由美は……まさか……」
「羽賀、よく聞け」
オレは意を決して羽賀に語り始めた。
「由美は、由美はもうこの世にはいないんだ。わかるか、羽賀」
羽賀はそれ以上、何も言わずに再び枕に頭を沈めた。病室には畑田常務と奥さんの泣き声だけが響き渡っていた。
ここからは警察と羽賀から聞いた話しになる。
事故の夜は羽賀と由美の二人が畑田常務に結婚についての話しをしたそうだが、当然の事ながら畑田常務は猛反対。しかし、由美には結婚しなければならない理由ができてしまったとか。
そう、お腹に羽賀の子どもができたそうだ。
それがわかったのが前日の夜。そして、羽賀と由美、そして畑田常務の母親と相談して婚姻届を畑田常務に話す日の昼間に提出していたそうだ。
すべてが事後報告になってしまったため、畑田常務の怒りも頂点に達し、由美に暴言を吐いたそうだ。そして最後に
「おまえのようなヤツは娘ではない、出て行け!」
と怒鳴りつけたとか。
その言葉で由美は出て行き、羽賀の車の運転席に乗り込んだ。当然羽賀は由美の後を追い、助手席へ。由美も実の父親からの言葉で頭にきていたせいか、運転が荒くなり、峠のカーブでセンターラインオーバー。
そのとき、ちょうど峠にはローリング族が車を走らせており、お互いが危ない運転をしていたためにほぼ正面衝突の形で事故がおきたそうだ。
羽賀と由美、時間にしてたった半日ほどの正式な夫婦生活は、新しく芽生え始めた命と一緒に、こうやって幕を閉じたというわけだ。