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コーチ物語 クライアント25「カフェ・シェリーの物語」その6

 こんな感じでコーヒー談義をするのはとても素敵な時間だ。ここで私は西脇さんに早速提案をすることにした。これは羽賀さんのコーチングで引き出された私の出した答え。
「西脇さん、私には今ひとつ夢があるんです」
「ほう、どんなことかな?」
「自分の入れたコーヒーをお客様に出す。そんな喫茶店をやってみたいと思っています。といってもまだ具体的に何か動き始めたわけじゃありませんが」
「それはいいなぁ」
「しかし、私は西脇さんのようにコーヒー豆からブレンドをして焙煎するほどの技術は持っていません。私ができることは、豆を挽いてコーヒーを淹れることだけです。そこでお願いがあるのです」
「どんなことかな?」
「私が喫茶店を開くことになったら、西脇さんの豆を使わせていただけないかと思いまして」
「はっはっはっ、なんだそんなことか。もちろん大歓迎だよ。といっても私も誰にでもこの自慢の豆を出すわけではない。そうだな、ここで試験をさせてもらってもいいかな?」
「試験、ですか?」
「なんてことはない、この豆でコーヒーを淹れてもらえればいいだけだよ。そこで私が満足できる味を引き出せたら合格だ。でもこれは君ならできるはずだよ」
 試験、と言われて私は緊張してしまう。普段は試験を学生にやらせるほうなのだが。自分が試験を受けるなんてことは久しぶりじゃないかな。
「道具は好きなのを使ってもらっていい。もちろんお湯から沸かしてもらうからね」
「はい」
 私は西脇さんの道具を借りてコーヒーを淹れはじめた。まずはお湯を沸かす。水はここでは天然のミネラルウォーターを使っているのは知っている。それを遠慮無く使わせてもらう。
 お湯を湧かしている間にミルでコーヒー豆を挽く。ていねいに、こころをこめて。このときになぜか頭のなかでは「ありがとう」という言葉が響いていた。そう、こうやって西脇さんのコーヒー豆をもらえるチャンスにめぐりあったことに。そして、その場にマイと一緒にいられることに。感謝の気持が心の奥から湧いてきていた。
 豆を挽き終わり、ペーパーフィルターに入れる。そして沸かし終わったお湯が入ったヤカンを手に取り、ゆっくりと、ていねいにお湯を注ぐ。ここでも頭のなかでは「ありがとう」という言葉が響いている。
 フィルターを通って、黒い液体が少しずつ滴り落ちる。うん、いい感じの濃さになっているぞ。同時にコーヒー独特の芳醇な香りが立ちこめる。
「うぅん、いい香りがするな」
 西脇さんのところまでその香りが届いているようだ。この時点までは合格かな。
 そして今度はコーヒーカップにその液体を注ぐ。西脇さんのところでは真っ白なカップを使っている。私も喫茶店を開くときにはこういうカップを使ってみたいな。シンプルなだけにごまかしがきかない。ストレートなコーヒーの味をしっかりと味わってもらいたい。そういう気持がある。
「できました。どうぞお召し上がりください」
「では、いただくとするかな」
 西脇さんはまずは香りを楽しんでいる。そしてゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。私とマイはその様子をじっと見つめている。
「んっ!?」
 西脇さんが不思議な顔をする。何が起きたのだ?
 さらに西脇さんは何かを確認するようにもう一度コーヒーを口に運ぶ。そしてこんな言葉が口に出てきた。
「これは……な、なんて味だ。私のコーヒー豆なのに、こんな味は初めてだ。この味、なんだかなつかしくて、そしてワクワクする。そんな印象を受ける。どこかで味わったことがある味なのだが……」
 どういうことだ? わけがわからずじっと西脇さんを見つめる。
「思い出した! この味は私がこのペンションを始めようと思った時に最初に感じた、あのコーヒーの味だ。そう、今から始まるんだという期待に胸をふくらませていた、あのときを思い出したぞ」
「ど、どういうことなんですか?」
「いやぁ、私にもわからない。けれど、君の話を聞いていて私がここを始めるときのことを思い出していたのは確かだ。そして、君に私のコーヒーを淹れてもらえるという期待感があった。まさにその期待感、ワクワク感という言葉がピッタリの味だ。さ、君たちもぜひ飲んでみたまえ」
 その言葉で先にマイがコーヒーに口をつけた。だがマイはこんなことを言い出した。
「私にはさっき西脇さんが淹れてくれた時の味がさらに強くでてます。甘い感じの。うん、なんだろう、ちょっと照れるけれど恋心って表現がぴったりかな」
「甘い!? そんなはずはない。私にはそれは感じなかったぞ」
 西脇さんとマイの意見が食い違っている。私も早速自分の淹れたコーヒーを口にしてみる。
「えっ、味がさっきのとは違う。さっきは甘く感じたのに、今はコーヒーの味が強く感じる。まさに喫茶店。そういうイメージがする」
 この不思議な現象に私たちは戸惑いを感じた。だが、西脇さんが一つの結論を出してくれた。
「まさにコーヒーは薬膳。それだよ。人によって味が異なる。それどころか、感じるイメージまでが違ってくる。そうだ、魔法のコーヒーだ。飲んでいる人が今望んでいるものの味がする。これこそが私が目指していたコーヒーの完成形なんだよ。それを君が実現させてくれたんだ!」
 まさか、という気持がいっぱいだった。さきほど冗談で言った魔法のコーヒー。それが今私の手で実現されるとは。
「でも、同じ豆なのに西脇さんが淹れたときでなくどうして私が淹れた時にそうなるんだ?」
「それはわからない。しかし君が淹れた時には間違いなくその味が出る。うぅん、魔法の手なのかもしれないな。これはすごいぞ。ぜひこの豆でこの味を多くの人に味わってもらいたい。うん、ぜひウチの豆を使ってくれないか!」
 西脇さんからその申し出があるとは。びっくりである。
 このあと、私が理想とする夢の喫茶店の話をすることに。内装はシンプルで、そんなに大きくないお店。基本的には純喫茶で食べ物は少ししか用意しない。そこをくつろぎの空間としてくれる常連さんがいて、毎日コーヒーに囲まれて楽しく過ごす。
「じゃぁ、私はそこでクッキーを焼こうかな。先生の妹さんに作り方を習わなきゃ」
 妹はお菓子屋をやっていて、そこで出すクッキーは評判が高い。そのクッキーも出したいとは思っていたが、マイからそんな申し出があるとは。というか、マイはさり気なくそう言ったが、この先も私と一緒にいてくれる、という意思表示なのか?
 そんな談義をして、気がつくと夜。西脇さんの奥さんの手料理を味わった後、いよいよ私の話をマイにする時間がやってきた

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