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コーチ物語 クライアント20「日本の危機」 第五章 過去、そして未来 その6

 その翌日、ボクは羽賀さんに呼ばれて事務所へと足を運んだ。もちろん、昨日のお礼もしなければいけないと思っていたところだったのでちょうどよかった。
「失礼します」
 ボクはあえて一階の舞衣ちゃんのところには寄らずに二階へと上がった。また立ち話などで時間を使うのはもったいないと思ったからだ。
 ドアを開けるとちょっとびっくり。なんと、そこには舞衣ちゃんの姿が。それともう一人、見慣れない女の子がそこにいた。
「あ、この人が雄大さんかぁ。はじめまして。私、間中ミクっていいます。ミクって呼んでね。ここで羽賀さんのサポートのアルバイトをしています」
 やたらと元気のいい女の子だ。
「ミクさん、ですね。はじめまして。蒼樹雄大といいます」
「さんづけはいらないって。ミクって呼び捨てにしてね」
 ウインクをしながらそう言ってくる。正直、苦手なタイプだな。
「舞衣ちゃん、羽賀さんは? 呼ばれてきたんだけど」
 そのとき、事務所のドアが開いて羽賀さんともう一人、ジンが姿を現した。
「ジン、大丈夫だった?」
「バカヤロウ、大丈夫もクソもねぇよ。こちとらあの場所でどれだけノビてたと思っていやがんでぇ。ったく、猛獣用の麻酔銃だっていうじゃねぇか。オレは何者なんだよ」
 そう言いながらも、すっかり普通どおりに戻っているジン。並の体力じゃないな。
「ジンさんはあのあと警察の方で保護してもらってね。半日も点滴を打ってたらすっかり元気になっちゃって。今警察病院に迎えに行ってたところだったんよ」
「はぁ、そうだったんですか。で、羽賀さん。今日は何を?」
「うん。もう一人来るのを待っているんだけど」
 もう一人? あの竹井警部とかいう人かな?
 そう思って待っていると、にわかにドアの外が賑やかになってきた。
「おぉっ、遅れてすまねぇ。今ついたぞ」
「ひろしさん、ありがとうございます」
「あ、ひろしおじさん!」
 なんと、現れたのは舞衣ちゃんのお父さん、ひろしおじさんであった。相変わらずにぎやかな人だ。
「羽賀ぁ、おめぇに頼まれた人物に会ってきたぞ」
「ありがとうございます。今日はその報告を聞きたくて。舞衣さん、お茶を入れてくれるかな。ミクはお茶菓子用意して」
 ハーイという返事で二人の女性は行動を開始した。舞衣ちゃんのお茶が飲めるのはうれしいな。
「羽賀さん、ひろしおじさんが会いに行った人物って?」
「それは誰なのかはまた後で。それより、やはり間違いなく実在したんですね」
 羽賀さんはひろしおじさんにそう質問をした。間違いなく実在って、どういう意味なんだ?
「あぁ、おまえさんの情報と推測どおりだったよ。ヤツは故郷に帰ってたな。そこで今では農業をやって暮らしていたよ」
「なるほど。ジンさん、やはりマスターの情報は正しかったみたいですね」
「あぁ、そうだな」
 まだ話が見えない。一体ひろしおじさんの言うヤツとは誰のことを言っているのだろうか?
「それにしても、ヤツはオレの顔を見てびっくりしてたよ。ヤツの顔は整形して変わっていたがな。そして全てを話してくれたわ」
 だから、ヤツとは一体誰なんだ? どうやらひろしおじさんの知り合いのようだが。
「お茶が入ったよ。どうぞ」
「お菓子も食べてね」
 ボクがいい加減しびれを切らしてヤツの正体を聞こうと思ったときに、お茶とお菓子が差し出され、会話は一時中断。
「ん、さすが舞衣さんの入れたお茶はおいしいな」
「ホントだなぁ。マスターにももうちょっと心のこもったコーヒーを入れてもらうように言わねぇとなぁ」
 ジンは豪快にお茶を飲み干し、さらにお茶菓子として用意された大きめのモナカを一口で口に入れてしまった。
 ボクもとりあえずはお茶をすすり、モナカを口にする。けれど心ここにあらず。さっきのヤツの正体を聞きたくてウズウズしている。
「で、こっちに来てくれそうなのかよ?」
 ジンが口の中をもぞもぞしながらひろしおじさんにそう質問する。この質問にひろしおじさんはちょっと目を伏せながらこう答えた。
「もう縁が切れた仲だから、こっちには戻りたくないんだと。それに、もうあの人には関わりたくないと言ってたよ」
「あの人とかヤツとか、さっきから一体誰の話をしているんですか?」
 ボクはいい加減しびれを切らして叫んでしまった。
 シーン。静かになった場をボクは見回す。特に羽賀さんに対してはするどい眼光で見つめる。
「そろそろ知りたいかな?」
 羽賀さんはボクの眼差しをものともせず、軽い感じでボクにそう言い返した。
「そりゃ知りたいですよ。ボクを呼んでおいてボクの知らない人の話を勝手に始めるんですから。ボクは何のために呼ばれたんですか?」
「今の話を知ってもらいたいからだよ」
「だから、誰の話なんですか?」
「まだ気づかねぇのか。ったく鈍い奴だなぁ」
 ジンはあきれた感じでボクにそう言い返した。気づかないって、どういうことだ?
「ひろしさん、そろそろ正体を明かしてあげてください」
「しゃぁねぇな。雄大、教えてやるよ。オレが会ってきたのはお前の父親。蒼樹和雄だよ」
「えっ!?」
 ボクは意味がわからなかった。
「だって、ボクの父は十五年前に………」
「死んでないんだよ。あの航空機事故の実行犯でもない。計画は確かに君の父親が立てたものだが、本当の実行犯はやはり北朝鮮人のスパイが行ったものだったんだよ」
 体中の力が抜けてしまった。ボクが追っていたのは一体なんだったのだろう?
「ボクはね、あの手記を読んでいくつか疑問が残ったんだ。一番の謎は、あの謎の文句以降、文調が異なってきたということ。前半は佐伯孝蔵に対しての思いや考え方を載せていたのに、後半はただの計画を記載しているだけになっているからね。『右に行くも左に行くも地獄。ならば心はここにあらず。故郷に置くべし』。ボクはこれをこう解釈したんだ」
 羽賀さんはホワイトボードにこの言葉を書き、そして今度は青いペンで右と左にアンダーラインを引いた。
「右と左というのは、よく右翼と左翼という言葉で使われます。これは保守派と革新派という形で使われる意味ですが。これでわかったんです」
 羽賀さんはさらにその下に「佐伯孝蔵」と「今までの日本」という言葉を書いた。
「どちらがどちらの意味で使ったかはわかりませんが。佐伯孝蔵はどちらかというと革新派。そして今までの日本は保守派。いや、ひょっとしたら逆かもしれない。当時の日本は与党と野党が逆転し、革新派へと移るところだった。が、佐伯孝蔵は自分の立場を守りたいために保守派を擁護しようとしていたとも考えられる」
「つまり、おめぇの親父はどっちに進んでも地獄だと考えたんだよ。けれど命令には従わなければいけねぇ。だから故郷に心、つまり善悪の判断を棚上げにしてこの計画を淡々と進めたんだよ」
 羽賀さんに続いてジンの言葉が続いた。
「でも、だからって生きているってことにはならないでしょう? ボクは何度読んでも、この手記からは父が実行犯だとしか思えなかったんですから」
「ボクも最初はそう思ったよ。けれど、逆に死んでいるとも思えなかった。で、当時の資料を取り寄せてもらって見えてきたことがあったんだ」
「見えてきたこと?」
「君の父親、和雄さんは佐伯孝蔵と取引をしたのではないだろうか。計画は完璧に遂行させる。その代わりに自分は別人となって故郷に戻らせて欲しい、と」
 父が生きていた。今は得も知れぬ思いが胸の中で渦巻いていた。

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