コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第2章 忍び寄る影 その3
「今はそれは確定できない。ただし、何らかの関係で旦那さんが関与していたとは思うんですよ。旦那さんの事故、あれも偶然じゃありません」
「偶然じゃないって、でもあれは前の車がパンクしたのに巻き込まれたんでしょう?」
私の疑問にジンさんが答えてくれた。
「あれは暗殺とかで使われる手だ。高速道路なんかでターゲットの車の前の車を狙って狙撃するんだ。すると後続の車はそれに巻き込まれる。表向きは事故だが、明らかに狙われたな。その証拠に、まだ関係者しか知らねぇが、パンクした車に狙撃跡があってね。まず間違いないな」
「そ、そんな……」
夫は誰かに狙われていたんだ。でも、どうして? それに、私がどうして狙われているの?
「紗織さん、おそらく今、どうして私がって思っているでしょう?」
羽賀さんは私の気持ちを見透かしたようにそう言った。確かにその通りだ。
「その疑問にお答えしましょう。おそらく紗織さんは知らない間に旦那さんから何かを受け取っているはずなんです。その受け取った物が、今回私たちの敵となる相手が望んでいるものなんです」
「敵となる相手?」
「そう、しかもかなりやっかいな相手です」
羽賀さんは昼間見た笑顔を全く見せない。それが何を意味するのか。
「羽賀さんはいつも回りくどい説明をするなぁ。これもオレからズバリ言おう。今回オレたちが相手しなきゃいけないのは」
ジンさんは壁に貼ってある地図の前に行き、そしてコツコツとその地図を叩いた。
「それって、どういうことですか?」
ジンさんがコツコツと叩いたのは日本地図。
「そう、オレたちが相手しなきゃいけないのは日本だ。正確に言えば日本政府と言っていいんだろうけどね」
「じゃあ、夫は日本政府に殺されたってことになるんですか?」
「直接的ではないが、結果的にはそうなるな。まぁ日本政府が殺人を許可したわけじゃなく、そこで動いている末端の組織が勝手に判断してそうしたんでしょうけど」
あまりにも事態が急すぎて、私の頭ではついていけなくなってきた。
「ジンさんの説明も極端だからなぁ。もう少し詳しくお話しましょう。先ほど、信和商事はロシアのスパイだと言いましたよね。信和商事がロシアに流しているのは、日本の企業が開発をしている人工衛星の新しい制御技術なんです。その技術がロシアに先に流れてしまうと、軍事衛星の開発競争に拍車がかかってしまう。日本はそれを阻止しないといけない」
羽賀さんはホワイトボードに絵を描きながら私に説明を始めた。私は黙ってそれを見ている。
「しかし、日本政府は直接手は出さない。そこで政府直轄のある部隊に指令を出す。その部隊もまた、直接は手を出さない。さらに下にある警備会社を装った組織へと依頼をする。それが……」
羽賀さんがとある言葉をホワイトボードに書いた。そこには「リンケージ・セキュリティ」と書かれてある。
「リンケージって、私のところに電話がきたリンケージテクノロジーと関係しているんですか?」
「おそらくは。リンケージテクノロジーはリンケージ・セキュリティの子会社です。表向きはセキュリティ関連の商品開発や販売をしている会社ですが。今回の一件に関わっていると思われます」
場は静かになった。私は何も考えられない。それ以前に、私が何を夫の一樹から受け取ったというのだろうか? そんな記憶は全くない。
私が黙っていると、今まで黙っていた舞衣がようやく口を開いた。
「とりあえず今日は私のところで。羽賀さん、もういいでしょ?」
「あぁ、今日はこのくらいにしておこう。紗織さん、明日もう一度ゆっくり説明するよ。それに、今夜ボクたちも総力を上げていろいろと調査するから。でも紗織さんには真実を知っておいて欲しいんだ。そして、紗織さんが受け取ったもの、これを確保しないと」
「わかりました。でも、ホント私は何を夫から受け取ったのか。それがわからないんです。プレゼントを貰ったわけでもないし」
私は必死に思い出すけれど、何も思いつかない。それに、日本政府が私たちの敵だなんて。なんだか何もかも信じられなくなってきた。
結局この日は舞衣のところに泊まらせてもらうことに。舞衣は私には何も質問はしなかった。それよりも、高校時代の昔話を無理やり引っ張り出して、私を笑わせようとしてくれた。それが舞衣の気遣いであることは私にもわかった。
翌日、私は朝から羽賀さんの事務所を訪れた。そこには昨日と同じ服を着て、ヒゲがうっすらと濃くなっている羽賀さんとジンさんがいた。
「あ、紗織さんおはようございます」
テーブルには何回も飲み干したコーヒーの跡がある。二人はどうやら徹夜で何かをしていたみたい。疲労の色が私にも伝わってくる。
「羽賀さん、ジンさん、大丈夫ですか?」
「平気平気。それより、紗織さんはぐっすり眠れましたか?」
「はい。おかげで息子も夜泣きせずに寝てくれましたから」
「それはよかった。さて、早速ですが見てもらいたいものがあります」
羽賀さんはパソコンの画面を指さして、私にそれを見るように指示した。それは一見すると真っ黒の写真のようだ。けれど、よく見ると何かの形をしている。
「それ、何なんですか?」
私はパソコンの画面を凝視するけど、それがなんなのかわからない。
「このままじゃわからないんですけどね。こうすると……」
羽賀さんはマウスをカチカチと押す。すると画面が徐々に明るくなっていくのがわかる。すると、そこに現れたのは……
「えっ、私っ!?」
そう、そこには私の姿が映し出されていた。どこか上の方から撮影された感じ。場面は夜みたい。私は記憶の底からその場面を引っ張り出してみた。
「これを見て、なにか思い出しませんか?」
思い出せない。他人の空似かとも思ったけれど、髪型や雰囲気は間違いなく私だ。さらに目を凝らすと、その奥にもうひとり写っている。
「これ、誰?」
奥に写っている人物は、さらに暗くて最初はわかりにくかった。けれどそれが誰なのか、すぐに私はわかった。
「これ、一樹だ。そうだ、思い出した。十日くらい前に一樹と買い物に出たときの光景だ」
「やはりそうでしたか。実はこのとき、紗織さんは旦那さんから何かを受け取っているんですよ。この一枚の写真が、紗織さんが狙われていることとつながるんです。これは夜通し作業して、相手方のコンピュータからようやく見つけることができた一枚なんです」
「羽賀さんたち、そんな作業をしていたんですか?」
「まぁ、作業をしていたのはここにいない、ヒゲのおやじだけどね」
ジンさんが笑ってそう言う。
「でも、これっていつの間に写されたんですか?」
「これは正確に言えば監視カメラの映像です。監視カメラは街なかのあちらこちらにありますから。私たちは知らない間に逐一行動を監視されているんですよ。まぁ、事件に発展しなければ、カメラの映像データは一定期間を過ぎれば削除されるんですけどね」
羽賀さんはすでに空になったコーヒーカップから、入っていないコーヒーを飲もうとしていた。が、空だったことに気づいてそのコーヒーカップをテーブルの上に戻した。
「で、これが撮影された直前にあるところで事件が起きている。とある企業のパソコンがハッキングされたんだ。そこでデータが盗まれた。旦那はパソコンは扱えたかな?」
「まぁ、人並みだとは思いますが。家では仕事をしたくないからって、パソコンに触ろうとはしませんでしたけど」
「だろうな。紗織さん、旦那が実はプロ級のハッカーだったって知っていましたか?」
まさか、ただの営業マンがそんなことを……。私は耳を疑った。
「ジンさん、紗織さんは何も知りませんよ。私たちですら今朝ようやくつかんだ事実なんですから。で、その情報を旦那さんは何かの形で紗織さんに渡しているんです。この瞬間にね」
そう言われて私はもう一度思い出してみた。確かにこの日、私は夫と買い物に出かけた。そういえば夫は一度私と離れた。そして戻ってきた時の写真じゃないだろうか。おぼろげながらなんとなく記憶の底からその時のことが思い出されようとしていた。